あすの環境と人間を考える~アジアやアフリカで出会った人びとの暮らしから第10回(最終回) 人々のこれからの暮らしを思いながら、アフリカの「いま」に関わっていきたい~西アフリカ半乾燥地での活動を通じて~

2016年12月15日グローバルネット2016年12月号

地球・人間環境フォーラム
瀬戸 進一(せと しんいち)

 

京都にある総合地球環境学研究所の「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクトに関連する研究者が、アジアやアフリカで出会った人々の暮らしを紹介してきた本連載も最終回となりました。

今回は、1991年から国際協力事業団(現国際協力機構、以下JICA)の青年海外協力隊員として活動したセネガル、1996年から日本のNGOの一員として活動したブルキナファソ、2010年からJICAの草の根技術協力事業で活動したニジェールと西アフリカの半乾燥地域で、私が当時目にして感じたことを紹介します。

セネガルで学んだ「経験によって培われた技術と政策による環境や情勢の変化」

島国のカーボベルデを除くと、アフリカ大陸最西端となるセネガルが、私がアフリカで活動した最初の国でした。湖の水を利用した稲作の普及のため、雨季の農業と、湖水を利用した野菜栽培が行われていた国境を流れるセネガル川を水源とするギエル湖の南側の地域に派遣されました。

昔は、乾季に湖の水が引いて現れる湿った土地でキャッサバなどの栽培も行われていたそうですが、湖の上流と下流に堰が建設され、首都の水道水確保のための水管理により乾季に現れる土地の面積が減ったため、当時行われていたのは、まだわずかに見られていた乾季の水位低下で現れる湖畔の土地でのウリ科作物(カボチャ、スイカ、メロンなど)の栽培でした。手押し鋤をスコップのように使い、乾季に水が引いて現れる粘土質土壌の表面が乾いたところで、上部の土をひっくり返して、種をまきます。

経験が浅かった私は、鍬で耕す方が良いと思いました。しかし実際にはサヘル地域の砂質土壌の農業と同様、土をひっくり返すことで水の蒸発を防ぎ、しかも、蒸発の際に水や土に含まれた塩類が地表に集まり農業に支障をきたす問題があったこの地域では、塩類集積を抑制する狙いもあったのです。

これはまさに経験によって培われた技術といえるでしょう。しかし、水が減ったとき水量調節によりセネガル川から水を入れることにより、突然水量が増え、作物の水没などの被害が出ることもありました。環境に適応した技術がある一方、水管理という政策によりそれ以前と同じように効果的とはいえなくなっしまった技術ともいえます。

外部から導入されて普及したけん引型荷車

現地では、荷物の運搬や人の移動手段として、家畜に引かせる荷車を見かけました。セネガルでは馬かロバ、ブルキナファソやニジェールでは牛かロバなど、地域によって異なる家畜が利用されていました。ブルキナファソ北東部の農村では1980年代のサヘル地域一帯での大干ばつの後、ヨーロッパの支援で地域開発活動の一環として村に一台導入されたものの、当初は現地の住民たちは使い方がわからず人間が牛を引き、牛が荷車を引いていたそうです。しかし私が活動していた1990年代後半から2000年代前半には、すでに御者が荷車に乗って運転し、牛やロバがけん引するのが当たり前となっていました。

セネガルは、西アフリカの多くの国が植民地だったときの中心地で、古くから街は舗装され、ヨーロッパの文化が導入されたため、馬が引く馬車が使われ、対してずっと後に支援などで荷車が導入されたブルキナファソやニジェールでは、速度は出ないものの砂地でも荷車を引ける牛が用いられたのではないかと推察されます。

またブルキナファソで人口が多かったモシ族や、北東部農村のソンガイ族は、もともと騎馬民族で、馬は乗馬のためだけに使用し、労働に使う習慣がなかったこととも関係があるかもしれません。さらに、ブルキナファソやニジェールの南西部では、牛が引く荷車は2頭立てのものしか見ませんでしたが、ニジェール南中部では1頭立てのものも目にしました(写真)。これも南中部では、牛の肉を販売するなど牛の使い方が他の民族より長けていたハウサ族が主に生活していることも関係するかもしれません。

ブルキナファソ北東部の農村で、収穫したトウジンビエを運ぶ牛が引く荷車(緑のサヘル提供)

家畜がけん引する荷車は、外から持ち込まれた道具ですが、西アフリカにおいて民族や地域の特性も反映しながら短期間で普及し、使用する技術も地域の特性が反映されていたと思います。

ブルキナファソでのせっけん作り技術の導入

ブルキナファソでは、周辺地域で利用されている技術を利用されていない村に移転する活動に関わりました。

住民の意見が反映され、彼らが主体的に活動に取り組み、伝統的な技術や知識を取り込み現地の実情に適した技術が確立し、活動が長く継続的に行われるよう、住民自身が周辺地域で行われている技術を視察し、最終的に四つの技術を選択してもらいました。そしてそのうちの一つだったせっけん作りの技術をある女性グループは選び、彼女たちの希望を重視しながらその導入を目指しました(他の三つの技術は、①疲弊した土地を回復させる技術②家畜けん引の農具を利用する技術③収入を得るための裁縫技術)。

その村では過去にもせっけん作りの技術の導入が試されたにも関わらず、継続しませんでした。その理由が外部からの原料調達の問題だったため、私は現地で調達できる材料を使った技術を選んでほしいと思っていました。しかし住民の意見を尊重するため、選択肢を複数用意しました。具体的には、すでに近隣で実施されていたせっけん作りの視察、すでに廃れかけていた家畜の脂肪を使った技術でせっけんを作る実演、現地の植物からの油や香料の抽出実験、首都ワガドゥグゥの指導員による研修などです。

その上で、グループの意見を聞いたところ、脂肪からのせっけんは臭く、油や香料の抽出は作業負担が大きい、そして何より新しい技術で作るせっけんの方が売れるはずという理由から、私の希望に反し、首都の指導員による技術の導入を希望し、活動は進められました。しかし、その後原料のシアバターの価格高騰により、活動は停止状態となってしまったという残念な結果となったようです。

これからの暮らしを思いながら、アフリカの「いま」に関わっていきたい

私が活動に関わった地域では、「過去」に培われてきた現地の環境を背景とした慣習や知識が数多くありました。しかし、まったく異なる技術を現地の知識に配慮せずに導入することは問題だと思いますが、環境や社会情勢が急速に変わる中、それまでの伝統的慣習や知識も新たな環境にそのまま適応するわけでないというケースも数多く目にしました。

また、現地政府、村々、周辺の国々など、さまざまな関係者が関わり合って「いま」を形作っていましたが、一部の活動が現地の伝統技術の価値を下げてしまうという残念な例もありました。「慣習や知識を尊重する」ことと、「現地の人々の希望をそのまま活動に反映させる」こととは違うということを、学ぶことができました。

活動を終えて日本に戻り、しばらく経ちます。しかし、いまでも、もっと良い判断で現地と関わる選択があったのではと考えることがあります。活動で得た経験や知識を生かし、アフリカの人々のこれからの暮らしを思いながら、アフリカの「いま」に関わっていきたいと考えています。

本連載は今回で最終回となります。

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