環境研究最前線~つくば・国環研からのレポート第23回 海が二酸化炭素を吸収する~海水CO2濃度観測

2016年08月15日グローバルネット2016年8月号

地球・人間環境フォーラム
刈谷 滋(かりや しげる)

海が二酸化炭素を吸収する――。

このことを皆さんはご存じだろうか。2013年から2014年にかけて発表された、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書(AR5)では、海洋は排出された人為起源の二酸化炭素(CO2)の約30%を吸収していると報告されている。

現在、人為活動により大気中に放出されるCO2は、その半分以上を森林や海洋が吸収しており、吸収されずに大気中に残ったCO2が、大気のCO2濃度を年々押し上げている。今や大気CO2濃度の増加をコントロールするための対策が地球規模で不可欠になっていることは言うまでもないだろう。

この対策を議論するためには、将来の大気CO2濃度が、科学的知見に基づいて、できるだけ正確に予測されることが重要となる。その予測計算のために、全球の海洋による大気CO2吸収量(実際には海洋から大気側へのCO2放出もあるので、大気―海洋間のCO2ガス交換収支という言い方が正しい)を、正確に見積もることが重要となってくるが、全海洋で観測を行うことは、実際には大変困難であるため、一部の海域の実測データと、そのデータを基に未観測海域を推定するモデル計算を組み合わせて行うことになる。

本稿では、この大気―海洋間CO2ガス交換収支(CO2収支)の観測について、国立環境研究所(NIES)地球環境研究センター大気・海洋モニタリング推進室の中岡慎一郎研究員に伺った取り組みについてご紹介したい。

海水中のCO2濃度を測る

中岡研究員に海水中のCO2濃度を測定する方法について聞いたところ、「海水中に溶存するCO2の濃度を測定するためには、気液平衡器(平衡器)を使います。この平衡器により、CO2濃度が海水中と同じ空気(平衡空気)を生成し、CO2測定装置に送り込んで濃度を測定します」という回答であった。

写真中央の半透明の筒を備えた装置が海水中のCO2濃度を測る気液平衡器

本装置は観測を行う船舶内に設置され、縦に置いた長さ1.5mほどの筒の上から下に向かって大量の海水を流し続ける一方で、筒の下側から空気が吹き込まれている(写真)。空気が小さな気泡となって筒を昇っていく過程で、徐々に泡の中のCO2濃度が海水中のCO2濃度に近づいていき、筒から出てくるときには、平衡状態(海水CO2濃度と同じ)になるというイメージである。実際には、平衡器の筒に入ってきた海水をまず、筒内に取り付けられた細長い仕切り板によって、しぶきにして空気と混ぜ合わせる処理を前段に加えることで、非常に効率よく平衡化を達成している。

CO2濃度観測のためには欠かせない平衡器だが、各国の研究機関や機器メーカーがさまざまなタイプの平衡器を開発している。「他の研究機関の平衡器の多くは小流量の海水を利用することを前提として造られていますが、NIESが開発した平衡器は毎分15リットル程度の大流量の海水を利用します。海水CO2濃度は、水温により変化するため、船外の海水温と平衡器内水温の差は極力小さくする必要があります。一般的に、船底からポンプでくみ上げた海水は船内の給水管を通る間に水温が若干上昇してしまうため、流量を多くすることにより、海水が給水管を通過する時間を減らすことができます。結果としてNIESタイプの平衡器は昇温を抑えることができるというアドバンテージを有しています。ただし、昇温を小さく抑えても測定結果に影響が出てしまうため、海水取り入れ口と平衡器内に高精度水温計を備え付けて、水温差を正確に測定してCO2濃度を補正しています。また、観測システムは、給水配管をできるだけ短くするために、船底に近い場所に設置しています」と正確な観測データを得るための工夫について教えてくれた。

未観測海域の海水CO2濃度の推定

NIESは、船会社の協力により、民間協力貨物船に平衡器などのCO2濃度観測システムを設置し、北部太平洋域(1995年開始)と西部太平洋域(2005年開始)で、長期にわたって観測を実施している。しかし、海洋は広いため、航路から外れた海域が未観測で取り残されている。中岡研究員は、この課題についても新しい手法を使い積極的に挑んでいる。「未観測海域の海水中CO2濃度は従来、輸送モデルや重回帰分析という手法で推定されていました。輸送モデルでは異なる年の観測データを同じ年のデータとして取り扱うためCO2濃度の平年値を推定するのには有用ですが、年々変動はわかりません。また重回帰分析では、特定の季節や海域ごとに、水温や、塩分、クロロフィル濃度(=植物プランクトンの量)などの要素と、海水CO2濃度の関係を一次式で表し、CO2濃度を推定するものですが、広大な海域を1本の関係式で表現することは困難です。今、私たちが利用している手法は、ニューラルネットワークと呼ばれるもので、脳神経細胞の情報処理方法にアイデアを得た解析技術です。これは実測された各要素とCO2濃度のデータセットをコンピュータに学習させ、観測値のない海域のCO2濃度を推定する手法です。この方法では、正確な長期間のデータの蓄積から一定のCO2濃度の変化傾向が把握されている必要があります」。

ニューラルネットワーク手法を用いて得られた海水CO2濃度マップを検証したところ、既存の手法で得られた結果とよく一致しているだけでなく、エルニーニョ南方振動が北太平洋のCO2濃度年々変動にも影響を与えていることがわかったという。

CO2収支の計算

海水CO2濃度の推定が完了すると、ようやく大気―海洋間CO2収支の計算ができる。CO2収支は、大気と海水のCO2濃度差と風の情報から計算できる(風が強いと大気―海洋間ガス交換が促進される)。中岡研究員が作成した北部太平洋域のCO2収支マップ(年間平均)を下図に示した。場所によって、海洋が大気からCO2を吸収していたり、逆にCO2を大気に放出していることがよくわかる。なお、NIESの本プロジェクトや他の研究機関で観測された大気・海洋CO2濃度データは、国際的な共通データベースに蓄積されている。これらのデータが次のIPCC第6次評価報告書を作成するためのCO2濃度予測の基礎データとなり、最終的には各国間の政策決定につながっていく。このニューラルネットワークによるCO2収支の予測結果が、今後の大気CO2濃度予測の精度を上げるために寄与していくのが望まれるところだ。

正の値は海洋から大気へのCO2放出、負の値は大気から海洋へのCO2吸収を意味している(中岡氏提供)

最後に、中岡研究員は今後の研究の展開について「ニューラルネットワークを利用して、全球の海洋CO2濃度分布推定の研究を進め、海洋のCO2吸収量の時間・空間的変動に関する知見を深めていきたいと考えています。さらに、海洋がCO2を吸収することによって起きる海洋酸性化の傾向の把握も合わせて進めていきたいです」と意欲を語ってくれた。

CO2を海洋が吸収すると、今度はそのために海洋が酸性化するとは。CO2にまつわる問題は尽きない。

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