GNスクエア
生涯を貫いたパブリックサーバント精神
地球・人間環境フォーラム・岡崎 洋 会長の逝去に寄せてパブリックサーバント
2018年08月20日グローバルネット2018年8月号
元神奈川新聞社取締役編集局長(当時県政キャップ)
大胡 文夫(おおご ふみお)
「在野の学者が20年も知事を務めてきたのだ。そこに官庁の中の官庁と言われる大蔵省出身で環境事務次官まで務めた高級官僚が出てきていったい何をやろうというのか」
1995年1月。岡﨑さんの神奈川県知事選への出馬会見でこんな失礼な質問をした。
20年続いた革新県政の後継知事選びは、あろうことか共産党を除く既成政党すべてと連合神奈川が手を結んで擁立するという前代未聞のオール相乗り型となっていた。出馬会見はすなわち当選会見のようなもので、選挙結果は投票結果を待つまでもなくこの時点で決まったも同然だったのだ。有権者に選択の余地も与えない知事選にするとは無責任な政党ばかり…という怒りもあった。その意味では岡﨑さんには八つ当たり気味の質問だったかもしれない。
居並ぶ各政党の県連幹部のニコニコ顔はこの質問で一瞬にして凍り付く。聞く側の記者たちもどんな答えが返ってくるのか、かたずをのんで見守る。この時の会見場はこの世から音というものが消えてしまったらどうなるのかということを示すかのようにシーンと静まり返り、空気は固まってしまった。
ややあって、凍り付いた空気を破って当の立候補予定者である岡﨑さんはこう答える。
「私は高級官僚だと思って仕事をしてきたことは一度もありません。むしろパブリックサーバントだと思ってやってきました」
正直なところいい答えではないなと思った。しかし、その答えこそ来し方を染み込ませた生身の身体からにじみ出てきたものだとわかるのにそれほどの日時はかからなかった。
そのことを裏付けるように、当選後の県政運営に当たって政党などから不満が聞かれても涼しい顔をしながら「僕はあの政党のための知事じゃないですよ。県民一人ひとりのための知事ですよ」と意に介さなかったのだ。そういうスタイルを貫いていたから目立つことは控え、派手にならないようにさりげなく、しかし着実に施策は推進されて行く。
知事在職中だったかそれとも退任してからだったか忘れてしまったが、勲一等の内示が届いた時も即座に辞退したという。後日そのことを尋ねても何も語らずただ一言「ああ」と首を縦に振っただけである。
虫の知らせというわけではないのだろうが亡くなる2日前の3月29日に岡﨑さんを訪ねて世間話をしてきたばかりだった。
「(森友問題をめぐる財務省元理財局長に対する)国会の証人喚問はご覧になりましたか」と問うと「あぁ、見たよ。まったく……、行政が壊されちゃったねぇ」とはるかなる後輩に顔をしかめ、普段と変わらぬ素振りに安心していたのに……。
この面会は幸運だったと見えて受付で応対してくれた女性職員によると、しばらくは体調がすぐれず面会を断っていたそうだが、たまたま良さそうなのでどうぞということで実現したのだった。それが今思うと不思議でならない。
岡﨑さんにはさまざまなことを教わった。これからどうしたらいいのか途方に暮れるばかりである。