日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と~第6回 白神山地思いヒラメのヅケ丼食す 青森県・鰺ヶ沢
2017年09月19日グローバルネット2017年9月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
キーワード: イトウ 赤石川 金アユ 五能線
津軽半島の付け根にある鰺ヶ沢町は行政が主役となり、ヒラメを使った「ヅケ丼」の商品開発や日本最大の淡水魚イトウの養殖など、地域振興に力を入れている。この二つの話題に目星を付けて、町の観光商工課を訪ねた。課長の工藤章彦さんと主幹の工藤真人さんに話を聞くと、世界遺産白神山地を源流とする清流に話題が及ぶ。それもそのはず、白神山地は、青森、秋田両県にまたがる遺産登録1万6,971haのうち、青森県側が約4分の3を占め、さらに原生ブナ林の中核区域の約27%が鰺ヶ沢町にある。白神山地と鰺ヶ沢のつながりは非常に強いのだ。
「県の魚」ヒラメに注目
鰺ヶ沢ブランドであるヒラメは、漁獲量全国一の青森県の「県の魚」(1987年制定)。東北新幹線の全線開業(2010年)に合わせて、地域団体や飲食店などが観光の目玉を作ることになり、生まれたのがご当地グルメ「鰺ヶ沢ヒラメのヅケ丼」だ。漁港に隣接した道の駅として全国的に有名な「萩しーまーと」(山口県)元駅長の中澤さかなさんのアドバイスを受けて、鰺ヶ沢町の自慢の魚「ヒラメ」を使ったご当地丼が完成した。
2011年5月から町内の飲食店など10店舗で提供が始まった。各店のオリジナルの特製ダレを使い、お茶漬けスタイルで味わうこともできる。この食べ方は、もともと、生卵をかけて食べる地元の「漁師めし」に似ているという。
ヒラメは高タンパクで低脂肪。ヘルシーなグルメとして話題を呼び、今年4月に通産10万食を達成した。説明を聞いた後、ヒラメのヅケ丼公認店マップの中から、役場近くにある「海の駅わんど」に急行した。鮮魚や水産加工品、農産物などを販売している施設で、入り口では60㎝もあるかと思われる立派なヒラメも売られていた。
お目当ての「食堂どん」でヅケ丼セットを注文した。ヅケ丼は、とろろ昆布が敷いてあり、淡白なヒラメの食感がしっかりして濃厚な味。エンガワも付いて1,300円(税込み)。脇に置いたマップの「白神山地の清流が……」という説明が満足度を増したようだ。
北の海で育った青森県のヒラメは身の締まりが良く、築地市場でも高い評価を得ている。日本海側から津軽海峡、陸奥湾、太平洋側に至るまで県全域で漁獲される。鰺ヶ沢ヒラメだけでなく下北半島と八戸の4漁協の「青天ひらめ」も有名ブランド。しかし、この人気魚にも危機があった。県の漁獲量は1970年代後半から減少し、1989年には200tまで落ち込んだのだ。危機感を持った県や県漁連などは次年から資源回復計画を実施し、年間200万尾の種苗放流、休漁期間や操業自粛区域の設定、網の目合いの制限など資源管理に努めた。その結果、漁獲量が回復して2016年は1,071t、近年は1,000t前後を維持し、資源管理の成功例となっている。
「幻の魚」イトウの養殖
ヒラメの次はイトウの話題。イトウは日本の淡水魚の中で最大で「幻の魚」といわれる。体長は1mにもなるこの魚を初めて知ったのは人気漫画『釣りキチ三平』だった。青森県では明治期に小川原湖で漁獲があったが、その後生息は確認されていない。北海道から1981年以降9回にわたり県内に導入され、その後、鰺ヶ沢町や隣の深浦町で養殖が始まった。堂々としたその姿を初めて見たのは13年前に訪れた北海道大学七飯淡水実験所で、ここから導入されたという。
町内の赤石川の中流域にあるイトウの養殖場で養殖が始まったのは1985年。水温が低いために冬に餌を食べないなど、多くのハードルがあったが、数年の試行錯誤の末に養殖技術を確立。1989年に国内で初めて養殖イトウを出荷した。3~4年飼育し体重1~1.5㎏(体長40~50㎝)で販売する。ふわっとした食感、あっさりした味で「川のトロ」と評される。地元の旅館や飲食店で出されており、町内は一尾4,000円、町外は6,000円で年間1万匹を出荷している。
赤石川は全身が金色に輝く「金アユ」も有名だ。町内で種苗生産から育成まで行い、県内20の河川に供給している。珍しいのは、こうした事業を町が特別会計で行い、地域経済を支えていることだ。
自然豊かな赤石川流域
白神山地から日本海に注ぐ赤石川は延長44.6kmで南北に長く、全域が鰺ヶ沢町にある。上流には県立赤石川渓流、支流の滝ノ沢に日本の滝百選「くろくまの滝」などあり、クマゲラやイヌワシなどが生息する。
イトウの養殖場までは時間がなかったので、国道沿いの河口を訪れた。川は雪解け水を集めてか、水量が多く、少し濁っていた。近くの鉄橋を走るのはJR五能線。この路線名は同名のヒット曲で知った。海岸線など車窓の自然が素晴らしいと評判のローカル線である。しばらく待つと新型の「リゾートしらかみ「橅(ぶな)」」が速度を落として目の前をゆっくり走った。『五能線』(歌:水森かおり)の歌詞のように、一人旅するさみしげな女性が乗っていたのだろうか……。
白神山地は、「青秋林道建設計画」に対する反対運動が世界自然遺産登録へとつながった。日本の自然保護史の中で画期的な出来事であり、赤石川流域の住民や保護団体などが深く関わっていた。
取材後に赤石川について調べると、遺産登録から9年後の2002年、赤石川のアユ大量死が発生し、日本自然保護協会は青森県と東北電力に赤石川の自然環境の回復について要請をした記録があった。「赤石川は、赤石ダムでせき止められた水の95%以上が発電のために別水系に流されているという全国でも特異な利水形態」と厳しく指摘している。自然保護団体や地元住民らが東北電力と粘り強く協議した結果、この年に赤石川への放水量はほぼ3倍に増やされ、取水問題は一応沈静化した。
白神山地の自然を守る会代表として、白神山地の保護活動で大きな役割を果たし、登山家やルポライターとしても知られる根深誠さんは、多くの著作の中で赤石川の流域の自然の素晴らしさを紹介している。上流域で一軒宿の熊の湯温泉旅館を経営する現役マタギの吉川隆さんも保護運動で活躍した人。マタギとは、東北地方の山間地で暮らす古い伝統を持った狩人の群れのこと。吉川さんのブログ「マタギの部屋」には、金アユが釣れる清流の四季がリアルに描かれている。訪れていない奥山を想像しながら、米国の自然保護運動の原点ともいわれるヨセミテ渓谷を思い出した。ここを舞台に自然を理解し守る動きが環境保護団体シエラクラブ設立へとつながる。自然を守る人々の努力の歴史も貴重な資産である。赤石川の取水はやめて元の自然に戻せば白神山地の価値はさらに高まると思う。
赤石川で青森県の取材をすべて終えた。青森への帰途、岩木山は雲で隠れてしまったが、取材に出掛けた午前中は、少し雲間にのぞいた頂とふもとで満開のリンゴの白い花の風景を堪能できた。イトウの養殖場は見学できず、その味も“幻”のまま、津軽半島の中泊町の「中泊メバル膳」も、青森県が進める日本酒と水産物のコラボのプランも取材できなかった。こりゃあ、何回も取材に来なけりゃいかん……。固く再訪の誓いをした。