フォーラム随想佐渡島のトキの野生復帰に想う
2018年11月16日グローバルネット2018年11月号
自然環境研究センター理事長・元国立環境研究所理事長
大塚 柳太郎
本年10月15日午後0時3分、新潟県佐渡島の両津運動広場で、トキが青空に向かって放たれた。まず6羽、ついで5羽。一瞬躊躇するものもいたが、瞬く間に、すべてのトキが思い思いの方向に元気に飛び立っていった。
放鳥されたのは1~3歳のオスで、羽の色は成鳥のような「とき色」ではなく淡いピンクだった。トキたちは、佐渡島と島外の四つの分散飼育施設で育てられ、本年6月から島内の野生復帰センターで、「飛ぶ」「餌をとる」「群れで行動する」ためのトレーニングを受けていた。なお、本州など遠くまで飛ぶことが多いメスは、後に放鳥予定とのことである。
日本で特別天然記念物に指定されている15種の鳥類の中で、最も関心を集めてきたのはトキであろう。かつて、トキはロシアと中国の東部、朝鮮半島、日本列島、台湾に広く分布していた。ところが、19~20世紀に肉や羽を目当ての乱獲、さらには山間部の水田の消失や冬に水田の水を張らない影響で餌になる小動物が減り、急速に数を減らした。
日本では絶滅したと考えられていたが、1930年代に佐渡島で生息が確認され1934年に天然記念物に指定された。しかし、1952年に特別天然記念物に指定された時には、佐渡島と能登半島にわずか24羽が生息するだけであった。
状況が大きく動いたのは1970年代末である。環境庁(現・環境省)が、佐渡島に最後に生息していた5羽のトキの捕獲プロジェクトを始めたのである。1981年に5羽の捕獲には成功した。しかし、繁殖には至らなかった。
中国では、1981年に陝西省の洋県で7羽の生息が確認され、人工繁殖を並行させる保護計画が策定された。これを機に、日本と中国とのトキをめぐる協力が始まり、中国でのトキの人工繁殖の成功には日本人研究者も貢献し、一方で中国からは日本へのトキの贈与や貸与が行われるようになった。
日本では1999年に初めてトキの人工繁殖に成功したが、そのつがいはともに中国生まれだった。その後も繁殖は順調になされ、念願の自然復帰を目指す放鳥が2008年に初めて行われた。2012年には放鳥された個体同士による野生下での繁殖も始まり、現在では約350羽のトキが空を舞っているのである。
日本人にとって、トキは特別天然記念物であり、自然共生のシンボルともいえる里山に棲み、水田とその周辺にも頻繁に姿を見せることから、特段の親しみを持たれてきたのであろう。しかし、人間が原因で絶滅の瀬戸際に追い込まれていたのである。
そのトキが数を増やし放鳥され自然界で生きるのに最も貢献したのは、農民の方々であろう。トキのために、餌になるカエル・ドジョウ・タニシなどの水生動物が生きやすいよう、水田で使う化学農薬の量を極力抑え水田の周りのビオトープを整備してきた。
他にも多くのことが挙げられる。その一つは、行政・研究者・地元の地域コミュニティ・学校・産業界・ボランティアグループの連携である。科学的なデータに基づく飼育・繁殖・放鳥計画つくり、自然界で暮らすトキの早朝からのモニタリングなど、トキの野生復帰に向けたさまざまな取り組みにおけるセクター間の協働が素晴らしかった。
もう一つは、繁殖の成功に向けた中国と日本との協力がスムーズに進んだことである。トキには国境は意味を持たないが、両国の関係者の多くが「両国の協力がなければ、どちらの国もトキを失っていただろう」と述べていたのが印象的であった。
トキが飛ぶ姿を見、トキの野生復帰に関わった方々の話を聴くと、今回の記念放鳥のキャッチフレーズでもある「人とトキの共生」に向け、これからも多くの課題があるとしても、その目標に大きく近づいたといえよう。