特集/シンポジウム報告 人間と地球のための経済 ~経済学は救いとなるか?~経済学と人間の心:
宇沢教授が持続可能な未来に遺したもの
2016年06月15日グローバルネット2016年6月号
京都大学名誉教授
公益財団法人地球環境戦略研究機関シニアフェロー
松下 和夫(まつした かずお)さん
特集/シンポジウム報告
人間と地球のための経済 ~経済学は救いとなるか?
宇沢弘文教授 メモリアル・シンポジウム故・宇沢弘文東京大学名誉教授の追悼シンポジウムが3月16日、国連大学で開かれました(主催:宇沢国際学館)。宇沢氏の教え子で、2001年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授の基調講演、ゆかりの人たちによる講演やパネルディスカッションの要旨を紹介します。要旨の作成にあたっては(株)東洋経済新報社のご協力をいただきました。
宇沢先生は1950年代半ば~60年代後半、米国の大学で数理経済学的手法による経済成長理論などで先駆的な業績を上げました。しかしベトナム戦争に邁進していく米国に住むことに苦悩を感じ、帰国を決意したと後に伺いました。
ところが高度経済成長時代の当時の日本は深刻な公害問題や自然破壊が頻発し、歩道も未整備のままモータリゼーションが進んでいました。先生はその現状に衝撃を受け、新古典派経済学を根本的に構築し直す作業に入り、社会的共通資本理論の提唱に至ったのです。
先生が取り組もうとしたことは、個人の人間的な尊厳が守られ、魂の自立が図られ、市民の基本的権利が最大限に発揮できるような安定的な社会の具現化でした。経済を人間の心から切り離し、現実を文化的・歴史的・社会的な側面から切り離す近代経済学の現状を批判的に再構築し、根源的な命題の実現に取り組もうとしたのです。
先生は、公害関係の研究会にも参加していましたが、当時の理論経済学者としては珍しく、公害や自然破壊の現場にたびたび足を運び、被害者や地域の人びとの声にも真摯に耳を傾けました。
社会的共通資本を提唱
宇沢先生は社会的共通資本の概念を提唱し、現代の経済や文明に対し警鐘を鳴らし続けました。
社会的共通資本とは、山や森などの自然環境、社会的インフラ、そして病院、学校などの制度資本から構成され、一つの国または特定の地域が、豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的・安定的に維持することを可能にする自然的・社会的装置であり、社会全体の共通財産として、社会的基準に従って管理・運営されるべきもの、としています。
先生は社会的共通資本の概念に基づいて公害問題に取り組み、1974年に『自動車の社会的費用』を発表しました。これは、自動車利用による社会的共通資本の汚染や破壊に焦点を当てて自動車の社会的費用を算出したもので、社会に大きなインパクトを与えました。
また、先生は地球温暖化対策として、早い段階から各国の一人当たりの国民所得に比例して税金を課す比例的炭素税と、比例的炭素税の税収から育林への補助金を引いた一定の割合を、各発展途上国に人口や一人当たり所得などの一定のルールに基づいて配分し、発展途上国はこの基金から配分された額を熱帯雨林の保全や農村の維持などに使うという大気安定化国際基金構想を提案しました。
国際的にはまだ受け入れられていませんが、各国が合意すれば理論的には可能であり、実現に向けて取り組む必要があると考えます。
閉鎖性経済から持続可能な発展への展開
地球という有限な閉鎖系の中では無限の経済成長は不可能であると、米国の経済学者ケネス・E・ボールディングがいち早く指摘しました。彼は1966年に『来たるべき宇宙船地球号の経済学』の中で、無限に資源を利用できるという従来の経済学の想定には無理があるとして、これを略奪と自然資源の破壊に基づき消費の最大化を目指す「カウボーイ経済」と呼んで批判し、彼の警告は現実感を持って受け止められました。
しかしボールディング氏の指摘から半世紀が経ちましたが、世界のほとんどの国の政府や指導者は、依然として物質経済は際限なく成長を続けることが可能で、経済成長がすべての問題を解決すると信じ、一般社会もGDPで象徴される経済成長で政府の業績を評価しています。
