フォーラム随想スマトラ島の熱帯林の回復を目指す

2016年05月15日グローバルネット2016年5月号

自然環境研究センター理事長・元国立環境研究所理事長
大塚 柳太郎

今から2年ほど前、私はインドネシア・スマトラ島北部の熱帯林を訪れていた。アチェ州と北スマトラ州にまたがり、面積が7927平方キロメートルもあるグヌン・レウセル国立公園の東南の一角である。この地域では、オランウータン情報センター(OIC)というNGOが活発に活動を続けている。

私は早朝に到着したメダン空港から市内のOICのオフィスに直行し、代表のパヌット・ハディシスウォヨ氏(以下、パヌット)と落ち合いグヌン・レウセルの森に向かった。道沿いにはアブラヤシのプランテーションが続き、すれ違う車の多くは収穫したてのアブラヤシの実を落ちこぼれるほど積み込んだトラックだった。

OICの創設者でもあるパヌットは、1974年にメダン郊外の村で生まれ、苦学して大学を卒業した後、英国に留学する機会を得て、コミュニケーション学と霊長類保全学の修士号を授与されている。彼は、グヌン・レウセル国立公園の保全を真剣に考え、既存のNGOの支援を得て2001年にOICを設立した。

私が関わっている日本の公益財団法人が、OICの活動に共感し数年前からささやかなサポートを行っている。OICが、自然保護のための地域住民や学生らとの協働、地域社会の貧困の緩和を重視していることもサポートを始めた大きな理由だった。

OICの創設以来の課題は、オランウータンはもちろん、生存の危機がそれ以上に深刻なサイやゾウなどの保全、そして荒廃した森の植生回復である。私たちのささやかなサポートとは、この地域の樹木や草が手に取るようにわかる植物の写真集づくりに必要なノウハウを移転することである。

2年前のスマトラ訪問に話を戻そう。メダンからグヌン・レウセルに向かう車の中で、パヌットは「この地域の現金収入源はアブラヤシ栽培にほぼ限られ、村人も自分たちの小規模なプランテーションをつくっている」、一方で、「大企業が大規模なプランテーションを造ろうとして行った違法伐採で、国立公園内の森の多くが失われた」と話してくれた。

私たちは、4時間ほどで国立公園に近いベジタン村に着いた。村の中の10メートル四方くらいの区画で、数名のOICのスタッフが村人と植林用の苗木の世話をしていた。ビニールポットの中の発芽直後のものから幹が1メートル以上のものまで、多くの苗木が並んでいた。

村外れに、OICの高床式の小屋が建てられていた。屋根はトタン張りで、壁の代わりにテント布がぶら下げられていた。小屋には、メダンの大学の大学院生と学生15名ほども寝泊まりしていた。彼ら/彼女らは、この地域の動植物をテーマに修士論文や卒業論文の研究をしており、空いた時間に居候代の代わりにOICの植林などを手伝うという。

翌日、国立公園内の違法伐採の跡地に向かった。森の中を歩いていると、突然明るいところに出た。丈の高い草に覆われ倒木が散在する荒地がはるか遠くまで広がり、伐採の凄まじさを物語っていた。救いは、荒地に多くの樹木が育ち始めていることだった。OICのスタッフが、雇用した村人とボランティアの学生とともに60万本の苗木を植えていたのである。

午後は、私たちが贈ったカメラを持ったOICのスタッフと原生林の中を歩いた。それぞれの樹種ごとに、幹、枝、葉、花、種子などの写真を何枚も撮るのである。森の中は起伏に富み、樹高が30メートルを優に超える樹木も多く、苦労は絶えないものの、素晴らしい写真が着々と集積されていた。

最近、パヌットからうれしいメールが届いた。私も泊めてもらったベジタン村の小屋が改修され、インドネシア政府によりグヌン・レウセル国立公園の保全基地に認定されたという。小屋には、この森の植物の写真が壁いっぱいに飾られるであろう。

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