フォーラム随想男兒立志出鄕關

2017年03月15日グローバルネット2017年3月号

日本エッセイスト・クラブ常務理事
森脇 逸男

將東游題壁

男兒立志出鄕關

學若無成不復還

埋骨何期墳墓地

人間到處有青山

(読み下し)

将に東游せんとし壁に題す

男児志を立て郷関を出づ

学若し成る無くんば復還らず

骨埋むる何ぞ期せん墳墓の地

人間到る処青山有り

幕末の勤王・海防僧、月性作の漢詩で、戦前の中等教育では必ずと言っていいほど教えられた七言絶句です。表現は平明、「人間」は「じんかん」と読み、「にんげん」ではなく、人の世、世間の意、「青山」は青々と木が茂る山で、ここでは墓地の意という注釈があれば、読み下しを読んでいただくだけで、すらすらと理解できると思います。

ただ、戦後は漢文教育が軽視され、冷遇される中、この詩は古典教科書のごく一部(例えば大修館の古典B漢文篇)にしか登場しなくなり、まったく知らない、聞いたことがないといった人も、残念ながら多いようですね。五十代のうちの息子(理系)も、知らないと言っていたのにはびっくり。

その、今は知られていない漢詩を引っ張り出したのは、実は先ごろ、この詩には、ちょっと面白いいきさつがあることを教えられたからです。

というのは、お隣の国の中国、漢詩の本場である中国で、これは日本の月性の詩ではなく、毛沢東が作った詩だと思っている人が多いということです。

毛沢東、もちろんご存じですね。大躍進政策や文化大革命で批判する人も多いのですが、今の中華人民共和国の建国の父です。もう十数年前のことだそうですが、中国のテレビ局が『少年毛沢東』という番組を放送しました。その中に、少年毛沢東が、故郷の湖南省の詔山で、ある朝山に登り、太陽に向かって堂々と詩を朗読するシーンがあったということです。その朗読された詩が、この「男兒立志出鄕關」だったのです(正確に言うとちょっと違って、第三句の「墳墓地」が「桑梓地」とされていたということです)。

なぜ、少年毛沢東がこの詩を朗読したのか。実は毛少年がまだ17歳の頃、中国の『新青年』という雑誌に、「西郷隆盛作」としてこの詩が掲載され、それを読んで、これぞ自分の気持ちだ、父親にもぜひ読んでもらいたいと、その詩を写したらしいのですね。

その筆写した詩はもちろん毛沢東の筆跡なので、後年、政府が生家から毛沢東が残した文章などをすべて収集した際に、どうやらこれも毛沢東が若いころ作った詩だと見なされ、伝わった訳です。

もともと毛沢東は、優れた詩人でもあり、多くの詩を作っており、詩集も出されています。この「男兒立志」の詩は、詩集には収録されていないということですが、でも、テレビ番組のプロデューサー(?)のように、この詩を毛沢東の作品だと思っていた人も、中国には多かったのでしょう。

さて、「男兒立志」の詩は、月性作だと書きましたが、これも「実はそうではない。月性の詩の弟子で幕末の尊王攘夷の運動家、村松文三の作だ」という説があるようです。しかしこれは、山口県萩の松陰神社所蔵の月性自筆の「月性吟稿」にこの詩は書かれ、篠崎小竹、後藤松陰の評語があるとのことですので、月性作であることは間違いないですね。

それにしても、村松文三だけでなく、西郷隆盛作だとされたり、海を渡って毛沢東の作だとされるなど、作者の名乗りが様々なのは、この詩にそれだけ若者に訴えるものがあるということでしょう。ただちょっと気になるのは、詠い出しの「男兒」です。今のご時世、男だけを相手にして平気なのは憚られます。例えば「弱年」(若者の意)とすれば、男女の差別が無くなるのではないかとも思うのですが、それは名作を傷つける、とんでもない改作かもしれません。

タグ:,