【新連載】拡大鏡~「持続可能」を求めて第1回 誰もが気候変動に取り組む日
   ~米国の「絶望死」から考える

2018年10月16日グローバルネット2018年10月号

ジャーナリスト
河野 博子(こうのひろこ)

地球環境と持続可能な発展の問題は、いくつもの次元の課題が絡み合う。読売新聞記者であった河野博子氏が心に引っ掛かった部分を拡大鏡でのぞくようにして見ながら、多角的な視点で考えていく新連載。初回は、生産・消費・廃棄のパターン、価値観を世界に広げた米国の動向を紹介する。

トランプ大統領と石炭産業

米国ウェストバージニア州の集会で8月21日、トランプ大統領は「われわれは復活する。石炭産業は戻ってきたのだ!」と声を張り上げた。米紙を飾った写真は、「トランプは石炭を掘る(TRUMP DIGS COAL)」と書かれたプラカードが聴衆の頭の上で揺れる瞬間を捉えている。ウェストバージニア州は、石炭産業の中核基地。トランプ大統領はその地を舞台に選び、オバマ前大統領が二酸化炭素(CO2)の排出削減策として打ち出した「クリーンパワープラン」を撤廃し、規制については各州の判断に委ねる「規制緩和」を発表したのだった。11月の中間選挙に向けた布石の一つでもある。

すべての国が地球温暖化抑止策と被害軽減策に協力して取り組む国際条約「パリ協定」は、2015年12月にパリで開かれた国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で採択され、翌年11月に発効した。2017年1月に大統領に就任したトランプ氏は同年6月、パリ協定から離脱する方針を表明。それに先立つ3月には、気候変動対策の全面的な見直し指示の大統領令を発表している。その時も、ホワイトハウスの執務室には、炭鉱労働者がずらりと並んだ。

ピーナスのグラフ

「ピーナス(PNAS)のグラフ」と呼ばれる一枚の折れ線グラフがある()。

2015年12月、学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(米国科学アカデミー発行の機関誌)に、プリンストン大学のアン・ケース教授とアーガス・ディートン教授が発表し、注目を集めた。

1980年代末~2010年代初めまでの、米国の中南米系を除く白人と中南米系という二つのグループについて、それぞれ45~54歳の人々の死亡率を示した。同じグラフに、フランス、ドイツ、イギリス、カナダ、オーストラリア、スウェーデンの先進6ヵ国の同じ年齢層の死亡率も載せ、比較できるように示している。医療の進歩を反映して、ほかの先進6ヵ国および米国の中南米系の計七つのグループの死亡率が年々減少している一方で、米国の白人(中南米系を除く)の死亡率だけは特異な動きを見せた。1999~2013年に際立って上昇している。

ディートン教授らは、米国の45~54歳の白人男女の死亡率上昇の主な原因は、薬物、アルコールの中毒・過剰摂取、自殺、慢性肝臓疾患としている。教授らは、米紙のインタビューで、「絶望死(deaths of despair)」とも呼んだ。

オピオイド禍

私は、1996~1999年にロサンゼルス、2000年末~2004年末にニューヨークを拠点に読売新聞の米国特派員を務めた。今でも日本にいながら、米国からの報道はできるだけフォローしている。

しかし、よくわからなかったのが、「オピオイド禍」だった。オピオイドは、ケシの成分やその合成化合物を指し、「オピウム(アヘン)」に類似した性質を持つ。鎮痛や陶酔作用があるため、医薬品として処方されてきた。ところが、過剰摂取問題が指摘され、トランプ大統領は2017年に公衆衛生上の非常事態として、「オピオイド危機」を宣言した。

CDC(疾病対策センター)によると、米国では2017年の1年間、薬物の過剰摂取により、約7万2,000人が死亡した。エイズ、自動車事故、銃関連による死亡者数を上回る。米紙の記事には、オピオイドを使用する米国人の急増に加え、中西部の白人の間でまず使用が広がったことを示唆するものが多い。しかし、ウェストバージニア州やオハイオ州など炭鉱や製造業が盛んだった地域に生きる白人たちとどう関係あるのだろうか。

最近出版された本『Dopesick: Dealers, Doctors, and the Drug Company that Addicted America』を読んで、初めて疑問が解けた。

筆者のベス・メーシー氏は、バージニア州ロアノーク市の地方紙の記者だった。警察の捜査官、検察官、救急隊員、医師、薬剤師、過剰摂取により死亡した人の親族、薬の売人などの取材を進めた。コカイン中毒が大都市から広がったのとは対照的に、東または西海岸の大都市から孤絶したアパラチア地方(中西部のラストベルト(さびついた工業地帯)や炭鉱町を含む)で、「OxyContin」という銘柄の痛み止めの薬が普及したのが、「禍」の発端という。

薬は、コネチカット州にある製薬会社が開発し、1995年にFDA(食品医薬品局)に承認された。背中や腰のけがや歯痛を含むあらゆる痛みに効き、中毒になる可能性は1%以下と宣伝された。

中毒状態に陥った人たちが、過剰な処方箋を書いた医師らや製薬会社を相手取った訴訟が数多く起こされた。そうした訴訟の原告の一人は2004年に71歳で提訴したが敗れ、4年後には薬の売買をめぐるトラブルで死亡した。炭鉱で働く中で肩と背中にけがを負い、問題の薬を使い始めたことが悲劇の始まりだった。炭鉱や製造工場でのけが→医師に処方された痛み止めを使用→中毒が、典型的なパターンといえるようだ。

2000年代半ば、連邦検察官が捜査を開始。製薬会社側が巨額の資金を投入して連邦検察の大物を雇うなど防戦。司法取引や司法省の内部の暗闘も描かれる。

米国民の「分裂」

気候変動をめぐる米国民の認識は、共和党、民主党支持者の間で「分裂」している。

2018年3月、世論調査会社ギャラップ社が行った調査によると、気候変動を大いに懸念している人は、民主党支持者で「91%」だったのに対し、共和党支持者では「33%」にとどまった。地球温暖化は人間活動によりもたらされたと考える人は、民主党支持者で「89%」だったが、共和党支持者では「35%」。逆に、地球温暖化の深刻さは誇張されていると考える人は共和党支持者では「69%」にもなったが、民主党支持者では「4%」のみだった。

米国民の間の価値観や考え方の分裂は、長く続いており、「カルチャー・ウォーズ」(文化、価値観をめぐる戦い)と呼ばれてきた。それが、本来は政治的立場を超えて取り組むべき気候変動にまで及び、二大政党の支持者間の認識ギャップにつながっている。

トランプ大統領の出現は、エスタブリッシュメント(裕福な知識階層)への不信感・反感が要因の一つ、とされる。「ラストベルトを含むアパラチア地方の人々」が米国の繁栄から取り残され、メディアや言論界から無視されてきたことが指摘された。実際は、炭鉱はオートメーション化が進み、環境規制がなくても雇用は激減する、とされる。しかし、「気候変動は高学歴のエスタブリッシュメントのたわごと」という印象が広がるようでは、取り組みは進まない。

国連の「持続可能な開発目標」の17の目標のうちの一つは、「各国間および国内の格差の解消」を掲げる。「leaving no one behind」(誰一人取り残さない)は、持続可能な開発目標を設定した際の原則でもある。

環境・気候変動は、エリート層による言説であってはいけない。

タグ: