あすの環境と人間を考える ~アジアやアフリカで出会った人びとの暮らしから第6回/不安定な降雨と付き合う三つの知恵
~サヘル・スーダン帯からの報告
2016年04月15日グローバルネット2016年4月号
総合地球環境学研究所
石山 俊(いしやま しゅん)
はじめに
アフリカのサハラ南縁には、サヘル帯、スーダン帯と呼ばれる乾燥・半乾燥地図 赤道以北アフリカの気候・植生区分と調査地が東西に長く横たわっています(図)。
このサヘル・スーダン帯の気候変動の特徴は、気温の高低よりも、降雨の多寡に表れてくることです。他方、サヘル・スーダン帯は、11世紀以降数々のイスラム王国が成立した歴史豊かな地域でもあるのです。つまり、サヘル・スーダン帯の人びとは、降雨の変動と長い間付き合ってきた術を持っていたと考えてもよいのではないでしょうか。
降雨変動と付き合う術は、現代の農民にとっても重要です。私がこれまでチャド、ブルキナファソ、スーダンの3ヵ国を渡り歩き、見聞した情報から降雨変動と付き合う農民の三つの知恵を紹介します。
南下移住-チャド湖南岸地域の場合
チャド湖の東岸から南岸にかけて、農耕民族であるカネムブが分布します。カネムブは11世紀後半から19世紀末まで王都を変遷させながら存続したカネム・ボルヌ帝国の末裔です。
チャド湖の南岸地域、トゥルバという町とその周辺村落を馬や馬車で巡り、村落史の聞き取りをしたことがありました(写真①)。
その結果、聞き取りをしたカネムブの村長51人のうち、32人の起源がチャド湖東岸のディビニンチ地方であることがわかりました。祖父から父の世代にトゥルバと周辺村落に80㎞ほど南下して移住をしたのです。
ディビニンチ地方からの移住が行われた時期は、19世紀末から1960年代初めにかけてであることも、聞き取りからわかり、チャド湖一帯の干ばつ期と一致する場合が多かったこともわかりました。
ディビニンチ地方の1913~1994年までの平均雨量は270㎜です。これは、灌漑なしに営まれる天水農業の限界300㎜を若干下回る数値です。降雨が減少し、天水農業が難しくなったために年雨量400~500㎜のチャド湖南岸に南下したと考えてもよいでしょう。
他方、トゥルバおよび周辺村落の位置は、シャリ川がチャド湖へ注ぐ下流デルタ地帯にあります。多雨期には湿地帯が広がり農業が困難な地域であったことでしょう。老人たちからの証言によってもこのことが確認できました。「その昔この一帯には湿地帯が多く、わずかのウシ牧畜民のアラブ・シュワが住んでいたにすぎなかった」というのです。降雨量が減ったことによって、チャド湖南岸のシャリ川デルタに広がっていた湿地が干出し、可耕地帯となったところに農耕民族カネムブが住むことができるようになったのです。
生業の多様化-ブルキナファソ北東部の場合
二つ目の事例は、農耕民族であるグルマンチェによる生業の多様化です。グルマンチェの分布域は、ブルキナファソ東部、ニジェール西部、ベナン北部にまたがっています。私が調査を行った村落はグルマンチェの分布北限に位置するブルキナファソ北東部、年雨量がおよそ500㎜のバンプリンガ村でした。バンプリンガ村の住民の大半はグルマンチェですが、ウシ牧畜民族のフルベもわずかながら住んでいます。
ここでの聞き取りによると、グルマンチェが最近30~40年以来、ヤギ、ウシなどの家畜を飼い始めたそうです(写真②)。
150頭のヤギと20頭のウシを持つ大所有者もいました。しかし、以前はグルマンチェが家畜を飼うことはほとんどなかったそうです。まれに家畜を所有する者がいたとしても、近隣に住むウシ牧畜民族であるフルベに家畜を預けていました。では、なぜ農業を営んできたグルマンチェが家畜を飼い始めたのでしょうか。老人が答えるに、雨が少なくなってソルガム、トウジンビエなどの穀物の収穫量が落ちたことが理由なのだそうです。家畜ならば頭数が次第に増え、収穫が少ないときは家畜を売って穀物を買うことができます。降雨量の減少も家畜飼育には有利に働きます。
穀物の収穫量の減少から金鉱へ出稼ぎに行く人も若者を中心に多くいます。これ以外にも、漁労を始めたり、NGOや政府機関からの融資を受けるなど、穀物不足時にはさまざまな対処が取られるのです。
多様な栽培作物と輪作体系-スーダン東部の場合
最後は、年雨量500~800㎜のスーダン東部ガダーリフ州の事例です。ガダーリフ州には多数の農耕民族が農業を営んでいます。
スーダンで栽培されるモロコシ品種は、他のアフリカ乾燥地域に比べて格段に多いのです。例えば、先に見たバンプリンガ村の場合2品種しかありませんが、ガダーリフ州の中心地であるガダーリフの市場で確認されたモロコシは23品種にも達しました。それぞれの品種には特徴があり、味、栽培期間、背丈の違いだけではなく、茎が家畜飼料に適しているものといった特徴まで農耕民たちは知り尽くしています。これらの品種を畑の肥沃度や水分、降雨状況によって使い分けるのです。スーダンでこれだけ多数の品種が存在するのには、三つの理由が考えられます。一つ目はモロコシの原産地に近いこと。二つ目は農業試験場での品種改良が盛んであること。三つ目は、ガダーリフ州に多数居住する、スーダン西部から移住してきた人びとが持ち込んだ可能性です。これにトウジンビエ、ゴマなどが加わって世帯ごとの複雑な輪作体系ができあがるのです。(写真③)
ダイナミックな生業の営み
降雨変動、とくに少雨に対する三つの知恵を見てきましたが、これらのうちとくに一つ目の移住と二つ目の生業多様化は複合的に組み合わされることもあります。実際チャド湖南岸の農耕民族カネムブの家畜所有者も多く、バンプリンガ村の農耕民族グルマンチェも3代前にニジェール西部から移住したそうです。ガダーリフ州のソルガム品種多様性も、スーダン西部からの移住者と深く関係があります。サヘル・スーダン帯の農耕民族のダイナミックな生業の営みの一端を示せたと思いますが、それこそが不安定な降雨状況と付き合ってこられたサヘル・スーダン帯に住む人びとの知恵なのです。