特集/シンポジウム報告WISE FORUM 2016
~にっぽんの未来を考える3日間~:3日目「社会・経済」内山 節さん

2017年03月15日グローバルネット2017年3月号

フェアウッドを使って家具製品を生産・販売するワイス・ワイス(本社:東京都渋谷区)が昨年創業20周年を迎え、10月26 ~ 28日に「WISE FORUM 2016 ~にっぽんの未来を考える3 日間~記念シンポジウム」を開催しました。「真の豊かさとは?」を全体のテーマとし、「環境・フェアウッド」「生活・教育」「社会・経済」の三つの分野について、それぞれの第一人者・専門家が講演し、会場の参加者と議論を繰り広げました。
本特集では、その3分野の基調講演の内容をご紹介します。本シンポジウムの記録映像や資料はこちらよりご覧頂けます。(2016年10月26~28日、東京都内にて)

3日目「社会・経済」
経済のゆがみ、社会のゆがみを正していく時代

哲学者、元立教大学大学院教授
内山 節(うちやま たかし)さん

世界的な文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(1908~2009年)という人がいます。フランス国籍を持つユダヤ人で、戦前に大学を卒業し、当時のフランスにはユダヤ人差別があったこともあって、招かれたブラジルの大学に移り、アマゾンの先住民の研究をしました。しかしその後、ナチス・ドイツの時代が到来したため、アメリカに亡命してアメリカ先住民の研究をし、戦後はフランスに戻り、フランスの文化人類学という分野の頂点に立った、という人です。

彼の著書を読んでいると、彼には本当の居場所がない、という感じがします。つまり、フランス国籍を持っているけれど、ユダヤ人なのでフランスが本当の意味で自分の居場所だという感覚がなく、ユダヤ教で結ばれた世界的なネットワークからは離脱しているので、ユダヤ人世界の中にも居場所はない。世界でもフランス国内でも評価され、間違いなく居場所を持っているはずなのに、精神世界には居場所がない、という現代人と共通しているような中途半端な状況にある人でもあります。

私たちは、例えば不幸かと聞かれると、多くの人間からするととくに不幸ではない。逆に幸せかと聞かれると、不幸じゃないけれど幸せと言い切ることもできない。今、そんな中途半端な世界が広がっている気がします。そういう中で、格差社会や、バラバラになってしまった個人の社会が出来上がってしまったのだと思います。

「ポジションを取ることが人生」の今の時代

資本主義社会が結局こういう結末を生んでしまったという気がしています。資本主義社会というのは、形成されたときから貧困などが問題になりましたが、資本主義の問題点というのはそういう問題ではなく、私たちに、ある生き方を強いたことだと思うのです。今日ではそれは「ポジションを取ることが人生になってしまった」ということ。資本主義とは一つのシステムですから、そのシステムの中で自分がどんなポジションを取るかが人生の目標になってしまった。だから、子どものときからそのように訓練され、将来のポジションを取るために高校に入り、大学でも就職のときでも同じことが繰り返されていくのです。

今の時代というのは、確立したシステムの中でポジションを取り損ねてしまうと、悲惨なことが起きるかもしれない。そのため、そのポジションを作っているシステムが変更されてしまっては困る、と無意識のうちに感じる保守主義的な時代が作られてきたと感じています。そのため、本当の意味で「結び合う」「ともに生きる」などということができず、「システムが変動されては困る」「世の中には自分の目標とするポジションしかない」と感じる人たちが大量に作られ、それが社会の中のいろいろな力を喪失させ、バラバラの社会ができていく。そんな時代になってきている、という気がするのです。

いろいろな要素がつながり、一体性を持っていたかつての社会

では、私たちはどこで間違えてしまったのでしょう。かつての社会は、人間たちの生きる世界というのが経済や労働、地域や文化など、いろいろな要素によって作られていました。また、私は50年近く群馬県南西部にある上野村という山あいの村と東京を行き来して暮らしていますが、そういう山奥の村なら土着的な信仰のようなものも社会にはたくさんあって、自分の生きる世界を作っているさまざまな要素というのが、実はどこかでつながり合って統一性を持っていました。

さらに、人間が生きていく社会では「祈り」というのもとても重要な一面を持っています。例えば家族の場合、「お金を持ってくるお父さん」「家事をやるお母さん」のような機能面だけでつながっている家族は実は相当もろい家族で、機能が果たせなくなった瞬間にたちまち崩壊する可能性が出てきます。一方、「子どもが無事大人になってくれますように」「お父さんお母さん元気でいてね」的な「祈り」でつながっている家族というのは、危機に直面しても、何とか乗り切っていける強さがある。つまり、人間の結び合う世界の中には、宗教や信仰とは違う、どこか祈りのようなものがあるのです。

上野村の社会をつないでいるものも、実は経済などではなく、「何とか村が持続してほしい」という村民の祈りなのであって、それが「経済力さえあれば地域は大丈夫だ」などというような発想になってしまうと、経済がうまくいかなくなった瞬間に地域は崩壊してしまいます。やはり、村をいとおしく思い、将来にわたり持続していくよう願う「祈り」があってこそ、地域社会の存続もあり得る。このように、もともとは、人間たちが生きる世界を作るため、必要ないろいろな要素というのが全部どこかでつながり合い、一体性を持って展開してきたのです。

