日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と~第1回(新連載) タイに真珠、静な海の養殖風景(愛媛県・宇和島)
2017年04月15日グローバルネット2017年4月号
環境ジャーナリストであり、広島6次産業化プランナーや中小企業の経営支援(主にPR広報)なども手掛ける広島県在住の筆者が日本の海沿いを訪ね、知ったこと、考えたこと、思い出したことなどを書きつづります。
ジャーナリスト 吉田 光宏(よしだ みつひろ)
キーワード/リアス式海岸・段々畑・じゃこ天・鯛めし
カーブが多いリアス式海岸沿いの道を進むと、朝日が島々の輪郭を鮮明にしてきた。2月下旬の早朝、愛媛県南予地方にある宇和島市街から西へ向かった。20分ほど走り、上り坂を越えると「遊子水荷浦の段畑」が視野に飛び込んできた。しばらく進んで見学者用の駐車場に車を止めると、目の前にそびえる巨大な壁のような段々畑。「耕して天に至る」と伝えられる国の重要文化的景観である。「これ、何?」と思わず声が漏れた。早朝とあって他の訪問者だけでなく地元の人も姿が見えず、声を掛けて共感してもらうことができない。それではと、細い坂道を登って段々畑の頂上へ向かった。目の前に湾が遠方の海へと展望が広がる。「おーおー」と一人だけでテンションが高まった。
四国を代表する漁業県
畑に植えてあるジャガイモの緑と海の色が美しい。頂上付近から養殖のいけすが浮かぶのどかな湾が見渡せた。後で真珠養殖は黒いブイが目印と聞いたが確認はできなかった。眼下の漁港では来る途中に見たマダイの水揚げ作業が続いているようだ。沖のいけすから水揚げしたマダイを一尾ずつ特製のプラスチックケースに入れ、活魚輸送用のトラックに運び込むのだ。
愛媛県西部の宇和海は黒潮に乗って回遊するイワシやマアジの好漁場で、リアス式海岸を利用したブリやマダイなどの養殖業も盛んな日本を代表する漁業拠点である。
恵まれた自然環境を生かしての真珠養殖も日本一だ。真珠養殖に使うアコヤガイが自然に生息していたという。日本の真珠養殖技術は三重県で御木本幸吉が1905(明治38)年に真円真珠完成に初めて成功し、後発の愛媛県では宇和島市の南隣にある南宇和郡愛南町で1907年に養殖が始まった。愛媛県史などで調べると、戦後に三重県などからの養殖業者が進出して盛んになった。日本の真珠養殖は1967年に第1次のピークを迎え、その後生産過剰による真珠不況によって減少したが、1990年に再びピークに。ところが1994年からの真珠貝の大量死によって大打撃を受けた。
当時、フグ養殖で消毒に使われていたホルマリンの原因説がメディアでさかんに取り上げられた。毒性が強く発がん性もあるホルマリンに真珠貝大量死の“犯人”の嫌疑がかかった。だが、その後の研究などで原因は感染症と判明し、アコヤガイ赤変病と命名されている。
耐病性のある貝を導入
真珠養殖は、2年かけて育成した母貝の中に核を入れ、半年から1年半後に貝から表面に真珠層ができた真珠を取り出す。赤変病によるアコヤガイの大量死を防ぐため、耐病性のある貝の導入などの対策が講じられている。それでも余韻が続いて日本全体の真珠生産は低迷が続いている。そんな中で愛媛県の真珠生産は全国シェア38%の7.5t(2014年)、真珠母貝に至っては80%の796t(同)と日本トップの産地の座にある。遊子で見た三階建ての立派な家も景気が良かったころの歴史をとどめている。
世界の生産や流通事情も変化している。日本の養殖技術が海外へ流出し、オーストラリアなどで大型の南洋珠と呼ばれるシロチョウガイ、クロチョウガイ、さらに中国の淡水真珠のイケチョウガイによって海外産真珠がシェアを拡大している。
真珠販売を扱う系統団体である愛媛県漁業協同組合連合会の宇和島支部真珠部を訪ね、蝶野一徳部長に実情を聞いた。蝶野さんは「厳しい競争の中で、いかに高品質のものを作り出すかが勝負。他に負けない養殖技術への取り組みが続いている」と宇和海産のプライドを語った。蝶野さんに紹介してもらった真珠養殖の盛んな南の三浦漁協、下灘漁協の現場は次の機会に訪れたい。
県漁連は愛媛県産のブランド真珠「HIME PEARL」を展開する。ふた夏を越えて育てる越物と呼ばれるアコヤ真珠のうち真珠層の厚さ(巻き厚)が片側0.7㎜以上のものを「PREMIUM(プレミアム)」としている。
ほとんどの真珠は大手商社に買い取られて装飾品に加工され、銀座のミキモトに並ぶ高級品も宇和海産の貝にたどり着くはずだ。地域の加工販売産業は小さく、実情が次第につかめてくると、宇和島の真珠の知名度はもっと高くてもいいのではと思うようになった。名画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのネックレスを思い出しながら、華麗な美しさを演出するイメージ戦略に、後でも述べる宇和島の魅力をしっかり盛り込んだらいいのに。
ブレークする可能性大
真珠装飾品を展示販売する「真珠館」もある道の駅「きさいや広場」を訪ねた。2009年にオープンし「食も文化もぎゅっと詰まった道の駅」だという。まず宇和島発祥のじゃこ天を味わった。魚のすり身を原料に油で揚げたもので、今では全国的に広く知られている。揚げたてを一つ172円(税込み)で買い、ふうふう吹きながら口に運ぶ。うまいでがんす!(広島の方言で「おいしい!」)。ローカルソング「宇和島じゃこてんの歌」があると聞き、後日ダンス付きのネット動画を確認した(感想は省略…)。
きさいや広場では、有名な鯛めしも初体験した。宇和島の鯛めしはタイの刺身をたれと混ぜてご飯にかけて食べる。昨年、愛媛県漁連のブランド鯛「愛育フィッシュ愛鯛」を使った宇和島鯛めしが、漁師自慢の魚「プライドフィッシュ」料理コンテストで準グランプリを獲得したという。
南予の魅力は実に多彩だ。温暖な気候、お遍路さんに見られる温かい人情、闘牛など多彩な歴史や文化があり、さらにミカンや魚、真珠などの農林水産物に恵まれている。宇和島市から南隣の愛南町、さらに高知県の土佐清水市、四万十市などを含む西南地域はパンフレットにあった「旅情きらめく四国の終着駅」が言い当てている。
長い間「陸の孤島」とも言われていた宇和島には、無理してでももっと早く来ればよかったと後悔するばかり。瀬戸内海をはさんで対岸にある松山や今治は何度も訪れたことがあるのに、南予まで足を伸ばす機会がなかった。広島で周囲の人たちに尋ねても同じ印象だった。松山からの道路が整備されて、かつての半分の1時間ちょっとで宇和島に着くようになっているので、今後必ずブレークすると予感する。ただ、四国西南地区の観光パンフレットのアクセス情報に広島からの航路も、広島県の尾道市と今治市を結ぶ「しまなみ海道(西瀬戸自動車道、1999年全通)」も記述がなかった。昔からの四国路の風情をいつまでも残したい気持ちが潜在意識としてあるのかもしれない…。