フォーラム随想「あなたのニグロ」
2018年06月15日グローバルネット2018年6月号
日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男(もりわきいつお)
こんな話を聞いた。アメリカの空港で、アフリカ系の男性が、飛行機に搭乗するためにファーストクラスの列に並んだところ、後ろに来た白人女性から、次のような言葉を掛けられたという。
女性「あなたは間違っていると思うのですが、これは優先搭乗者の列なので通してください」
男性「優先ってファーストクラスのことですよね」
女性「そうよ。私たちが乗った後あなたたちが呼ばれるはずよ」
男性(ファーストクラスのチケットを女性に見せ)「正しい列に並んでいるんです」
女性「きっと軍に在籍しているか何かなのね。でも私たちは正規の料金を払っているのだから、あなたは待つべきよ」
男性「肥っているから軍には入れない。おれは金を持っているニガー(黒人の蔑称)ってだけだ」
痛快な切り返しに、周りの人たちから拍手が起こったという。
「自由と正義の国」とされるアメリカ。それでも黒人差別の底流は、今も脈々と流れているようだ。ことに今の大統領になってからは、白人警官が黒人容疑者を容赦なく射殺するといった傾向も指摘されている。
「私はあなたのニグロではない」(I AM NOT YOUR NEGRO)というドキュメンタリー映画を見た。5月中旬の封切りで、わが国ではどうやらほとんど話題になっていないらしいが、トランプ政権下のアメリカでは、異例のヒットを記録した映画だという。
監督はハイチ生まれで、同国の文化大臣も務めたラウル・ペック氏だ。1963年から5年間に相次いで暗殺された3人の黒人運動家、メドガー・エヴァース、マルコムX、キング牧師の3人を取り上げた黒人作家、ジェームス・ボールドウィン(1987年逝去)の遺作をもとに制作された。アメリカの黒人差別の歴史が厳しく糾弾される。
もともと、アメリカの黒人は、まだ植民地時代の17世紀から農園の労働力としてアフリカから連れて来られた人たちだ。19世紀の後半には奴隷人口は500万人に達したという。
アフリカの地で平和な(あるいはそうではないかもしれないが)生活を営んでいた人たちが、暴力で奴隷船に乗せられ、アメリカ大陸に運ばれ、売られて、奴隷の境遇に追い込まれた。
この奴隷制度は、もともとアフリカでの民族間の差別や紛争に源を発するといった側面もあるようだが、人類愛を標榜するキリスト教会が、この人間を人間として扱わない制度にどうして目をつぶっていたのか、極めて疑問だと言わざるを得ない。さらにまたアメリカの白人たちの人間性に深刻な疑問を持たざるを得ないのは、南北戦争による奴隷解放や、その後の公民権法の制定などを経てもなお、黒人を自分たちと同じ人間とは認めて来なかったことだ。
黒人兵が最前線で戦った第2次大戦でさえ、その所属は黒人部隊に限られ、身分は下級兵士にとどまり、海軍航空隊には黒人は入れなかった。
大戦後もなお人種差別は続いた。バスの白人専用優先座席には黒人は座れないだけでなく、1955年には、黒人専用席に座っていた黒人女性が席の無い白人に席を譲れと言われて拒否したため、「人種分離法」違反で逮捕され罰金刑を受けた「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」が起きた。レストランや映画館、図書館、プール、海水浴場、スケート場などの出入り口や席の人種別設定が当然視され、さらには公立高校への黒人入学が拒否されるなど、黒人差別の「伝統」は恐るべきものだった。
考えてみると、人種差別はアメリカの白人に限らない。決してそれほどひどくはないレベルではあるが、日本人にも、他国人に対して微妙な差別感情を持つ人たちがいることは否定できない。アメリカの人種差別は、言ってみれば他山の石だ。