しかし、近代社会になり、経済は経済、労働は労働、生活は生活、地域は地域、社会は社会、というように、いろいろな要素が全部バラバラになってしまいました。バラバラになりながら、その中で経済が大きな力を付けていき、肥大化して暴走するようになり、それ以外の他の要素を破壊するようになってしまった、それが今の時代なのです。

もう一度いろいろな要素が統一されるような世界を作れるか

これから私たちはどういう時代へ向かって行かなければならないのか。それにはやはり、いろいろな要素が統一されるような世界がもう一度作れるか、ということが課題になると思います。すべてのものが、自然を含め、どこかで一体的につながり合っているような生きる世界が求められるのです。

実は、前述のレヴィ=ストロースは、この問題についても言及しています。彼がアマゾンやアメリカの先住民について研究する中で気が付いたことは、先住民の世界では、生きる世界のさまざまな要素がすべて一体的に統一されていた、ということでした。

それに対して、彼が生まれて暮らしたフランスや、亡命先のアメリカで見えてきたのは、生きる世界がバラバラになってしまった世界でした。彼は生きる世界を再び統一することの可能性について問われ、「大変困難だと思うが、わずかではあるが可能性はあると思っている」と答えました。そして「そういう動きがあるとすれば、それはたぶん日本から。極東の哲学にはその可能性がある」と言ったのです。

彼から見ると、日本はかなり近代化した社会が形成されているけれど、伝統的なものの考え方や社会の在り方が完全に消え切ってはいないというのです。確かに、私が暮らす上野村にはまだ一体性の世界みたいなものが残っているし、そういうものに対してむしろ気持ちが引かれる人たちが絶えずいる。だから、この社会にはまだ新しい理念が生み出される可能性がある、と彼は評価していたのでしょう。

バラバラになってしまった要素を統一するデザイン力

そういう中で、上野村には今、250人くらい移住者がいます。フランスの農山村の多くも今は人口の半分以上が移住者です。彼らは収入だけでいえば、大きな収入減になるけれど、困っているかというとそんなことはない。村には地域社会もあるし、いろいろなものがつながった「生きる世界」がある。そういう「ものの在り方」みたいなものが一つの魅力になって、多くの人たちが移動してきています。

世界的にもう一度自分の生きる世界を創造したいという人たちが現れてきているのです。ビジネスでも、ひたすら利益を追求し、儲かれば、いっとき面白く感じるかもしれませんが、行き詰まれば苦痛だけがある。そういう中で、もっと、何か役割が果たせるビジネスを志向する人たちが増えてきていて、何か社会的な有効性のようなものを自分の使命とし、それを持続させるために「ソーシャルビジネス」などと呼ばれるビジネスを起こす人たちがいろいろな地域で生まれてきています。

そして、もう一度自分の生きる世界の一体性を取り戻そうとすると、大事になるのは「デザイン力」です。つまり、自分の生活をどうデザインするか。労働や経済の在り方をどうデザインするか、また、それと文化がつながるようにしていくためにどうデザインするか。デザインというのは本来、「思想や考えを形にする」という意味ですが、自分の考えというのは形にならない、だから、それを形に表現して見えるようにする、それがデザインなのです。だから、農民というのは本当は皆、デザイナーなのです。つまり、自分の農業という考え方があって、どういうやり方をするか、どう販売するかなど、具体化することは、まさにデザイナーの仕事なのです。

ですから今、必要とされていることは、一遍バラバラになってしまった要素をもう一度統一していくデザイン力であり、農村でも山村でも足りないのはデザイン力を持ったデザイナーなのです。近代という、生きる世界の要素がバラバラになってしまった時代では、もう一度要素を統一するデザインのようなものが最終的には必要なのだと思います。

根源的なものをもう一度考え直す。そして傍ら、時にはソーシャルビジネスという形態だったり、私の場合だったら「上野村をどう持続させようか」なんて課題だったり、いろんな形で展開していき、上野村にせよソーシャルビジネスにせよ、経済循環がある程度うまくいかないと行き詰まってしまうので、そういうことも大事にしながら、自分たちの生きる世界をいかに再統一して作り直すか、それを考えることが今、求められている時代であり、そのためのデザイン力というものを私たちは身に付けていかなければいけない。私たちは今、そんな所に立たされている気がしています。

内山 節(うちやま たかし)さん:

哲学者、元立教大学大学院教授  1950 年、東京都生まれ。

1976 年『労働過程論ノート』で哲学・評論界に登場。1970 年代から東京と群馬県上野村を往復して暮らす。NPO法人森づくりフォーラム代表理事。『かがり火』編集長。著書『内山節のローカリズム原論』(農文協)『新・幸福論』(新潮選書)など多数。2014 年7 月『内山節著作集』(全15 巻、農文協)を刊行。

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