日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と~第2回 日本初の魚肉ソーセージは昭和の味 愛媛県・八幡浜
2017年05月15日グローバルネット2017年5月号
ジャーナリスト 吉田 光宏(よしだ みつひろ)
キーワード:西南開発・練り製品・ビキニ事件・ミカン畑
昭和生まれ世代にとって、魚肉ソーセージの響きは懐かしい。昭和の香りがするこの食べ物を1951年、日本で初めて作ったのが愛媛県八幡浜市にある食品加工会社の西南開発だ。「昔の魚肉ソーセージはおいしかった!」と折々に聞かされた若手社員が興味を持ち「ならば伝説のソーセージをよみがえらせよう」と復刻プロジェクトが始まり、2008年、「元祖魚肉ソーセージ」として発売した。誕生当初と製造方法、原料が異なるが、味は見事に復活した。66年前の発売時、庶民の食卓には畜肉加工品の姿はなく、魚を原料とする新登場の魚肉ソーセージは、日本独自の食文化を進化させたといっていいだろう。この旅では、これを見逃すわけにはいかない。
豊富な漁獲利用し開発
前回の宇和島から北の松山に向かって約30㎞、市街地の国道197号線沿いに西南開発の本社工場がある。営業部部長代理の山地誠さんら3人から元祖魚肉ソーセージの話を聞くことができた。説明やいただいた資料などによるとこうだ。
魚肉ソーセージは1950年、前身の西南開発工業協同組合がその開発に成功し、翌1951年に組合が現在の西南開発株式会社を創立するとともに、日本最初の魚肉ソーセージを売り出した。商品名は「スモークミート」で、契約を結んだ大手問屋によって全国販売された。その後、大手水産会社が相次いでマグロなどの肉を原料にした製品を発売。魚肉ソーセージは、学校給食でも使われるなど日本の食生活の中に浸透した。
発売当時、八幡浜近海はアジなど、すり身の原料になる魚はいくらでも捕れた。しかし、今のような冷凍技術がないため、素早く練り製品に加工する必要があった。魚肉ソーセージの開発に当たっては、食生活の欧風化を意識して、パンと合う洋風のかまぼこのような製品を目指したという。スモークの味を出す薫液やナツメグを入れていた。
その後、畜肉製品が普及したことや原料となる漁獲の減少、防腐剤AF-2の使用禁止(1974年)に伴う製造方法の変更、日本の遠洋漁業に大きな制限となった200カイリ問題(1977年)などの外部環境の変化で採算性が悪くなり、1970年代に誕生当初の魚肉ソーセージの味は消えてしまった。
元祖魚肉ソーセージには、昔の味を懐かしみ、今につなぐ熱い思いがあったのだ…そんないきさつを聞きながら昭和歌謡のヒット曲「昔の名前で出ています」(歌:小林旭)が頭に浮かんだ。この曲を知っていますか?と尋ねると、30歳代のお三人は「…」。う~ん、思わぬ世代間ギャップが存在していた。
満を持して完成した復刻版魚肉ソーセージは、誕生当時と同じアジ(国産)を材料に、魚肉を昔ながらの石臼を使ってすり身にしている。効率が悪く加水もできないが、その分、魚肉含有量の多い上質な味の魚肉ソーセージができる。少し価格が高くなるため、スーパーの食料品棚ではなく、鮮魚売り場、サービスエリア、道の駅、デパートなどに置いている。もちろんネット販売もしている。
ビキニ水爆実験の記憶
筆者も小学生のころ、魚肉ソーセージを食べていた。もちろん本当の畜肉の「ソーセージ」を口にしたのは後の話。カタカナで書く欧米起源の食品は、代替品が先にあり本物が後、というパターンがお決まりのようだ。例としてオレンジ味の「渡辺のジュースの素」を思い出す。果汁ゼロの粉末清涼飲料で水に溶かしてよく飲んだものだ。その後、東京に上って大学生になり、初めて出掛けた海外旅行で到着した米国ロサンゼルス空港。ロビーで売っていた(バレンシア)オレンジの生絞りジュースを一口飲んだところ「渡辺のジュースの素じゃないか…」。1976年、米国建国200年祭の年のカルチャーショックだった。
魚肉ソーセージが普及した背景には、1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で行われた米国の水爆実験がある。この「ビキニ事件」では第五福竜丸をはじめ多数の遠洋マグロ漁船が被ばくし、大手水産会社は消費者が敬遠して売れなくなったマグロを原料とした魚肉ソーセージの生産に力を入れた。これが大衆食品の地位確立に寄与することになった。ちなみに西南開発はマグロではなく、地元近海の魚を使っていた。
ビキニ事件は日米両政府の早期の政治決着により実相は封印されてしまう。全国ビキニ被災船員救済検討チーム代表を務める聞間元氏によると、900隻余りの漁船や船舶が被害を受け、米国がビキニ環礁などで行った核実験は計67回(1946~58年)に上るという(全国保険医団体連合会ホームページ)。当時日本政府が漁船員らの被ばくに関する調査結果を開示しなかったのは違法として昨年、高知県を中心とする元漁船員と遺族らが国家賠償請求の訴えを起こした。
話はまだ続く。東京の築地市場の資料館には「昭和29年3月原爆実験による放射能汚染マグロ入荷」と記した年表がある。第五福竜丸が水揚げしたマグロの行方が気になる築地市場は今、豊洲への移転問題で揺れている。因果は巡る糸車…。
ミカン畑と養殖の風景
西南開発でのインタビューを終えて建物の外に出ると、魚肉ソーセージの記念碑があった。山地さんは「西南開発という社名は当時の愛媛県知事が名付けたのですよ」と少し誇らしげに語った。四国西南部で地元の一次産品(魚と豚)を使って魚肉ソーセージを開発し、事業を興したことが高く評価されたという。同社は現在、創業製品である魚肉ソーセージのほか、じゃこ天などの練り製品、ファストフード向けのフライドパイなども製造している。魚肉ソーセージは12種類のバリエーションに加えて全国各地の原料を練り込んだご当地ソーセージも製造する。その内訳は、沖縄の島とうがらし、富山のシロエビ、大分のかぼす胡椒、島根のノドグロなど多彩だ。
6次産業化には魚肉ソーセージ復活にあるようなストーリーが大切であることは言うまでもない。魚の油に含まれるEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)といった体にいい成分を含んでいるので健康ブームを追い風にできる。地域の一次産品に目を向け、「地産地消」の志を忘れない西南開発の魚肉ソーセージがしっかり売れますように!
八幡浜周辺の海岸線は美しい。斜面に黄色いミカンが実り、海には養殖いかだが浮かぶ。八幡浜周辺の海岸線を走ると、どこもかしこもミカン畑。温州ミカンに「いよかん」、ぽんかん、デコポン、せとか、清見などを含めた柑橘類の生産量日本一の愛媛県の中でも八幡浜市の生産量が最も多いのだ。かつてミカンの一大産地だった、わが故郷広島県も同じようなミカン畑の光景があったのに。遠くから眺めるのもいいが、海辺のミカン畑に足を踏み入れると目の前に広がる海が最高に美しい。そんなイメージにぴったりの曲が「ミカンが実る頃」(歌:藍美代子)。本物のミカン畑の風景を知らなくても、どこか懐かしい気分になれるだろう。