環境研究最前線~つくば・国環研からのレポート第29回 河川の化学物質汚染の現状について
2017年08月17日グローバルネット2017年8月号
地球・人間環境フォーラム
中島 孝幸(なかじま たかゆき)
私たちの快適で豊かな生活は、多くの化学物質に支えられています。このような化学物質の中には、さまざまな活動を通じて環境中に排出されるものがあります。そして大気や水、土壌を経て人に取り込まれたり、接触することにより、人の健康や生態系に好ましくない影響を与える場合があります。
近年の水環境における化学物質汚染に関する調査・研究の対象として、有機フッ素化合物(パーフルオロ化合物)や医薬品や日用品などに由来する化学物質(PPCPs:Pharmaceuticals and Personal Care Products)に関するものが多く見られます。
パーフルオロ化合物とは
パーフルオロ化合物は、繊維や紙製品などの撥水剤、泡消火剤、半導体工業、耐熱製品加工などで広く利用されており、下水処理場などから排出されています。代表的なパーフルオロ化合物には、パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS。CF3(CF2)7SO3H)やパーフルオロオクタン酸(PFOA。CF3(CF2)6COOH)があり、環境中で分解されにくく、生物の体内に蓄積しやすい特徴があるため、母乳や血清中、野生生物の体内からの検出が報告されています。
PFOSやこれに変化する前のパーフルオロオクタンスルホン酸フルオリド(PFOSF)は、残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)で世界的に製造・使用・輸出入を制限すべき物質に指定されています。日本でも、製造・輸入や使用が原則禁止される化学物質審査規制法(化審法)の第一種特定化学物質に指定されています。また、PFOAとPFOAに変化する物質は、POPs条約の下部組織である残留性有機汚染物質検討委員会(POPRC)において議論が行われていて、締約国会議(COP)での議論を経て、製造・使用・輸出入の禁止や制限などされる可能性があります。このためPFOSやPFOAなどの代替物質への転換が進められています。その結果、十数年前には、関西の水質でPFOAが高濃度で検出されましたが、その後に行われた実態調査結果で濃度の減少傾向が確認されています。
PFOSやPFOAなどパーフルオロ化合物の環境中での動向については、多くの報告があります。例えば、2013年度に千葉県内の河川で行われた実態調査では、水質に炭素鎖長が短いパーフルオロ化合物の割合が多いのに対し、底質(川底の層)では炭素鎖長が長いパーフルオロ化合物の割合が多いことが明らかになりました。これは、炭素鎖長が長いパーフルオロ化合物の方が底質粒子に吸着しやすいことを示しています。一般的には炭素鎖長が長くなるなど化学物質の疎水性(水に溶けにくい性質)が増すと毒性や生物蓄積性が高くなるため、底生生物への影響や高次捕食者への生物濃縮が懸念されます。
PPCPsとは
PPCPsは、医薬品(動物用を含む)、日焼け止めや化粧品などの製品に由来する化学物質などの総称です。人や動物が排せつしたものや、製品の使用や使用後に洗い流されたものが下水管を通じて下水処理場や畜水産施設などから環境中に放出されると考えられます。
PPCPsの中には、微量でも毒性の高い物質があります。都市圏では、下水道の整備に伴い河川水に占める下水処理水の割合が大きい河川が増えているため、河川に排出された化学物質が十分に希釈されず、藻類、甲殻類、魚類など生物への影響が懸念されています。
2014年度に福岡市内の河川や海域で行われた実態調査では、数多くあるPPCPsのうち調査した11物質の医薬品がすべて検出されました。高い濃度で検出された3地点はすべて下水処理場の放流口下流にある環境基準点(環境基準の達成状況を把握するために設定した水域の代表地点)で、他の地点と比べて濃度の季節変動が大きく、医薬品の使用量が増える時期に高かったと報告されています。
環境中に存在する化学物質の分析
化学物質による影響を判断するためには、大気や水質などに含まれている化学物質の濃度を正確に把握することが重要です。このため、環境基準項目などの環境調査は、化学物質ごとに分析方法が定められた公定法により行われています。
環境調査は、環境基準値や指針値が設定されていない化学物質についても行われます。例えば、環境省の「化学物質環境実態調査」では、1974年度から2015年度までに行われた1,333物質の大気、水質、底質などの調査結果が公表されています。水質調査が行われた1,171物質のうち、これまでに442物質が検出されています。
環境中に微量に存在する物質を精度よく測定するためには、高感度の分析機器が必要なだけでなく、採取した水質を適切に保存し、前処理(採取した水から対象物質を抽出したり、測定を妨害する物質を除去したりする作業)を行う必要があります。このため、環境調査が行われた物質は、約5万種流通しているといわれている化学物質の一部に過ぎません。また、流通している化学物質が環境中で分解され、別の化学物質に変化することもありますが、変化した物質の測定データは限られています。このため、公定法に比べ精度はやや劣るものの、未規制物質などを網羅的かつ簡易に分析可能な全自動同定定量システム(Automated Identification and Quantification System:AIQS)という方法が北九州市立大学の門上希和夫教授により開発され、活用されています。
AIQSでは、データベースに登録した化合物情報(保持時間、マススペクトル、検量線情報)を用いて同定・定量するため、分析装置の測定条件はデータベース構築時と同一に設定する必要があります。個々の化学物質を測定対象とした高精度の分析では、正確な濃度を測定するために測定対象物質の標準品が必要となりますが、AIQSでは標準品がなくても分析装置中のデータベースに登録された物質を分析できるため、標準品の入手が困難な地域でも分析できます。またAIQSでは新たに調べたい物質の化学物質情報を後からデータベースに登録することで、過去の測定データからその物質を探し出すことも可能です。
国立環境研究所におけるAIQSの開発
国立環境研究所では、環境リスク・健康研究センターが中心となり「安全確保研究プログラム」を進め、そのプロジェクトの一つとして、環境中にある既知や未知の化学物質を網羅的に測定する方法の開発を進めています。このプロジェクトリーダーである中島大介主席研究員は、「環境中に存在する化学物質のすべてが、人の健康や生態系に好ましくない影響を及ぼすわけではありませんが、AIQSのデータベースには影響を及ぼす化学物質ができるだけ多く登録されていた方がいいです。現在、AIQSはGCMS(ガスクロマトグラフ質量分析計)を用いた手法が開発されており、約1,000種類の揮発性物質がデータベースに登録されています。われわれのプロジェクトでは、親水性化合物にも対応できるよう、液体クロマトグラフ-四重極-飛行時間型質量分析計という装置を用いた新たなAIQSの開発に取り組んでいます」と語ってくれました。
人の健康や生態系に好ましくない影響を及ぼす化学物質には、環境中での存在状況がわかっていない物質もあると思います。AIQSのデータベースに登録する物質数を増やすには多くの課題があるようですが、より多くの化学物質について存在状況が明らかになり、安心・安全な社会が構築されることを願います。