21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第23回/経済運営はどのように変わっていくべきか
2017年06月15日グローバルネット2017年6月号
千葉大学教授
倉阪 秀史(くらさか ひでふみ)
これまで人口減少下での豊かさを確保していくための個別分野の方向性を示してきました。今回は、経済運営の指標をどのように変えていくべきかについて論じます。
人口減少のフロー面の悪影響
人口減少は、日本経済に対してさまざまなマイナスを与える可能性があります。まず、フロー面での悪影響です。これには、生産面と消費面の双方への悪影響が想定できます。生産労働人口が減少することによって生産力が減少します。また、人口減少によって、国内の需要が減少し景気が減退する可能性があります。
人口減少下でも1人当たりの生産性を向上させれば経済成長ができるという主張もあります。2006年に財政・経済一体改革会議が定めた「経済成長戦略大綱」では、この考え方にのっとり、2015年までの年平均の国内総生産(GDP)実質成長率で2.2%の成長が可能だと主張しました。しかし2006年から2015年までの年平均のGDP実質成長率は0.6%にとどまりました。
1人当たり生産性に生産年齢人口を掛け合わせたものがGDPであるとするならば、生産年齢人口が減少する場合、その減少率を上回る率で1人当たり生産性を引き上げないとGDPの対前年度成長は見込めません。需要面についても、人口減少に伴う内需の減少を補えるだけ、国外の需要を奪わない限り、経済成長は見込めません。
人口減少のストック面の悪影響
人口減少による悪影響はフロー面にとどまりません。ストック面での悪影響も懸念されます。各種資本基盤ストックの維持管理を行うための負担が賄えなくなり、ストックの質が悪化する恐れがあります。
われわれの経済は、さまざまな資本基盤によって支えられています。資本基盤とは、有用性を与えるメカニズムを備えた存在であり、有用性を与えることによってもそのメカニズムはなくならないものと定義されます。主要資本基盤には、人的資本基盤、人工資本基盤、自然資本基盤、社会関係資本基盤の四つの種類があります。これら資本基盤は、適切に「手入れ」(ケア・メンテナンス)されないと、資本基盤のメカニズムの持続時間が短くなり、その有用性が減退します。
高齢化によって人的資本基盤のケア(とくに介護・医療)が従来以上に求められます。また、上下水道管、道路などの人工資本基盤の1人当たりの維持管理負担が増大していきます。人の手が入ることによって維持される自然資本基盤(人工林、農地など)は、十分な人手が入らなくなり、その質が劣化します。人と人との支え合いである社会関係資本基盤を維持するためには、適度な人口密度が保たれる必要があります。
人口減少時代における豊かさを把握するには
一方、人口減少のメリットとして想定し得るものとしては、第一に、より少ない資源エネルギーの消費で経済を運営することができること、第二に、より少ない環境への負荷で経済を運営することができること、第三に、人間の居住のためのスペースがより少なくできること、第四に、限られた機会の他者との奪い合いによる悪影響を是正できることなどが挙げられます。
今より50年前に、今後は、より少ない資源エネルギーの消費と環境負荷で経済を運営することがより良い経済の物差しになると述べたのは、アメリカの経済学者ケネス・E・ボールディングでした。彼は、1966年に公表した「来たるべき宇宙船地球号の経済学」という論文の中で、環境制約が顕在化した経済(宇宙飛行士経済)では、環境制約のない経済(カウボーイ経済)とは異なるとして、次のように述べています。「宇宙飛行士経済の成功の基本指標は、生産量や消費量ではなく、人間の身体の状態を含む、総資本ストックの状態や、量や、質や、多様性である。宇宙飛行士経済で、最も重視されるのが、ストックの維持であり、より少ない通過物(つまり、より少ない生産と消費)で与えられた総ストックを維持できるようになる技術開発は明らかに進歩である」
ボールディングの議論は、資源エネルギーの使用に伴う環境負荷に着目すれば、物的な生産・消費のフローを拡大することを良い経済の指標とすることは妥当ではなく、人間の生活を支える資本ストックの状態を健全に保つという指標に転換していかなければならないことを示すものです。
彼がその考え方を公表した後、地球温暖化という全地球的な環境制約が顕在化したにもかかわらず、いまだ、GDPの対前年度成長率に象徴されるフローベースの経済指標が世界各国の経済運営で重視されています。しかしながら、日本では、世界の中でいち早く直面する急激な人口減少と高齢化によって、まず、経済を支える人口基盤の縮小によってフローの拡大が困難になってきました。また、同時に、地域において資本基盤ストックの維持管理負担を賄い切れなくなってきました。この二つを通じて、いや応なしに、フローの拡大を目指す経済運営から、ストックの持続可能性を確保することを目指す経済運営に切り替えることを考えざるを得なくなってきています。
資本基盤の持続可能性に着目した経済運営の在り方
資本基盤の持続可能性に着目した経済運営は、以下のような手順で行われることになるでしょう。
第一に、将来にわたって手入れしなければならない資本基盤量を把握することです。今後も維持管理していく資本基盤量に対応して、手入れのための労働需要が決まってきます。例えば、社会の人的資本基盤の年齢構成とその状態に応じて、保育・教育・医療・介護といった労働需要が決まります。また、維持更新期を迎える人工資本基盤がどの程度あるかに応じて人工資本基盤の維持更新のための労働需要が定まります。さらに、農地・人工林などの自然資本基盤の存在量に応じて手入れのための労働需要が定まります。なお、この際、使わなくなる人工資本基盤については、計画的に除却すること、また、手入れができなくなる自然資本基盤については、計画的に天然更新に戻していくことも考える必要があります。
第二に、これらの労働需要が社会的に充足されるように政策を行う必要があります。手入れ労働については、資本基盤の状況に応じて提供しなければならないため、大量に生産して稼ぐことができません。このため、きつい職場であるにもかかわらず、十分に給与を確保できないという状況が起こります。実際に、保育士、介護労働者、建設業従事者、農林業従事者など、必要とする手入れ労働需要を満たしていない分野は現状においても多数存在するところです。生産年齢人口が総人口以上に減少していく社会において、放っておくと、今後さらに手入れ労働需要が不足します。このため、これらの労働について社会的評価を高め、十分な報酬が支払われるように政策を行う必要があります。
第三に、手入れのための労働需要を社会的に充足するために政策を行えるよう、必要な税収を確保することです。経済的なフローを社会的に拡大すること自体を目的にするのではなく、必要な資本基盤量を維持できる範囲で経済的なフローを獲得することになります。
このとき、資本基盤ストックに着目した経済指標としては、例えば、適切に介護・医療サービスを受けられている要介護者・患者割合、適切に維持更新されている建築物・インフラ割合、適切に維持管理されている耕地・人工林割合など、資本基盤ストックに関する手入れのニーズがどの程度充足されているかを測定する指標や、人口1人当たりの適切に維持管理されている資本基盤ストック量に関する指標などが想定されます。これらの指標は、人口が減少していく社会においても、ポジティブな方向で目標設定できます。
経済全体の付加価値額を伸ばしていくことは、手段であって、目的ではありません。経済運営の目的は、国民一人ひとりの幸せな暮らしであり、将来にわたっての繁栄です。経済全体の付加価値額が増加しなくとも、国民の人口に応じた健全な資本基盤ストックの持続可能性が確保できれば、幸せな暮らしと将来にわたっての繁栄は確保できます。この方向で経済運営の方向性を変えていく必要があります。
※次回の執筆者は松下和夫さんです。