日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と 第17回日本一の遠洋漁業基地の繁栄と歴史―静岡県・焼津

2018年08月20日グローバルネット2018年8月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

キーワード: マグロ カツオ 小泉八雲 第五福竜丸

静岡県の焼津は遠洋マグロ、カツオの漁業基地として知られ、水揚げ金額日本一を誇る漁港だ。カツオの水揚げ量は実に国内の7割を占める。焼津と漁業の関わりが深いことは、1,600年以上の歴史を持つ焼津神社の由来や祭事を知れば納得できる。日本神話で東征した日本武尊(やまと たける)を守り神とし、大漁と海上の安全を祈願する幟(のぼり)祭り(元旦から3日間)などがあり、焼津の漁業関係者の信仰をしっかり受け継いでいるのだ。

●江戸時代からカツオ漁

焼津では江戸時代からカツオ漁が盛んで、明治になるとマグロの水揚げも増え、漁船の動力化・大型化が進んで漁場も沿岸から遠洋へと拡大。太平洋戦争中に漁船が徴用されて多くを失ったが、戦後に回復し、戦前からあった水揚げ施設や周辺加工工場など有利な条件を追い風に1956年、水揚げ高日本一になった。

現在、焼津魚市場の水揚げはほとんどが遠洋漁船による冷凍魚である。その大型漁船は遠洋マグロはえ縄漁船(ミナミマグロなど)、遠洋カツオ一本釣り漁船(カツオ、ビンナガマグロ)、海外巻き網漁船(カツオ、キハダマグロなど)に大別できる。

焼津漁業協同組合に所属する大型漁船はマグロ17隻、カツオ1隻、巻き網5隻の計23隻。これらの船が焼津港に水揚げするのは全体の15%ほどで、他は焼津漁協以下の県内外の船だ。

2017年の水揚げ金額は462億5,440万円(小川港を除く)で2年連続の全国1位、水揚げ量は13万6,607t(同、小川港を含むと昨年に続き2位)。

日本の遠洋漁業は200カイリ漁業水域の設定、資源管理ための国際規制強化や入漁料の高騰、台湾や中国などの外国船との競争激化などで厳しい状況にある。焼津漁港の水揚げ金額はピークの1981年の911億円から比べると半減しているが、ここ10年は横ばいあるいは微増となっている。

焼津漁港は「焼津地区」と「小川(こがわ)地区」があり、「焼津地区」中央部の新港には焼津漁協の「新屋売場」や「解凍売場・鮮魚売場」の中枢施設がある。

取材の朝、駅前の宿から新港に到着すると、焼津漁業協同組合市場部の高橋馨さんに出迎えていただいた。高橋さんの説明によると、水揚げから荷さばき、保管まで水産物の流通に対応でき、-65℃の超低温冷蔵庫などがそろった全国最高レベルの漁港という。

まず案内してもらったのは漁協が運営する魚市場の「解凍売場・鮮魚売場」。冷凍されたミナミマグロ(切断した尾の部分だけ解凍)と沿岸漁船や陸送で搬入される生鮮魚介類なども取り扱う場所だ。

7時半、ミナミマグロの競りが始まった。衛生管理のためカーテンで密閉された売り場には、白く凍ったミナミマグロがずらりと並ぶ。南半球のシドニー沖やケープタウン沖で漁獲されたもので、年末には1日で200匹以上、それ以外の日は100匹前後が並ぶという。うち1匹のラベルを見ると81.5kg。仲買人は、尾の肉質断面の肉質を見て競り値を決めている。

ミナミマグロの競り

青い帽子の仲買人が競り人の周囲に集まり、競りが始まると「エーイ、エーイ」と大きな声が響き渡る。数字は聞き取れるが後は何を言っているか不明…。1匹2、3秒で成立。スピードとパワーが小気味よい。

マグロの「蓄養」や「養殖」が増えている中で、焼津に揚がる冷凍マグロは天然もの。取引業者からは「繊細で上品な味わいがある」と評される。

●最新鋭設備と大型漁船

次に案内されたのは、カツオ一本釣り漁船の冷凍カツオが水揚げされる新屋売場。監視通路から水揚げをする船が接岸する港と、選別作業をする荷さばき所を一望できた。荷さばき所は、床をかさ上げして汚染を防ぐための腰壁を設けており、大型魚自動選別機などの選別ラインの充実ぶりも確認できた。

新屋売場の荷さばき場

この日は水揚げがなかったものの、衛生管理を徹底した最新設備を丁寧に説明する高橋さんの言葉に漁港の誇りが感じられた。

最後に足を伸ばしたのは、新港の北部にある外港。海外巻き網漁船の水揚げ作業を見た。750t以上の大型船で魚群を探査するヘリコプターの発着が可能で、漁群探査と投網に使用するスキフボートを乗せていた。漁船といっても巨大な船体に驚くばかり。漁船からクレーン車3台を使って冷凍カツオを水揚げしている。まるで工事現場のような光景だ。

冷凍カツオの水揚げ

巻き網漁船のカツオは缶詰やカツオ節などの加工用が多く、これに対して一本釣りの冷凍カツオは主に生食用になる。当然なのだが「遠洋」であるため、沿岸や近海で捕れる「上りカツオ」「初ガツオ」といった生のカツオは焼津ではわずかしか水揚げされていない。焼津漁協のホームページでは冷凍マグロやカツオの水揚げの様子を動画で紹介している。

焼津は漁港近くの水産加工団地にマグロやカツオの水産加工業者が集積していることも特徴だ。

他にも焼津の水産加工品として有名なのは「なると巻」製造で、全国の生産量の9割を占める。静岡おでんの具として知られる黒いはんぺんもある。

●海と漁村を愛した八雲

漁港の見学を終えて出ようとした漁協の事務所で、焼津観光のポスターに『怪談』の著者として知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の肖像に気付いた。なぜ、ここに? 広島に近い松江で過ごしたことは知っていたが、焼津は知らなかった。

早速焼津小泉八雲記念館(2007年設立)を訪ねると、八雲が家族と焼津を初めて訪れたのは1897(明治30)年8月で、合計6回の夏を焼津で過ごしたことを知った。海岸通りの魚商人・山口乙吉の家に滞在し、駿河湾の深い海で水泳を堪能し、素朴で親切な焼津の人々との交流を楽しんだ。展示資料から富士山を望む絶景の浜辺や漁村の風景があったことがわかる。

焼津漁協が運営する焼津漁業資料館も、小さな漁村から発展した焼津の歩みを詳しく解説していた。近寄りがたいほど近代的な現在の漁港が、遠い昔の日本の漁村につながっていることに親近感を覚えた。

焼津といえば、1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁で米国の水爆実験によって焼津のマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」(乗組員23人)が被ばくした。焼津市歴史民俗資料館には展示コーナーがあり、毎年3月1日に地元で核廃絶を願う「ビキニデー」が催されている。

1965年のマリアナ沖集団遭難も歴史に残る。焼津など静岡県の漁船が台風で大きな被害を受けた(7隻遭難。死者1人、行方不明208人)。ネットで検索すると『くじけちゃいけない海の子は』という曲が見つかった。乗組員の子どもたちを励ます歌詞で、かつてはラジオでよく放送されていたという。

取材の締めは「小川地区」にある小川漁協経営の小川港魚河岸食堂。小川漁港は沿岸、沖合漁業が盛んでサバの人気が急上昇中だ。食堂では迷った挙げ句にマグロもカツオもサバも入った海鮮丼を注文した。うまいでがんす!(古い広島弁で「おいしい」)。味覚から重厚で多彩な焼津の漁業史にアプローチを試みたのだ。

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