日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第8回 定置網のピチピチ魚水揚げに感動―長崎県・平戸漁業体験
2017年11月15日グローバルネット2017年11月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
7月下旬、夏の朝が明ける前に平戸(ひらど)大橋を渡って平戸島の北西部、生月(いきつき)大橋手前の漁港へ着いた。申し込んでおいた漁業体験「あやか水産 本物の漁師体験」の集合時間6時に間に合った。
香港からの2人も一緒
参加者は筆者と香港の廖偉傑(リョウ イケツ)さんら男性2人。この香港組は夫婦と妻の両親合わせて4人で九州観光中。妻と義母を平戸のホテルに残し、廖さんが魚釣りの好きな義父と一緒に参加した。漁業体験はネット動画で知ったという。綾香水産の事務所で受付の女性がスケジュールや注意点などを説明。香港組には中国語で書かれたプレートを示しながら、簡単な英語と身振り手振りで伝えた。以前のように言葉の壁に神経質になることはない。天候が悪ければ中止するなど安全対策には万全を期しており、これまで事故はないという。
カッパや長靴で身支度すると、ワゴン車で生月大橋を渡った舘浦(たちうら)漁港に移動。綾香水産のある漁港が工事中のため、臨時的な措置だという。
1隻の漁船に漁師7人が乗り込み、客を乗せてエンジン音とともに快晴の海を走る。西に東シナ海、北には玄界灘。客の有無にかかわらず朝夕1回ずつ出漁する。10分ほどでブイの付いた定置網に船を横付けすると、さっそく海中に張った網を絞ってたぐり寄せた。網の底が海面に近づくと大小さまざまな魚が見えてくる。いるわ、いるわ、魚、魚、魚……。映像でなく生の光景の迫力は別物だ。漁師たちは、てきぱきと行動して無駄がない。
60cmはあろうかというカンパチなどを大きなタモ網ですくう。そのタモ網は油圧式小型クレーンでつり上げ、魚を氷の入った容器に移す。昔は人手だったが、機械を導入して随分楽になったという。
自分自身で魚をすくわなければ……と体験を優先すると、1回目の水揚げでうまく写真が撮れなかった。その様子を見ていた漁師が「そりゃ、初歩的なミスだな」。記者歴40年近い筆者に、漁師歴45年のベテラン漁師が笑みを投げてきた。
環境にやさしい定置網
捕れる魚種は約50種もあるという。船の周囲にはおこぼれを待つカモメの群れ。廖さんはスマホで動画を撮影し、中国語で実況解説をしている。興奮気味に「すごいです、こんなに大漁です」。そうしゃべっているに違いない。動画は帰国後ネットにアップするという。
網の中で見つけたのは頭が宇宙人のように大きなシイラ。まだ30~40cmと小さいので海へ戻された。2ヵ月たったら1m以上の漁獲サイズに成長するという。
この定置網という漁法について説明すると、網を固定して入ってきた魚を捕らえるという自然環境にやさしい漁法だ。日本の伝統技術で世界的に高く評価されている。世界で初めて結び目のない無結節網の量産を成功させた小林照旭(てるあき)(1876~1952)が広島県福山市で創業した日東製網は、魚網の世界的メーカー。そのWEBサイトによると、定置網の起源は400年以上前といわれ、山口県、富山県、宮城県の三系統から全国に広がったとされる。陸地から近い場所に設置するので新鮮な魚を素早く市場へ出すことができる。また、一網打尽でなく網に入った魚の20%程度しか漁獲できないという。平戸近辺の定置網漁は安定しており、漁獲も大きな変化はないようだ。
ゴージャスな魚づくし
3回の水揚げはまずまずの漁獲で、綾香水産の建物に戻ったのは午前8時。隣の漁師食堂「母々(かか)の手」でしばらく朝食を待った。さっき水揚げした魚たちがさっそく調理され、テーブルにずらりと並ぶ。カツオのたたき、カンパチ、アジ、イサキ、ヤリイカ……。イサキはあぶったものと刺身の2種類。廖さんたちは「ゴージャス」を連発。かなりの量だったが、「命をいただく主義者」である筆者は完食した。漁業体験も含めて料金は4,000円なり。
食事の後、綾香水産の三代目経営者、綾香良一さんに話を聞いた。組合員50人、準組合員80人の中野漁協組合長でもある。漁協は定置網、採介藻、一本釣りが主力。県内では小さい漁協だが、綾香さんは長崎県漁業共済組合の組合長を務める重鎮だ。長男の良浩さんが綾香水産を実質仕切り、妻の清子さんは「母々の手」の経営者。孫も働いている。調理を清子さんと良浩さんの妻が担当している。漁業体験は8年前に年間1,500人の参加を記録、昨年は1,150人と参加者数は安定している。
市議会議員でもある綾香さんは、地元発展策として考えだした定置網の漁業体験を、平戸市から支援を受けて2002年からスタートした。同じような定置網観光は全国でもほとんど例がなく、5,000万円をかけて体験用の船を新造するなど本格的に取り組んだ。最初は接客に不慣れな漁師たちだったが、次第に慣れてくるとガイド顔負けの上手な案内ができるようになった。地元だけでなく海外メディアなどからの取材が相次ぎ、参加者も増える好循環となった。良浩さんが所属する漁協青年部は、小学生などを対象にした「水産教室」や男女の出会いのきっかけ作りに漁業体験を取り入れた。カップルも数組誕生したといい、披露宴の定番曲『祝い船』(歌:門脇陸男)の世界を想像する。
地元の雇用も生んでいる体験事業は、しかし、初期投資を考えると黒字とはいえない。なぜ始めたかというと「若いころから世界を訪ねてみたい、多くの人に出会いたい、という気持ちが強くあったからでしょう」。漁業体験では「お客さんに現実を知ってもらい、感動してもらえるのが何よりうれしいのです」と喜びを語る。
綾香さんは1947年生まれで、中学の同級生116人のうち、地元に残ったのは綾香さんを含めて2人だけ。海の恵みを相手にする生活を誇りにしてきた。
平戸市は、オランダ商館や平戸城など歴史を物語る建物や史跡が多く、九州有数の観光地だが、2年前の熊本地震や佐世保市にある大型テーマパークなどの影響で観光客数は停滞気味だ。それだけにこの漁業体験は貴重な観光資源である。
ネットで検索すればいくらでも情報がある現在、観光で大切なのは、訪問先の人々との触れ合いだろう。もてなしの心や普段着の会話などが大きな魅力になる。定置網漁の現場で見た漁師の仕事や交わした会話は、非日常で得がたい体験だった。参加者が書き込む落書き帳に「また来たい」とリピーター希望のメッセージが多く残されているのも納得できる。
本の紹介
「日本の農業は生き残れるのか」と題して、2012 年から本誌に連載した広島県の農家の挑戦を収めた小冊子(吉田光宏著)。広島県人である著者の「カープを応援するような純粋で熱い思いを『日本の農業を守る』に向けてもらいたい」との気持ちから、ユニークな題名となった。紹介されている事例は有機野菜、果物、バラ、豚や鶏肉まで、農家の知恵と工夫が盛りだくさん。(PRPH 出版事業部、750 円+税)