21世紀の新環境政策論 ~人間と地球のための持続可能な経済とは第13回/カーボン・プライシング(炭素の価格付け)を考える ~スティグリッツ教授の講演から

2016年04月15日グローバルネット2016年4月号

京都大学名誉教授
松下 和夫(まつした かずお)

宇沢弘文教授の追悼シンポジウムが去る3月16日、国連大学で開かれた。

このシンポジウムでは宇沢教授の教え子で、情報の非対称性の経済学に関する業績によって2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ・米コロンビア大学教授が基調講演を行った(筆者も報告者、パネリストとしてこのシンポジウムに参加した)。

スティグリッツ教授は著名な理論経済の研究者であるとともに、米国のクリントン政権下で大統領経済諮問委員会委員長として経済政策に関与し、その後世界銀行上級副総裁(チーフエコノミスト)として現実の開発途上国の開発問題にも深く関わっている。

シンポジウムで講演するジョセフ・スティグリッツ教授

その当時国際金融基金(IMF)が実施していた途上国に対して厳しい財政規律を求める構造調整策について、途上国の人びとの生活を圧迫しているとして強く批判したことで知られている。その後グローバリゼーションの弊害や、米国における所得格差の拡大を実証的に明らかにし、さらに米国および多国籍企業主導で進められるTPP(環太平洋パートナシップ協定)交渉にも批判的な立場を表明している。明晰な理論的分析に依拠しながら、現実の経済・社会問題に根源的な立場で取り組む姿勢は、宇沢弘文教授と共通している。

スティグリッツ教授の講演のタイトルは「グローバリゼーションと地球の限界下における持続可能な社会と経済」であり、気候変動に取り組む衡平かつ現実的なアプローチとして、カーボン・プライシング(炭素の価格付け)を強調し、有志国連合による炭素税導入と国境調整税が有効とした。

本稿では、カーボン・プライシングとは何か、その最近の世界的動向を概観し、スティグリッツ教授の提案を紹介する

カーボン・プライシングとは何か

カーボン・プライシングとは、炭素に価格を付けることである。すなわち、気候変動の原因となる二酸化炭素(CO2)による社会的外部費用(気候変動によるさまざまな被害など)を内部化するために、排出される炭素の量に応じて何らかの形で課金をすることである。このことによって、排出削減に対する経済的インセンティブを創り出し、気候変動への対応を促すことになる。炭素に価格が付くことによって、CO2の排出者は排出を減らすか、排出の対価を支払うかを選択することになる。その結果、社会全体ではより柔軟かつ経済的にCO2を削減できる。

炭素の価格の社会的・経済的に望ましい水準は、大気中のCO2の蓄積が限界的に1単位増えたとき、その結果生じる大気の自然的恩恵、人間の経済的・社会的・文化的側面での価値の限界的減少を評価し、現在から将来の社会的割引率で割り引いた現在価値となる(宇沢(1995,地球温暖化の経済学))。

カーボン・プライシングの具体的な手法には、炭素税(環境税)、排出量取引制度などがある。カーボン・プライシングによって、低炭素技術への投資と市場の拡大へのインセンティブともなる。

世界銀行によると、2015年11月現在世界では約40ヵ国と23の都市が排出量取引制度や炭素税などカーボン・プライシングを実施しており、世界の排出量の約12%をカバーしている。すでに実行されているもしくは計画中のカーボン・プライシング制度の数は2012年以降倍増しており、その市場規模はおよそ500億米ドルに達する。近年は民間企業でも、企業の社会的責任を果たす目的や、将来の炭素課金を見越して、自主的に社内的なカーボン・プライシングを導入し、社内での経営や投資計画に活用する事例も増えている(英国の環境NPO、CDPの2015年の調査によると世界の主要435社が社内的にカーボン・プライシングをすでに導入済みで、538社が2年以内に導入予定)。

パリ協定は2℃目標達成には不十分

以下に、スティグリッツ教授の講演から引用する(引用は筆者の文責)。

「われわれは地球の限界を超えた生活をしている。ところが昨年12月にパリで開催されたCOP21は、国際社会のコンセンサスとなっている2℃目標を達成するための拘束力のある合意に失敗した。その主たる理由は米国の議会と気候変動否定論者にある。しかし、COP21は、気候変動への取り組みの勢いを生み出し、将来炭素に価格が付けられるとの信念によってより多くの企業が温室効果ガス削減の行動を起こすようになり、それがより強固な気候変動政策の基盤作りに資することによって重要な勝利を勝ち取ることができたかもしれないのである。

今後の真の課題は、気候変動に地球規模で衡平な方法で取り組むことである。大気は地球公共財であり、誰もが便益を享受したがるが、だれもその保全のコストを負担したがらない。なおかつ先進国と途上国では累積的および現在の排出責任に差異があり、しかも気候変動の被害は途上国に多く降りかかる。自主的な取り組みは成功しないのが通例だ」

有志国連合による炭素税と国境調整税の導入、グリーンファンドの創設が必要

「ではどうすればよいか。大多数の経済学者は、カーボン・プライシングが排出削減に最善の方法であることに合意している。各国は、炭素税収入により他の税を軽減でき、社会全体の便益の低下を小さくできる(場合によっては便益を増やすことにもなる)。経済の基本原則は、良いこと(労働、投資など)よりは悪いこと(汚染物質、資源浪費など)に課税することである。炭素税を導入すると、その収入は国内にとどまり活用できる。

カーボン・プライシングを炭素税導入により実施する意思を持った有志国連合を形成し、それぞれの国で炭素税と国境調整税を導入すると、他の国にも有志連合に加入するインセンティブを生み出すことになる。ところがTPP、とりわけその投資協定は、加盟国がCO2排出への規制やカーボン・プライシングを導入することを困難にする可能性がある。

先進国の炭素税収入の一部(例えば20%)を原資としてグリーンファンドを創設し、有志国連合に加わり国内でカーボン・プライシングを導入している途上国での緩和策と適応策の支援を行うことにより、差異のある責任を果たすことができる」

ポリシー・ミックスが有効

スティグリッツ教授は、先進国に排出量を割り当てた京都議定書方式の取り組みの経験や、これまでの排出量制度の経験を踏まえ、エコノミストとしてカーボン・プライシングの有用性を強調しつつ、現実的なアプローチとして、有志国連合による炭素税と国境調整税の導入、グリーンファンドの創設を提唱している。ただし、自動車の燃費規制や建物の断熱基準強化などの直接的規制や、固定価格買取制度による再生可能エネルギーへの支援、公共交通整備への投資、低炭素技術の開発と普及への支援などの「非カーボン・プライシング的手法」を排除してはいない。むしろグリーン経済の推進と雇用創出手段として、それらの手段をカーボン・プライシングと組み合わせて、各国の状況に応じて推進することを推奨している。CO2の排出規制や、低炭素技術や再生可能エネルギーへの投資は、間接的に炭素に価格を付けることを意味する。炭素税などによる直接的なカーボン・プライシングの現実的な導入・拡大を図るとともに、その他の気候変動対策手法とも適切に組み合わせることにより、より持続可能で低炭素な社会を構築していくことができるのである。

シンポジウムでのスティグリッツ教授講演資料は国連大学のWEB サイト(http://ias.unu.edu/)で公開されている。より詳細な内容は J. Stiglitz( 2015), Overcoming the Copenhagen Failure with Flexible Commitments, http://carbon-price.com/wp-content/uploads/Global-Carbon- Pricing-cramton-mackay-okenfels-stoft.pdf で閲覧可。

※ このシンポジウムの内容は、2016年6月号で特集しています。

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