フォーラム随想汗をかくことの御利益
2017年08月17日グローバルネット2017年8月号
自然環境研究センター理事長・元国立環境研究所理事長
大塚 柳太郎(おおつか りゅうたろう)
熱中症は、暑熱環境(※注 身体に影響を与える暑さ環境)下で身体の深部体温が上昇し、熱バランスおよび水分・塩分バランスが崩れる身体の不調である。地球温暖化や都市化に伴うヒートアイランド現象の影響を受け、最近では5月頃から、気象予報士による「熱中症に注意」「こまめに水分を補給」「適切に冷房を使用」などの注意喚起が日常化するようになった。
熱中症による死亡は、年により増減しながら増加を続けてきた。高温だった1994年に500人強、2007年に900人強、2010年には1700人強に。その後も年に500~1000人が死亡している。熱中症の疑いによる救急搬送数も、2010年以降、少ない年でも約4万件、多い年では5万件を超えている。
気象予報士による注意喚起は的を射ており、とくに体温調節機能が低下し暑さを感じにくい高齢者には有用である。一方で、熱中症の根源的な防止のために、「暑さに負けない体づくり」を目指し、適度に身体を使う運動を日常的に行うことが推奨されている。
「暑さに負けない体づくり」は、熱帯で誕生したヒトが長い進化の過程で獲得した生理機能や行動様式と、どのように関連しているのであろうか。
人類の生物としての最大の特徴である直立二足歩行は、われわれの遠い祖先のアウストラロピテクスが400万年ほど前に、アフリカで森林帯を離れサバンナ(樹木も生える草原)に進出して以来、新しい環境に適応する過程で完成したと考えられている。サバンナでは、直射日光を避けにくいものの遠方を見通せるので、彼らは歩き回り、植物性食物を探し動物を追ったのであろう。
直立二足歩行は、多くの生理機能や行動様式と関連しながら進化したはずである。皮膚には二つの大きな変化が起きた。有毒な紫外線を遮るために、厚い体毛の代わりに皮下にメラニン色素を蓄えるようになった。熱バランスを保つためには、薄い汗を分泌するエクリン腺を発達させた。ヒトだけに発達したエクリン腺による発汗は、体温上昇を効果的に抑え、まさに暑熱適応の切り札なのである。
エクリン腺の数は200万~500万で、民族による差異は大きくない。ただし、エクリン腺が機能するには暑熱刺激を受け能動化する必要があり、多くは生後2歳半頃までに決まるので、能動汗腺数は居住地により異なり、日本人で200万~300万、熱帯地域の住民で250万~350万といわれている。
私は以前、パプアニューギニアの沿岸地域で、住民の病気・栄養・行動などから環境への適応を研究するために長期間滞在したことがある。マラリア感染や微量栄養素欠乏などの問題はあるものの、住民たちは自給自足を基本とし、身体をフルに使い、自然に逆らわない伝統的な生活を送っていた。
彼らの日常生活を見ていると、高温多湿の気候がもたらす負荷に対しさまざまな軽減策を身につけていることがわかった。村の中には、枝を大きく張った大木があり、村人たちは日中の暑い盛りにはその木陰でよく過ごしていた。遠方に出掛けるときも、クリーク(小川)があるとその傍らで小休止をとり、水を飲み、時には水浴びさえするのである。
発汗に関しては、サバンナなどを歩くときに私が大量の汗をかくのに、一緒に歩く村人たちはあまり汗をかかないことが気になっていた。観察してわかったことは、村人は私が発汗するレベルの負荷では発汗せず、大木を切り倒し村まで担いで運ぶような強度の負荷がかかる活動をするとき、大粒の汗を一気に大量に出すのである。
先進国の多くの地域は、コンクリートの建物とアスファルト道路に囲まれ、風の道は閉ざされ、熱は蓄えられやすい。このような熱中症のリスクが高まった人工的な環境に暮らす人びとにとっても、熱中症の防止は、ヒトが進化の過程で獲得した発汗能をいかに活用するかにかかっているのである。