INSIDE CHINA 現地滞在レポート~内側から見た中国最新環境事情第54回 環境規制の嵐
2019年06月14日グローバルネット2019年6月号
地球環境研究戦略機関(IGES)北京事務所長
小柳 秀明(こやなぎ ひであき)
「経済発展と環境」立ち位置の変化
経済発展と環境(汚染対策)の関係はどの国でも同じような道をたどる。環境クズネッツ曲線という理論もできているくらいだ。中国でも20世紀中はずっと「先に汚染、後から対策」とやゆされながら、汚染対策を後回しにした経済発展モデルが主流であった。21世紀に入ってちょっと風向きが変わり始め、2006年4月に開かれた第6回全国環境保護会議では、温家宝国務院総理(当時)が「歴史的転換」(「3つの転換」とも呼ばれる)という環境重視の新しい指導思想を打ち出し、これまでの経済成長重視・環境保護軽視から双方とも重視、同時に実現に向けて進むことになった。
さらに大きくかじを切ったのは2012年11月に中国共産党総書記(2013年3月に国家主席)に就任した習近平氏である。習近平総書記は「生態文明の建設」(本連載第17回参照)と「八項規定」と呼ばれる綱紀粛正、腐敗厳罰を含む中国共産党員・官僚を戒める指導方針を前面に出して政治力を発揮した。生態文明の建設は「五大建設」(注:それまでは経済建設・政治建設・文化建設・社会建設の四大建設)の一つとして新たに党規約に入り、後の憲法修正(2018年)で「生態文明」の理念は憲法序文に入れられた。そして、生態文明建設の重要な構成要素として生態環境の保全が重視されるとともに、環境保護の推進を経済発展の原動力にしようとした。
地方査察の強化
八項規定の延長線上では、総書記・国家主席主導で国務院(日本の内閣に相当)が環境保護査察計画(試行)を策定し、中央政府環境保護部門が中心となって地方政府等の全国査察実施を決定した。この査察では、地方政府や企業の不作為、違法行為、腐敗などを徹底追及し、生態環境を損害する指導幹部に対して、厳しく責任を追及し、終身の責任追及をすべきとした。まず2015年12月から翌年2月まで河北省で試行的に実施し、7月以降4期に分けて全国すべての省および直轄市で本格的に査察を実施した。この査察で党・政府の指導者幹部を合計1万8千人以上問責した。
2018年にはこの第1ラウンドの全国査察の結果をフォローアップする「振り返り査察」が行われた。また、中央政府の機構改革で新たに誕生した生態環境部は、査察を専門に行う部署(中央生態環境保護督察弁公室)を新設した。省レベルの地方政府でも同様な組織を新設し始めている。
そして、今年5月からは第2ラウンドの全国査察が開始された。私の知っている某市の環境保護局副局長は数ヵ月にわたる第1ラウンドの査察を受け、連日深夜まで対応し病気になった。このように第1ラウンドでは一つの省や都市に数ヵ月間にわたって査察部隊が駐留することもあったが、第2ラウンドでは2週間以内(実質10日間程度)で集中的に実施するよう改められた。
技術レベルやコストを顧みない規制の強化
近年の特徴的な環境政策の一つとして、排出規制の強化が挙げられる。2006年から国務院が一部の汚染物質について排出総量削減(総量規制)を、都市等の行政単位や大企業集団ごとに排出枠を設けることにより厳格に実行してきた。一部の地域では排出権取引も試みた。10年の歳月を経て立ち遅れた工場の淘汰が進み、大規模工場では集じん・脱硫・脱硝設備、汚水処理施設等がほぼ完備されるようになったが、それでも環境の改善が思うように進まない。そこで総量規制に加えて、主要な業種に対して排出規制の更なる強化(「超低濃度排出」と呼ばれる)を実施することとした。手始めに行ったのが大気汚染物質の排出量が最も多い石炭火力発電所に対する規制強化だ(本連載第36回参照)。日本でも一部の石炭火力発電所でしか対応できていないような厳しい排出規制目標値を、2020年までに全国の発電所で達成することを求めた。途中で達成期限の前倒しや更なる規制値の強化も行った。2018年末までに全国の発電所の80%が目標を達成している。
次に標的にされたのが鉄鋼産業だ。昨年5月に規制強化案(超低濃度排出改造事業計画案)のパブコメが出され、今年4月に実施が正式決定された。河北省の一部の都市などでは正式決定前から企業に対して改造を強制している。そしてその次の標的としてはセメント製造業、ガラス製造業、石炭ボイラー、バイオマスボイラー等が挙げられている。これらの業種に関して国からは規制目標値に関する通知やガイドラインの案はまだ示されていないが、すでに各地方政府が国の意向を忖度して少しでも厳しい規制を企業に課そうと動き始めている。
私の見たところでは、どの業種もばいじんや二酸化硫黄は現在普及している技術レベルで超低濃度排出改造要求に何とか対応できるが、窒素酸化物については技術が未開発あるいはコストが高すぎるという課題があるようだ。それでも政府は企業に改造実施を迫る。
先月訪問した某大手ガラス工場の責任者は半分あきらめ顔で、来年あたり今の半分以下の濃度で排出するよう求められるであろうと呟いた。少し解説すると、ガラス溶解炉から排出される窒素酸化物濃度は非常に高い。したがって、どの国でも排出基準値は高めに設定されている。測定方法や単位が違うので、単純に比較するのは難しいが、日本の場合、排出基準値は約1,600㎎/Nm3に設定されている(換算後の値)。しかし、中国では2011年から700㎎/Nm3に設定され(以前は規制なし)、来年からは超低濃度排出改造要求で350㎎/Nm3にするよう指導されるというのだ。原燃料から抜本的に見直すしかないが、それでも難しい。
セメント製造業の例も挙げておこう。日本ではセメント製造用焼成炉の窒素酸化物の排出基準は250~350ppm(約340~470㎎/Nm3)であり、中国の現行の排出基準も400㎎/Nm3でおおむね同じ水準だ。しかし、各地方政府は超低濃度排出改造で100~150㎎/Nm3の水準を要求する動きがある。国の超低濃度排出改造に関する指針や通知がなくても、地方政府は地方基準(上乗せ基準)を設定することができる。関係者によると、いまだ安定的にこのレベルを達成できる脱硝技術は開発されていないようだが、それでも実施を迫っている。設備が古い工場や改造資金のない工場は生産停止するしか道はない。
立地規制も強化
また最近では、このような排出規制の強化とは別に立地規制の強化の動きもある。産業政策や現地の産業配置計画に合致しない企業は期限を切られて閉鎖や移転を迫られる。合致しないことを承知で進出した企業は仕方がないが、後から計画が作られて追い出される場合もあるから、企業にとっては災難だ。
今年3月21日に江蘇省の塩城市で化学工場の大爆発事故があったことは記憶に新しいが(写真)、これを契機に全国で化学工業団地の安全点検が行われている。江蘇省では現在省内に50ある化学工業団地を安全、環境対策等の面から全面的に評価し、20くらいまで削減することを検討している。
このような厳しい規制がいつまで続くのかという質問を受けることがある。一時的なものか、米中貿易摩擦の影響で変わるのではないかと推測する声もあるが、冒頭で紹介したように、党規約・憲法修正までして生態文明の建設を目指し、八項規定の延長線上で査察を継続的に強化する路線は、現政権下で容易に変わることはないだろう。環境規制の嵐は続く。