フォーラム随想右か左か

2019年03月15日グローバルネット2019年3月号

日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男

札幌の雪まつりに行ってきた。一度行ってみたいと思っていたまつりで、大通公園の雪像はフィンランドのヘルシンキ大聖堂や、テニスの大坂なおみといった傑作が並んで楽しく興味深かったが、気になったのは、会場の通行だ。

往来する見物客の群れがぶつからないように配慮したのだろう。大通会場の1丁目から12丁目まで行く場合は雪像の北側を、12丁目から1丁目まで戻る場合は雪像の南側を歩く一方通行になっている。丁目ごとに「右側通行」と掲示があり、係の人が「右側を歩いてください」と声をかける。

ところが、往路も復路も右側を歩いていると、向こうからどんどん人がやって来る。ぶつかったりはしないが、うっかり横の雪像に見とれて歩いていると、正面衝突の可能性がないわけではない。

この掲示や指示無視は、いささか意外だった。わが国民は、少なくとも交通問題では、順法精神に富んでいると思っていた。私が住む東京・渋谷区の周辺は、外国人の歩行者が多く、信号機付きの交差点も多い。赤信号が出ていた場合、欧米や中国の旅行者は、左右を見渡して車が来ないと思うと、さっさと通りを横断する。しかし、日本人はだいたい立ち止まって、青信号をじっと待っている。

わが家の近くのある横断歩道は、やって来る車のほとんどは右折か左折してこちらまでは来ない。ほんの4、5mの距離なので、私は赤信号でも渡ってしまうが、他の人は青になるのをひたすら待っている。日本人は本当に法律に忠実だなあと思っていた。

ところが、雪まつりの経験は、その思い込みに修正を迫るものだった。考えてみると、法律で決まったことではないが、そうした方が望ましいことが無視されている例はしょっちゅうだ。例えば、電車やバスでは「お年寄りや身体の不自由な方、妊娠中のご婦人などに席を譲ってください」といった呼び掛けが繰り返してされ、掲示も出ているが、スマホに夢中な若者は、徹底して知らぬ顔だ。

このところ、加計、森友や、勤労統計といった、訳のわからぬやからが、法律にそっぽを向いて平然としているご時世なので、通行区分ごときに目くじらを立てることは無いかもしれないが、考えてみるとわが国では、歩行者が右を歩くか、左を歩くかが、いささか漠然としていることも、通行区分無視の一因なのではないか。

と言うと、いや、わが国では「車は左、人は右」と決まっていると抗議される向きがあるかもしれない。確かに道路交通法には、そのように解釈されがちな規定がある。ただ、「人は右だ。歩行者は道路の右側を歩け」という主張には、いささか思い違いがある。

というのは、道路交通法をよく見てみると、第10条第1項の規定は「歩道または路側帯と車道の区別の無い道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない」とある。日本の車は、戦前からずっと運転席は右側にあり、道路の左側を走るようにと決まっており、車道と歩道の区別の無い道路では、人が左側を歩くと、後ろからやはり左側を走って来る車に追突され、ひかれる可能性がある。だから、そういう道路では、右を歩きなさいということだ。

そうして、東京都の道路の大部分のように車・歩道の区別のある道路は、右でも左でも好きなように歩いて構わない。しかし実際問題として、道路は左側を歩く方が自然のように感じられる。

わが国は江戸時代まで武士は左側に刀を差して歩いていたので、向こうから来る他の武士と刀をぶっつけ合わせないため、自然に左側通行になったと言われるが、刀を差さなくなっても、身体の右に比べて弱い左側を保護し、向こうから来る他人には身体の右側を向けることになり、左側歩行が当然ということになったのだろう。

雪まつりの左側通行も、ある程度仕方のないことかもしれない。しかしやはり、係員の指示や掲示には従った方がいいね。

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