フォーラム随想心の変化と成長
2018年04月16日グローバルネット2018年4月号
地球・人間環境フォーラム理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)
自宅から歩いて20分くらいのところに作家の林芙美子が、上京後の極貧時代に住んだ安アパートが立地していた。今では住宅が密集しているが、散歩で立ち寄るたびに彼女の極貧生活に思いをはせる。
林芙美子の「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という有名な言葉は、彼女の人生の歩みを知ると納得できる。
私は、「人生は、苦しいものだ。苦しみのない人生は、人生でない」と達観している。これが慰めになるし、励みになる。
人生を振り返ると、楽しかったのはほんの一瞬、楽なときや得意なときは、苦しみの始まりだった。得意絶頂の人を見る。「驕る平家、久しからず」、その人の背後に没落の影が忍び寄っている。こんな人をたくさん目撃してきた。
私の場合は、得意なときがこれまでの人生で1%ほどにもならなかったから、没落への急降下を経験することはなかった。これは、幸せともいえようか。
シェイクスピアの喜劇に『お気に召すまま』がある。日本でも度々上演されている人生の奥深さを示す作品だ。
この中で公爵の廷臣であるジェイキスが人生を七つの段階に分けて語る有名な場面がある。「世界はすべて舞台、男女はすべて役者に過ぎぬ」というせりふで始まる。教養のあるイギリス人は、このせりふを暗記している。イギリス人の感性に合うのだろう。
人は、シェイクスピアが言う通り、いくつかの段階を踏みながら人生を歩む。私もいくつかの段階を追って成長してきた。成長は、苦しい体験によって鍛えられた。これによって心も変化し、成長してきた。
人間の心は、なかなか厄介だ。自分でもつかみ切れないけれども、私の場合、心は、幼いころの心にその後の経験によって作られた心が積み重なって現在が形成されていると感じる。
小学生のころから高校生までは自分の能力や家庭環境のハンディキャップから、勝ち抜くためには、「努力しかない」と心の中でいつも思っていた。要領は悪かったが、努力だけは、誰にも負けなかった。
高校時代は、家業が傾き、健康も害し、体重は40㎏程度で痩せ細っていた。こんな時代も「努力をすれば、道は開ける」と信じ切っていた。一人で黙々と勉強していた。
一昨年亡くなった母は、「頑張ることは昔と何も変わらん」と生前ポツリと妻に私のことを語った。
大学時代は、スラム街や障害者の支援活動から人への思いやりや人権の大切さを体得した。これは、現在も強い影響を残した。
50歳ごろまでは理想と現実とのはざまの中で悩むことが多かった。職場では自分の考えをストレートに主張し、嫌われる存在だった。厚生省(当時)の外部への左遷を繰り返した。人間だから、憂鬱になったのが正直なところだ。
このころ読んだフランクルの『夜と霧』は、不遇のときも理想を求めることの重要性を教えられ、ずいぶん救われた。
50歳代に入って、自分の理想に従い仕事ができるポストに就いた。大学時代から思い描いた人権を基礎に置く福祉の理想像を社会福祉基礎構造改革として実現することを決断した。明治以来の日本の福祉に対する考えを180度転換させ、福祉事業者の既得権を損なうものだった。敵で包囲され、厚生省内外から激しい攻撃に晒された。
甘い考えでは勝ち抜くことはできない。必要とされたのは、防御力と攻撃力だった。これはフルシチョフと対決したり、公民権確立に行動したケネディやナチスと闘い、勝利したチャーチルの伝記から教えられた。
70歳代となった今は、何事にも動じず、穏やかな心を得たいと思っている。空海、法然などの庶民に寄り添った高僧の書から学んでいる。
私の心は、人生の苦しみを経験しながら、今も成長を続けている。