日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第12回 カツオの町で400年以上続く朝市―千葉県・勝浦

2018年03月30日グローバルネット2018年3月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

房総半島にある勝浦の地名は、紀伊半島の勝浦(和歌山県那智勝浦町)と歴史的に深いつながりがあるようだ。黒潮に乗った紀州人が房総半島に移住し、漁業やしょうゆなどを伝えたという。黒潮に乗って北上する上りカツオ(初カツオ)の水揚げ日本一で有名な漁港。さらに日本三大朝市の勝浦朝市が知られている。

勝浦朝市

野菜や海産物そろえる

10月下旬の午前7時過ぎ、JR勝浦駅近くの宿から歩いて10分ほどの仲本町通りで開かれている朝市に向かった。月後半の16日~月末に朝市が開かれ、月前半の1~15日は下本町通りに場所が替わる。毎週水曜日と1月1日が休みの他は年中開かれている。午前6時から11時ごろにかけて約80の露天が並び、農産物を扱うのが6割、魚介類3割、雑貨1割ほどの割合になっているという。にぎわうのは午前8時前から10時ごろ。試食用のイワシを焼くにおいが鼻をくすぐる。カツオも売られているが量は多くはない。輪島朝市(石川県輪島市)ではほとんどない値札があるので、初めての客にはハードルが低いかもしれない。通りの端の高照寺の前に、古びた木製の碑が朝市発祥の地であることを示していた。

日本三大朝市と呼ばれるのは、勝浦朝市と輪島朝市の他に呼子朝市(佐賀県唐津市)、飛騨高山朝市(岐阜県)があって、合わせて四大朝市とも呼ばれる。

勝浦で朝市が始まったのは安土桃山時代の1591(天正19)年の卯の年といわれる。当時の勝浦城主であった植村土佐守泰忠が農業・漁業の奨励のために開設したと伝えられている。

勝浦市観光協会理事を務める朝市しんこう会会長の鈴木秋雄さんに話を聞くことができた。「昭和50年代に店の数が一番多く120店ほどあったのですが、1974年に施行された大規模小売店舗法(略称「大店法」)によって流通が変わると店の数が減り、現在は82、3店くらいですね」。

農産物を仕入れて売る仲買人の店が20店はあったが、現在は1~2店ほど。高齢化が進んで新規参入はほとんどないという。種苗店を営む鈴木さんは周辺の農業の先行きが気掛かりだ。住人たちは勤めに出るようになり、家庭には大型冷蔵庫が備えられるなどライフスタイルが変わって朝市から住民の足が遠のいている。首都圏から2時間ほどなので観光客は増えており、地元客減少を補っているという。

果物を並べている店に大玉のナシで新高という品種を見つけた。旅の途中なので重荷は避けたいので、3個一盛りのうち1個だけ200円で売ってもらった。交渉した店のおばちゃんも他の店の人も気さくで明るい。ナシの入った袋を持って朝市を後にすると、おばちゃんの表情や交わした会話がよみがえってきた。

鈴木さんに全国区のB級グルメである勝浦タンタンメンが朝から食べられる店があると聞き、歩いてすぐの「いしい」に入った。店は「かつうらビッグひな祭り」で雛人形が飾られる遠見岬神社の石段の前。観光スポットが集中して効率よく回れる港町である。

カツオの水揚げに遭遇

さらに海岸沿いを歩いて勝浦漁業協同組合へ急いだ午前9時20分、通り掛かった魚市場でカツオの水揚げが始まっていた。漁船からベルトコンベヤーで次々運び出される。ピンと固さがあるカツオが氷水の中から、生きのいい目でこちらを見ている。

水揚げしたカツオ

勝浦漁港は、春から夏にかけては房総沖の近海カツオ漁船、秋から春にかけてマグロ漁船が水揚げしてにぎわう。黒潮とともに移動する魚を追う全国各地からの外来漁船で、全体の95%以上を占めるという。勝浦漁協が魚市場を管理運営し、回船問屋の株式会社西川が中心となって水揚げや流通などを仕切っている。回船問屋とは、母港を出港して勝浦漁港に水揚げする漁船と漁師たちの世話役をする船主代わりの存在だ。

勝浦漁港がカツオの水揚げで知られるようになったのは、西川の先代社長である齋藤光正氏の功績が大きい。西川は江戸時代から続く回船問屋で太平洋戦争後に株式会社に。齋藤氏は1961(昭和36)年からカツオ一本釣り船の氷の補給地でしかなかった勝浦漁港への水揚げを誘致し始めた。大消費地である東京へ有利な場所。高知など各地の漁港を巡り、漁師たちと交流関係を結ぶなどして誘致に成功した。西川は回船問屋だけでなく、カツオを中心とする鮮魚販売や海外産サケマスの加工などを手掛ける地元の有力企業だ。

カツオ一本釣りといえば、かつて土佐清水(高知県)で取材をしたときに地元漁業者が「中国人に『まだ竿で釣っているのか』と笑われた」と話していた。日本発祥の一本釣りは、一見古風に見えるが、巻き網のように群れを一網打尽にすることなく、自然の再生力を損なわない。また漁獲したカツオは傷みが少なく味もいい、という資源の持続可能性からすれば理想的な漁法なのである。

変わる生鮮食品の流通

漁協では石井春人代表理事組合長に話を聞くことができた。カツオは近年国際的な資源管理の論議が盛んになり、赤道域での高い漁獲圧が日本近海への回遊を減少させている可能性も論議されている。カツオの水揚げは11,600t(2016年度)。石井さんは「カツオ船がそれぞれの地元母港に帰る時期が早くなりましたね。最近の黒潮の大蛇行も気掛かりです」と漁獲や複雑な海の環境動向を心配する。資源保持になるカツオ一本釣りについて確認すると「漁獲するのは魚群の2割くらい」と推測した。自身も若いころは地元の小型船でカツオ「引き縄」漁をしていた。数本の釣り糸を竿で引く漁法で「1tの水揚げで100万円を得たことがありますよ」と懐かしそうだった。

勝浦には勝浦漁協(正組合員65人)とは別に、新勝浦市漁業協同組合がある。引き縄によるカツオの他、キンメダイ、マカジキなどの沿岸漁業、浅い岩礁域でアワビやイセエビなどを捕る磯根漁業など多彩な漁業を営んでいる。千葉ブランド水産物「勝浦産ひき縄カツオ」は釣った日に市場に出される新鮮な「日戻りカツオ」だ。新勝浦市漁協は勝浦漁協を除く市内7漁協が1997年に合併して立ち上げた。

取材を通して勝浦のカツオが消費市場だけでなく直接量販店などに流れ、夕方には店頭に並ぶようになった流通事情を知った。鮮度維持技術の向上や消費者ニーズへの対応などで生鮮食品の流通が変化している。400年以上の伝統ある朝市も同じ時代の流れの中にある。昔のままの姿を維持することは今後さらに難しくなるだろう。

勝浦の歌を探してみると古い『勝浦シャンソン』(歌:水前寺清子)があった。歌詞にはリアス式海岸の美しい自然、歴史、古き良き勝浦の風情が歌い込まれ、勝浦港や朝市娘が出てくる。「カツオの町」と勝浦朝市という全国区の知名度を持ちながら、つながりが希薄なことはもったいない。勝浦が元気になるためには、カツオと朝市の二つが連携を強める協働や相乗効果を狙う仕組みができればいいと思うのだが。

勝浦漁港

タグ: