フォーラム随想クリスマス・キャロル
2017年12月15日グローバルネット2017年12月号
日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男(もりわき いつお)
クリスマスが間近です。でも「『クリスマス・キャロル』を読んだ」と言っても、何を今さらと思われるかもしれませんね。『クリスマス・キャロル』、チャールズ・ディケンズの名作です。お読みになった方も多いことでしょう。確かに今さらながら、です。
で、少し、勿体を付けると、英語で読んだのです。実は今を去ること69年の昔、私が旧制山口高校に入学したとき、文科甲類だったので、3人の先生による英語の授業がありました。エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』、チャールズ・ラムの『シェークスピア物語』、それにこの『クリスマス・キャロル』でした。
何しろ戦後、中学の授業もろくに受けていないのに、いきなり原語の小説に取り組まされる。難しかったですね。苦労して探した訳本を、授業のとき机の上に置いておいたら、先生に見つかって、取り上げられたこともありました。
ストライキなどもあって、途中までしかいかないまま、随分難しかったというくらいの記憶しかなかったのですが、何年か前から、ボケ防止に少し頭を使おうと、ギリシャ語やラテン語の学習を始めたついでに、英語も勉強してみようと友人を誘って、さて、何を読むかと考えたとき、頭に浮かんだのが、この『クリスマス・キャロル』でした。
講談社の英語文庫で原語の本が出ているというので、購入。1月に2度、友人と読み始めたのですが、さすが名作です。さて、次はどうなるかと次回の勉強会が待ち遠しく、それに読んでいて時々目頭が熱くなるのです。
主人公のスクルージは、ケチで冷酷なガリガリ亡者でした。クリスマスおめでとうと挨拶に来た甥を、何がめでたいのだ、ばかばかしいと突っぱね、貧しい人のためにと募金に来た紳士に、ほっといてくれとそっぽを向く。何ともひどい、因業おやじだったのに、次々に現われるクリスマスの亡霊3人に伴われ、炉辺でクリスマスを祝う貧しいけれど心暖かい人々や、自分の将来の姿を見せられて、すっかり心を入れ替えます。
薄給だった書記の給料を上げ、前日追い返した紳士に会うと、貧しい人への寄付をはずむ。ついには、この古き良き都ロンドンで、誰からも愛される良き友、良き主人、良き人となり、「もし生きている人間でクリスマスの祝い方を知っている者があるとすれば、スクルージこそその人だ」と言われるようになった……
そうなんですね。クリスマスはプレゼントをもらい、ケーキを食べ、メリークリスマスと言い合うだけの日ではない。世の中には不幸な人、貧しい人、戦火に追われ、生命の危険にさらされている人も、本当に大勢いる。そうした人たちのことを思い、そのために何かをしようと考える、そうした日であってほしいと思います。
そう言えば、まったく無力な私のところにも、援助を求めるいろいろな訴えが届きます。
例えば、
「現在世界の難民の2人に1人が18歳未満の子どもたちです。少なくとも7万5千人の子どもたちが保護者を失ったり離れ離れになっていると推定されています」(国連UNHCR 協会)
「ワクチンがあれば防げる病気で年間150 万人の命が失われています」(ユニセフ)
「想像してみてください。あなたがきっと救える、その小さな命を」(国境なき医師団)
「わが国では今でも1日に50人の新しい患者が発生し、5人が命を落としています」(結核予防会)
「カンボジア農村での子どもの健康づくり、東ティモールでの学校保健、日本での在日外国人健康支援活動に取り組んでいます」(シエア国際保健協力市民の会)
「皆さまの温かいご協力が福祉事業発展の支えです」(日本心身障害児協会)
どれも本当に素晴らしい活動です。ささやかな協力をさせていただきたいと思っている次第です。