環境条約シリーズ 317長崎潜伏キリシタン遺産の世界文化遺産登録

2018年08月20日グローバルネット2018年8月号

前・上智大学教授
磯崎 博司(いそざき ひろじ)

2018年6月に開かれた世界遺産条約の下の第42回世界遺産委員会において「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産として登録された。250年以上に及ぶ宗教弾圧下で世代を超えて秘かに信仰を守ったことを物語る集落や建造物が良好に保全されており、登録基準(ⅲ)に該当すると判断された。このような状況での信仰の維持は世界でも類がない。

登録されたのは、潜伏の端緒となった原城(島原・天草一揆の場所)の跡地、仏教徒を装いながらの秘かな信仰形態を表す集落、潜伏のために探した移住地での生活を表す集落、復帰の契機となった大浦天主堂、潜伏の終焉を表す江上天主堂などの12区域である。二つの天主堂の他は、離島や遠隔地の海岸集落であり、また、秘められた礼拝の対象でもあった山や島および農地や里山など、信仰および生活の場と風景である。それらは、そこで生活する人々が支えてきた。

今回の対象は潜伏の終焉までであり、現在の浦上天主堂と浦上地区は含まれていない。というのは、浦上地区に最も深く刻まれていた潜伏の歴史は、その真上に原爆が投下され、破壊されてしまったからである。実際は、浦上地区は、全村民がキリシタンで復帰の中核であったし、復帰後にも総流配(全村強制移住)の迫害を受け、それが国際的批判を呼び終焉の契機となった。かつての浦上天主堂は、毎年絵踏みが行われた庄屋の屋敷跡に建てられ、正に終焉を表していた。

同じ理由で、かくれキリシタンの信仰形態も含まれていない。今回の対象とされた潜伏キリシタンとは、明治初期に禁教が廃止された後はカトリックに復帰した信徒である。他方、かくれキリシタンとは、潜伏期の特異な信仰形態を現在まで受け継いでいる信徒である。しかし、その信仰形態は、キリスト教伝来当初の古い形態を残しており、潜伏キリシタンの歴史を知る上でも欠かせない。

今回の登録区域も高齢・過疎などの課題に直面しており、世界遺産条約6条1項に即して、登録されていないものも含めた総合的な保全・支援策が必要である。

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