フォーラム随想ながい坂

2017年01月15日グローバルネット2017年1月号

地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂

山本周五郎の最晩年の長編小説に『ながい坂』がある。新潮社から単行本上・下で発売された直後に読んだ。50年前のことだった。小説が執筆された時期が日本の高度経済成長期と重なり、当時の社会風潮と周五郎の人生観が織り混ざる。

読了後、感激した面と冷めた面が複合する奇妙な感じが残った。周五郎の『樅ノ木は残った』は、純粋に面白く、感動もした。後味も良かった。一方、『ながい坂』は、主人公の三浦主水正が差別や屈辱を受けながら、貧乏な下級武士から刻苦勉励して出世していく姿は、高度経済成長期のサラリーマン像と重なった。

努力する姿は、感動はするが、時に冷酷に人と対処する行動は、違和感を覚えた。彼の目標は、藩の繁栄と領民の幸せだったのは、救われた。

周五郎の人間や社会を観察する目は、確かだ。作品の中で「人間は、善と悪を両方持っているものだ」と述べる。改革に対して既得権を持つ古い勢力が妨害するのは、いつの時代も変わらない。作品のメーンの筋は、これらとの闘いである。

周五郎の最晩年の作品だけあって彼の人生の歩みを投影している。尋常小学校卒の学歴で努力を唯一の武器に、人気作家となった。「ながい坂」を登り続け、この小説執筆の2年後、世を去った。

私も人生は、「ながい坂」だと考えて行動してきた。この小説を読んだ時期が私の社会への出発時と重なった。死ぬまで坂を登り続ける。上り坂なので、楽ではない。

5年前から肉体と精神を鍛えるため、毎晩40分間のジョギングを欠かさない。目覚ましい効果が出ている。筋肉量が増加し、体脂肪率は、10%前後とアスリート並みになった。走っていて体がきついと感じるときは、上り坂になっている時だ。

人生が上りの「ながい坂」であれば、きついのは当然だ。人間は、楽をしたいという衝動に駆られる。高齢になれば、周りの人は、優しくなって「無理をしないで、ゆっくりして」と声を掛ける。

これに甘えて楽な道を選択するかどうかが、人生の処し方の分かれ道である。

東京都墨田区に「すみだ北斎美術館」が先頃、オープンした。

日本の芸術家で世界に最も影響を与えたのは、葛飾北斎だと思う。彼の作品は、ゴッホ、セザンヌなどに衝撃を与え、西洋美術の方向に多大な影響を与えた。芸術世界の超人は、互いに相手のすごさを理解し、共鳴し合うのだろう。

北斎の絵を見ると、誰もが感動する。富岳三十六景シリーズは、圧巻である。正高信男著『天才脳は「発達障害」から生まれる』(PHP新書)によれば、6歳から写生に励み、人間業と思えぬ膨大な作品を制作したが、彼は、風景を一瞬にして覚え、記憶された風景を屋内で画布に描いた。

天才の北斎でさえ、「75歳になってようやく満足できる作品が描けるようになった」と述懐した。90歳で亡くなるときの臨終の言葉は、「あと5年命があったなら真正の画工になれたのに」だった。

北斎は、「ながい坂」を登った男だった。

私も「ながい坂」を登り続ける。仕事の効率は、確かに落ちてきた。若いころは1週間あればできた仕事が、今は1ヵ月を要する。資料や書類の整理が悪く、探し物に費やす時間も多くなった。

このため飲酒や不要な夜の会合の出席などは、一切やめた。限られた時間を自分の仕事に集中するためだ。

近年は、仕事量を増加させるようにしている。自分を甘やかさず、刺激を与えるためだ。昨年、2016年度「北日本新聞文化賞」の受賞は、弛まぬ愚直な努力を評価いただいたからだと思う。

今年の目標は、執筆面では単行本を2冊、研究論文を24本、エッセイ・雑文を100本としている。

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