ホットレポート 1遺伝情報を取り巻く先進国と開発途上国の対立~生物多様性条約COP13・名古屋議定書COP/MOP2の交渉から~
2017年02月15日グローバルネット2017年2月号
岐阜大学 研究推進・社会連携機構 特任助教
小林 邦彦(こばやし くにひこ)
はじめに
2016年12月4日~17日にかけて、メキシコのリゾート地カンクンで生物多様性条約第13回締約国会議(COP13)、カルタヘナ議定書第8回締約国会議(COP/MOP8)、名古屋議定書第2回締約国会議(COP/MOP2)が開催された。COP13では、「主流化(mainstreaming)」が大きなテーマの一つとされるなど、生物多様性の保全や持続可能な利用の農林水産業や観光業をはじめとしたあらゆるセクターへの組み込みが意識され、37もの決議が採択された。会議全体の結果については、環境省による報道発表をご確認いただきたい。
主流化が主要テーマの一つであった一方で、条約そのものの改正にもつながり得る議論が条約および名古屋議定書の締約国会議で議論された。そこで、本報告ではその議論に焦点を当て、議論、決定内容、そして、決定内容に対する若干の考察を行うこととしたい。
生物多様性条約と名古屋議定書の対象について
生物多様性条約は、1992年5月22日にケニアのナイロビで開催された生物多様性条約採択のための会議で採択され、1993年12月に発効した。条約は、①生物の多様性の保全②その構成要素の持続可能な利用③遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分を目的としており、とくに遺伝資源の取得の適当な機会の提供、関連のある技術の適当な移転や適当な資金供与によって達成するとしている(条約第1条)。
また、名古屋議定書(The Nagoya Protocol on Access and Benefit-Sharing)は、2010年10月に愛知県名古屋市で開催された生物多様性条約第10回締約国会議にて採択され、2014年10月に発効した。名古屋議定書は、各国の国内法令に定められたABS(遺伝資源へのアクセスと利益配分)ルールの国境を越えた順守を確保する措置を規定しており、遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ衡平に配分することを目的としている(議定書第1条)。
なお、本報告に直接関係するわけではないが、名古屋議定書は2017年1月20日現在、94の国・地域が締約国となっており、日本は締結に向けて最終段階となっている。名古屋議定書を担保する国内措置の取りまとめ官庁である環境省から1月20日、国内措置(案)に対するパブリックコメントが開始された。国内措置(案)が提示されたことにより、早ければ、本年の通常国会で名古屋議定書への加盟が承認される。したがって、2018年にエジプトで開催される名古屋議定書第3回締約国会議には、非締約国としてではなく、締約国として、参加することができる(※非締約国での発言には、締約国からサポートを受け、初めて締約国会議の決定案への意見が反映される)。
COP13、COP/MOP2における議論
条約、議定書の目的から解釈できるように、遺伝資源の取得やその利益配分が目的達成に重要な手法とされている。生物多様性条約や名古屋議定書が規律の対象としているのは遺伝資源である。その遺伝資源について、今回の会合でナミビアが「デジタル配列情報(digital sequence information)の利用は遺伝資源の利用と同等であり、条約の第3の目的として、その利用から生じた利益は公正かつ衡平に配分されるべきと決定する」ことを提案した。その理由として、「利用者が目的とする遺伝資源が存する開発途上国に直接出向かず、先進国が有しているジーンバンクにアクセスし、遺伝資源に内在される遺伝情報を入手しており、行政の許可や契約がされていない」からとしている。これが、条約の改正にもつながり得る議論の発端である。この提案に対して、ブラジルやマレーシア、フィリピンなど、多くの開発途上国が賛同した。
一方で、欧州連合(EU)、豪州、ニュージーランド、カナダ、韓国、日本などの先進国は「ナミビアの提案はこれまで議論してこなかったため、EUとしてポジションを持っていない(EU)」「条約や議定書は“遺伝資源”を対象にしており、遺伝情報ではない(カナダ)」などと議論することを拒んだ。結果、大きな対立となったため、少人数制で議論するコンタクトグループを議長が設置することとなった。
従来、コンタクトグループを設置する際は、先進国、開発途上国からそれぞれ1名ずつ議長が選出されることから、共同議長制となっていた。しかし、今回のコンタクトグループでは、条約事務局が事の大きさを鑑みたのか、締約国会議をホストしているメキシコが議長となった。コンタクトグループでは、ナミビアの提案を議論することはほとんどせず、議論のプロセスをどう進めていくのか、ということに焦点が当てられた。
決定内容について
交渉の結果、主に以下の2点が決定された(CBD/COP/DEC/XIII/16)。
- 1. 遺伝資源に関するデジタル配列情報の条約や議定書の目的(生物多様性の保全・生物資源の持続可能な利用・公正かつ衡平な利益の配分)に対する潜在的な影響を検討するために、関連情報の提供・事実確認・検討範囲特定の調査を各国や国際機関、研究機関などに要請すること。
- 2. 財源の範囲内でアドホック技術専門家会合(通称AHTEG)を設置し、委任事項(囲み)について、議論をすること。
(b)遺伝資源に関するデジタル配列情報に関連する既存の専門用語の技術的な範囲と法的および科学的な影響を検討すること。
(c)条約と名古屋議定書に関連する遺伝資源に関するデジタル配列情報の異なる種類(type)を特定すること。
(d)第14 回締約国会議の前に、財源の利用可能性に従って、少なくとも一度は対面で会うこと。また、適宜、作業を円滑にするためにオンラインツールを活用すること。
(e)第14 回締約国会議の前に開催される科学技術助言補助機関(SBSTTA)による検討に向けてAHTEG の成果を提出すること。
決定内容に対する若干の考察
上記の決定内容は、今後の検討プロセスにとどまっており、交渉開始段階でナミビアが提案した解釈については、削除された。しかし、AHTEGの委任事項には、遺伝資源に関するデジタル配列情報の利用に関わるあらゆる潜在的な影響を検討することが含まれており、開発途上国は利益配分がされていないことを問題提起することが想定される。
一方で、議論の対象となっている遺伝資源に関するデジタル配列情報は、法的には、条約や議定書の適用範囲外であることは言うまでもない。なぜなら、条約は遺伝資源という「資源」を対象にしているからである。ただし、研究者などが求めているのは、その資源に内包される情報(遺伝子)であるため、開発途上国がデジタル配列情報に対して利益配分を求めるのも提供国の立場から考えれば、理解することはできる。
しかし、デジタル配列情報は生物多様性、とくに遺伝的な多様性を保全するために、重要なファクタ-である。生物多様性条約では遺伝的多様性の保全に関連して、世界分類学イニシアチブという基礎となる分類学情報を整備しようとする世界的な事業が取り組まれている。その事業の成果の多くは、地球規模生物多様性情報機構で公開されるなど、他の取り組みにも影響が懸念されるところである。そのため、引き続き、本議論を注視していくことが求められる。