つなげよう、支えよう森里川海―持続可能な新しい国づくりを目指す第20回 自然資本・生態系サービスの予想評価と森里川海プロジェクト
2019年01月18日グローバルネット2019年1月号
東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻 緑地創成学研究室准教授
橋本 禅(はしもと しずか)
国民的運動として現在進みつつある森里川海プロジェクトでは、自然資本である森里川海やその相互のつながり、森里川海が生み出すさまざまな恵み(生態系サービス)の価値を再認識し、それらの持続性の向上に資する組織づくりや人づくり、経済・資源の循環の仕組みづくりを通じ、地方創生の実現につなげることが求められている。そのためには、われわれの意思決定や意思決定を方向付ける制度や政策において、森里川海を含む自然資本や生態系サービスを考慮できるよう、その状態や価値を適切に評価する必要がある(図)。
本稿では、自然資本や生態系サービスの評価の国際動向やそれに対する国内での対応状況について解説する。その上で、われわれが取り組んでいる自然資本・生態系サービスの予想評価の取り組みや狙いを紹介したい。
●自然資本や生態系サービスの評価の国際動向
自然資本や生物多様性、生態系サービスが人間の福利を支え、人類が持続可能な発展を実現する上で大きな役割を果たしているという理解が国際的に広まる契機となったのは、2001年から2005年にかけて国連の主導で実施されたミレニアム生態系評価(MA)の取り組みによるところが大きい。
MAには、世界95ヵ国から1,300名を超える専門家が参加し、全球および地域スケールで、過去50年間と向こう50年間にわたる生物多様性や生態系サービス、人間の福利の状態や変化の傾向の評価が行われた。MAの狙いは、生態系サービスやその源泉となる生物多様性の評価を通じて、関連する国際条約や各国政府、企業やNGO、市民等の意思決定に役立つ情報を提供することにあった。MAの成果は国際的にも高く評価され、その後の、「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」(生物多様性や生態系サービスの経済評価を実施)や、世界銀行を中心とした「生態系サービスの経済的価値評価(WAVES)」(自然資本の経済価値を国民経済計算に組み込む試み)にも影響を与えた。そして、2012年には生物多様性版IPCCともいわれる「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(IPBES)」が設立された。
IPBESは131の国が加盟(2018年12月現在)する政府間組織であり、科学評価に加え、能力形成、新たな知見の生成、政策支援の四つの機能を柱としている。IPBESの使命は、MAのような地球~地域スケールでの科学評価を含め、自然資本や生態系サービスについての多様な評価を通じて、生物多様性条約をはじめとするさまざまな政府間交渉や、関係国等による生物多様性の保全やその持続的な利用に向けた政策の形成に必要な知識基盤を強化することにある。現在までに、アジア・オセアニア地域、アフリカ地域、南北アメリカ地域、ヨーロッパ・中央アジア地域に焦点を当てた四つの「地域・準地域評価」の他に、「花粉媒介者、花粉媒介及び食料生産」や「土地劣化と再生」等のテーマ別の評価が完了し、その成果がIPBESの公式ページをはじめ、さまざまなメディアを通じて公表されている。
●国内の動向
こうした国外の動向に敏感に対応し、日本でもさまざまな評価の取り組みが行われてきた。その端緒となったのが、2007年暮れから2010年にかけて実施された「日本の里山・里海評価(JSSA)」である。JSSAでは、200名を超える執筆者、関係者の協力の下で、日本全国を対象とした生態系サービスとその社会経済への貢献について評価が行われた。また、これと期を同じくして、環境省が設置した生物多様性総合評価検討委員会により、「生物多様性総合評価(JBO)」として、わが国における過去50年の生物多様性の損失の大きさと現在の傾向の評価が実施された(2008~2010年)。さらに、IPBESの設立と活動の本格化を受け、環境省は新たな検討組織を設置し、「生物多様性及び生態系サービスの総合評価(JBO2)」を取りまとめている(2014~2015年)。JBO2は、JBOの内容を更新するとともにJSSAの成果も踏まえ、評価の対象を生物多様性だけでなく生態系サービスまで拡張したものである。
しかし、課題も少なからず残されている。例えば、人口減少や高齢化を含む中・長期的な社会経済の変化や気候変動が、わが国の自然資本や生態系サービスに及ぼす影響や、その影響に対する効果的な対応策についても未解明な部分が多い。また、自然資本や生態系サービスの経済価値や、人間の福利にどのような貢献を果たしているかもまだ十分に実証されていない。いずれも、自然資本や生物多様性、生態系サービスを社会経済に主流化していく上で不可欠な情報である。
●自然資本・生態系サービスの予想評価へ
このような残された課題と、IPBESを中心に進む国際的な議論に対応するべく、2016年度から5ヵ年計画で、環境省の環境研究総合推進費戦略的研究開発領域課題として研究プロジェクト「社会・生態システムの統合化による自然資本・生態系サービスの予測評価(PANCES)」が立ち上がった。PANCESには、東京大学サステイナビリティ学連携研究機構が代表機関とし、延べ18の大学・研究機関の研究者が参加している。私も分担者の一人である。
PANCESでは、日本全国および四つの事例サイトを対象として、自然資本と生態系サービスの自然的・社会経済的な価値の現状を評価するとともに、将来シナリオの分析を通じて自然資本と生態系サービスの状態を将来的に維持・向上させるための施策やガバナンスの在り方を検討することを目的としている。
将来シナリオの作成にあたり、PANCESに関係する約100名の専門家を対象として実施したデルファイ法と呼ばれるアンケート調査では、将来の人口分布や自然資本の活用度合いが、2050年頃のわが国の将来の自然資本と生態系サービスの状態に大きな影響を与えかつ不確実性の高い要因として特定された。つまり、都市部への人口集中がますます進むのか、それとも田園回帰により地方への人口流入が進むか、また国内の森里川海を有効かつ持続的に活用した社会になるのか、輸入農林水産物や人工資本への依存を強めた社会になるかでも、わが国の将来の自然資本や生態系サービスの在り方が大きく変わり得ることを示唆している。
われわれは現在、この調査結果に基づき日本の将来シナリオを複数描き、その基での人口分布や土地利用・被覆を含む自然資本、さらには生態系サービスの評価を進めている。とくに、全国スケールは500m~1kmメッシュ、事例サイトは100mメッシュの空間解像度での評価を行うことで、自然資本や生態系サービスの空間分布やその将来的な変化、さらにはその変化をより良い方向に導く介入策の在り方を検討している。紙幅の制約から、本プロジェクトの成果をここで紹介できないが、プロジェクトの公式ページで主な成果が紹介されているので、ご関心のある方はご覧いただきたい。
●今後の課題
自然資本・生態系サービスの予想評価を、森里川海プロジェクトの推進や、近く予定されている生物多様性国家戦略の見直し等につなげるためには、評価に関わる研究者と、評価結果の直接的な利用者である行政職員との間での絶えざるコミュニケーションが不可欠である。この点を強く意識して、PANCESの成果が、今後の政策や計画立案につながるよう、参加者の一人として努めていきたい。