フォーラム随想過去との向き合い
2016年10月15日グローバルネット2016年10月号
地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂
私のような年齢になると、同窓会の開催通知が多くなる。時間的に余裕ができ、過去を懐かしむ気持ちになるのだろう。
私は、ほとんど出席しない。「すでに予定があるから」と欠席理由を記載して返事をする。本当は、気が進まないからである。楽しい思い出もなく、過去を振り返りたくない。
先日は、某新聞社から紙面に使用したいので、私の高校時代の写真を借りたいと申し出があった。信じてもらえないが、私は、19歳までの写真をまったく持っていない。当時、写真は、高価だったので、現在のようにやたらに撮らなかった。住居の移動を重ねるたびにわずかな写真もすべてなくした。その後、とくに困ったことはないし、惜しい気持ちもなかった。
人は、時に過去をすべて消し去り、一から出直したいと思うことがある。現実には不可能である。人生は、日々の営為の積み重ねである。
社会は、人物を評価するときに経歴を最も重視する。その人物の過去である。社員の採用に当たっては、履歴書が最も重要な書類になる。
私は過去を忘れたいと思っているが、社会はそうはさせてくれない。
8年前に特定の県内で販売されている月刊誌に「元環境事務次官が口利き」とまったく身に覚えのないことで、5ページにわたる記事が掲載された。事前の取材はなく、記事の内容は、根も葉もない虚偽だった。環境事務次官を経験したことから記事になったわけだ。
この件については、「完全な誤りであるので、今後の対応によっては法的手段を取る」と文書で伝えた。出版社側は、次号で修正の記事を載せた。
世間には過去にこだわり、過去によって生きる人の方がむしろ多い。昨年露見した東芝の不祥事の背景には、東芝の社長が退陣後も相談役などの肩書で会社の人事を差配したことがあった。これはいろいろな組織で見聞する。トップを退いた後も、人事に干渉する。権力欲から逃れられない人間の性だ。人の道から離れた下劣な行為で、組織を腐敗させる。
高齢になれば、だれも過去の思い出を語る。これは他人に害を与えることはない。同じ話が繰り返されるのは、ご愛嬌だ。
過去を振り返ることを嫌う私も、昔の経験のみに頼ることがある。
社会の変化は、激しい。情報産業の変化は、ドッグイヤー(成長の速いイヌの1年は人間の7年分に相当するように、変化が激しいこと)と言われる。他の分野も同様で、ついていくのが大変だ。
私の専門である医療、福祉、環境、人権においても10年前のテキストは講義に使えない。日々勉強が必要だ。ともすれば昔の経験や知識のみに頼って楽をしがちであるが、聴講者にはお見通しである。
私は、明確な目標がないと怠けてしまうので、10年前から毎月、二つの小論文の発表を続けてきた。論文の資料集めは、半年前から始める。この段階は、大変楽しい。論文にまとめるときは、毎回苦闘する。
出来不出来はある。常に何か新しい知見、理論、提案をするように心掛けている。社会的に関心が寄せられるとうれしい。
継続が重要だ。「しばらく充電をする」として対外的な活動を休止する人がいる。若いころであれば、充電の効果はあるが、高齢になると、ひと月休むと永遠の充電になってしまう。
努力を続ければ、何とか時代の進歩に置き去りになることはないと信じている。
東京・永田町の憲政記念館に尾崎行雄の「人生の本舞台は、常に将来に在り」という言葉が掲示されている。常に私は励まされる。過去を振り返らず、明日は今日より向上するよう努力を継続していきたいと毎日、心で反芻している。