社会的共通資本の管理の在り方と関わりのある持続可能な発展
経済発展を環境・社会面から持続可能なものにすることを意図して提唱された持続可能な発展について、国連ブルントラント委員会は1987年に発表した『Our Common Future』で「将来の世代のニーズを満たす能力を損なわないような形で現在の世代のニーズを満たすこと」と定義しています。
さらに「資源の開発、投資の方向、技術開発の傾向、制度的な変革が、現在および将来のニーズと調和のとれたものとなることを保障する変化の過程」として、持続可能な発展は社会の技術や制度、資源の利用の仕方と深く関わっており、変化のプロセスに着目する必要性があると述べています。
持続可能な発展は、宇沢先生が提起された社会的共通資本の管理の在り方と深い関わりがあると思います。持続可能な発展の実現とは、高度産業社会の進展の中で起きている多様な環境問題を解決し、ポスト高度産業社会の新しい環境社会像を構想して、社会的公平性を確保し、その実現に向けて、制度・技術・投資・資源の開発を継続的に変革・統合していくことを意味し、これは、社会システムそのもののイノベーションと、社会的共通資本の社会的管理が求められていることを示すものです。
環境経済学者のハーマン・デイリーは「持続可能な発展は環境の扶養力を超える成長を伴わない発展」と定義しています。デイリー氏は資源を再生可能/不可能な資源に分け、再生可能な資源の利用について再生可能な範囲に限定し、再生不可能な資源については代替物が開発されるスピードの範囲内に限定する、汚染物質については環境の自浄能力の範囲内に限定する、という環境面からの持続性の原則を提起しています。注目すべきは、従来の経済学が対象としてきた効率的資源配分と公正な所得配分に加え、自然生態系の扶養力(環境容量)に基づく持続可能な最適経済規模の達成という新しい政策目標を明示した点にあります。
生活の質にも配慮した安定的な社会である経済の定常状態
古典派経済学者のジョン・スチュワート・ミルは、人的資本・人工資本・自然資本のストックが一定量となった状態が毎年反復し、経済の規模が拡大も静止せず、世代交代と資本が更新を続け、人口・資本量・生産量・消費量などのレベルは変わらないままに推移する経済の「定常状態」について、生活の質にも配慮した安定した社会として積極的に評価しています。
ミル氏は1848年の『経済学原理』で、定常状態でも、精神的文化や道徳的社会的進歩と生活技術の改善の余地は大いにあり、また、生産性の向上により、精神的・文化的により豊かな生活ができるようになる、などと述べています。人口と物理的な資本ストックの増加がゼロでも、技術と倫理は継続的に改善していくというミル氏の「定常状態」について、デイリー氏は量的増加を伴わない質的改善、すなわち持続可能な発展を論じたとして積極的に評価しています。
また、宇沢先生の社会的共通資本論をさらに展開したものとして、先生の教え子の一人で、ケンブリッジ大学のパーサ・ダスグプタ教授は、持続可能な発展は生活の質、すなわち社会的福祉の持続的向上が実現する発展であるとし、長期的に持続可能な発展を図るため、資本ストックの量を重視した包括的富指標(IWI)を開発しました。人的資本・人工資本・自然資本を中心に資産を評価し、140ヵ国を対象にデータを精査して数値化し、2014年の報告書で自然資本と人的資本を向上させる政策を提唱しました。
先生の思いを引き継ぎ、社会が直面する問題の解決を
昨年、持続可能な開発目標(SDGs)とパリ協定が採択されました。世界は、SDGsが目指す2030年までに貧困や飢餓を撲滅するという目標とパリ協定で合意した21世紀後半のネットゼロ炭素社会の実現を、相互補強的かつ公平に達成するというチャレンジに直面しているといえるでしょう。
宇沢先生の業績を振り返ってみると、いかに先生が先見的に深い洞察力を持って問題を考え、一方で、地域の人や被害を受けている人に対して温かく優しい眼差しを注いでおられたかということに思い至るのです。そういった宇沢先生の思いを引き継ぎながら、社会が直面する根源的な課題に研究者、実務家、市民ともども取り組むべきであると改めて考えます。