フォーラム随想知のスタミナづくり
2018年10月16日グローバルネット2018年10月号
地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂
ワープロを使うようになってから、簡単な漢字を忘れることがある。周りに人がいると、冷や汗ものだ。手を使って漢字を書いていないためだろうか。
ワープロが一般化した後も、平成12年ごろまでは、手書きで原稿を書いていた。当時は、週に一つくらいの雑文を書く程度だったが、鉛筆で書かないと文章が出てこなかった。
小説家の中には、今でも手書きで原稿を書く人が多いが、たぶん同じことなのだろう。「頭脳から文章が溢れ出て、4Bの軟らかい鉛筆でないとスピードが追い付かない」と話す小説家の記事を読んだことがあるが、納得できた。
そういう私は、出版社の人から「字の判読が難しい」と小言を言われたので、仕方なくワープロを使用するようになった。最初は、原稿を書き上げるのに時間がかかったが、慣れてくると、これ程便利なものはない。おおまかに書いて、後で追加する、文章の推敲も繰り返せるので、能率は上がった。今ではワープロでないと原稿が書けなくなったから、恐ろしい。
旅先でも原稿を執筆するため、小型のパソコンを買い求め、新幹線で原稿を書く(というより打つというべきか)こともあった。しかし、これは新幹線の揺れのため目が疲れるので、続かなかった。
最近は、インターネットで簡単に情報が入手できる。ちょっとした数字や昔の事件などを調べるのに重宝している。若い人の知識の源は、もはや本ではなく、スマホが中心だ。
これで良いのだろうか? 私は、いつも心配になる。スマホは、断片的な情報を即座に得るには便利だが、体系的で包括的な論理の展開を学ぶには不向きである。
大学生が、参考文献を渉猟する姿は、消えてしまった。これでは学問にならない。欧米の大学では授業ごとにたくさんの参考文献を読む宿題が課されると聞くが、これでは日本の学生の学力は、欧米に劣るばかりだ。
スマホ全面依存症になっている。知識や思考をスマホに委ねてしまい、スマホがないと何もできなくなる。知識を自分の頭に蓄積するという面倒なことを放棄している。
優れた判断や思想は、記憶された知識が基礎になる。詰め込み教育の批判があるが、しっかりとした思考を経た知識が不可欠だ。今のままだと知識の記憶量が、不足することにならないか。最近の黒白をつける二分法的思考が、世界的にまん延しているのも、これが一因ではないだろうか。
年齢を重ねるにつれ、記憶力の衰えを実感する。しかし、肉体の衰えは、運動と栄養によって鍛え直すことができるように、知の領域もスタミナを増加させることは可能なはずだ。
人間の脳は、大半が使われていないから、鍛える余地は、十分にある。そこで知識量を増大させるため、懸命に努力している。
アメリカの50州をそらんじることは、なかなか難しい。訪れたカリフォルニア、ノースカロライナ、ジョージアなどは忘れないが、日本人になじみの薄い州は覚えるのに苦労する。さらに州都、主要都市、有名企業なども一緒に記憶する。
これができると、アメリカの政治や経済の動向がよく理解でき、CNNのヒアリングに役立つ。
最近は秋の七草に親しむ。いずれもなじみの花であるので、覚えやすい。「なでしこ」は、理事長を務める恩賜財団済生会のシンボルだ。花言葉も記憶する。
私のライフワークである医療、福祉、人権、環境の用語は、英語も一緒に記憶する。英語の病気の名前は、スペルも発音も難解で覚えるのに難儀する。
高齢になると、記憶面で有利なこともある。経験したことは、鮮明に記憶に残る。年齢を重ねると経験は積み重なる。新しい知識を記憶するため、既得の知識と連結させる。この点でも高齢者の有利さが発揮できる。このような方法で知のスタミナづくりにいそしんでいる。