特集 ミツバチと、生態系と農業を守るために~日本でも求められるネオニコチノイド系農薬の使用規制~2005年から起き始めたミツバチの大量死とその後

2017年07月20日グローバルネット2017年7月号

藤原養蜂場 場長 
藤原 誠太(ふじわら せいた)

10年ほど前から世界中で見られるようになったミツバチの大量死。その原因は日本でも広く普及しているネオニコチノイド系農薬であるといわれ、欧米を中心に使用を規制する動きが進んでいます。ハチミツ採取だけでなく、野菜や果樹の受粉に関わるミツバチの減少が及ぼす農業への影響は大きく、問題は深刻です。本特集では、すでに使用規制の強化を進める欧米の企業やNGOの最新の動向を紹介し日本で今後緊急に求められる対策と課題について考え、ミツバチの大量死に見舞われた養蜂家の現状と現場の声、都市養蜂や障がい者とともに取り組む養蜂などの新たな試みについて紹介します。

2005年に初めて起きた大量死

私は祖父が120年前に創業した、北日本では最も古い養蜂場の家に生まれました。養蜂場のある盛岡は、杜の都と言われるだけのことがあって、私たちは北上山系の緑豊かな自然に抱かれて、ミツバチを飼育しています。特別な植林をする必要もなく、採蜜時期には野生の草花や森の中の樹花が盛岡の郊外を囲むように咲き乱れていました。

ところが、ミツバチの巣箱内の員数が最大になる(1箱2~3万匹に増える)お盆の頃、藤原養蜂場のミツバチが突然大量に中毒死を始めたのです。2005年のことです。大正時代から大禍なく続いてきた養蜂場の塀の中は、すでに死んだ蜂の山、その上で、のたうち回る蜂たちで足の踏み場もありません。これまでも、ミツバチが農薬の散布で減少することは、何度かありました。しかし、このような死に方と、これほどの大量な死滅は経験したことがありませんでした。

次の日には、少し収まるのではないかと淡い期待を抱いていましたが、その時の毒性は、それまでにない、残留性の強いもので、一刻の猶予もないと知りました。2日間で、すべての巣箱内で半分以上(1万匹を超える)が巣の周辺またはよそに行ったまま帰巣しないのです。何十万匹死んでしまったことでしょうか。そのままでは全滅も時間の問題だと判断し、養蜂場の皆が総出で、暑い日中に、北上山系の奥にある養蜂支場に緊急避難しました。暑い最中に蜂の帰巣を待たず、つまり、巣に戻れない蜂がいてもやむを得ない状況でした(日没後すべてのミツバチが帰巣してから巣門を閉じ、移動するのが鉄則です)。疎開して、全滅だけは免れることができました。同じころ、私どもが所属する岩手県養蜂組合の組合員多数からもミツバチ大量死で、大変な状態であるとの連絡が続々と入ってきました。実は藤原養蜂場には岩手県の養蜂組合事務局があるのです。

ミツバチにこのようなひどい死に方をさせる毒は何か? 何としても突き止めなければなりません。私たちは県外にある食品安全のための検査機関に、被害にあった蜂の巣を送りました。ちょうど検査機関から、結果が届いても良いころと思っていた頃、当地方の新聞各社が一斉に「岩手県の検査機関で精査した結果、農薬は検出されなかった」と農薬説を否定し、病気などの可能性まで示唆した記事を掲載したのでした。私は先手を打たれた感がしました。ところが、その翌日、私たちに届いた県外の検査機関からの報告の内容は、新しい神経毒性の農薬「ネオニコチノイド」の成分が検出されたというものでした。

それは、水田にこの時期発生するカメムシ被害を抑えるためにまくものでした。これらを証拠として、岩手県養蜂組合は、県と全農に損害賠償を請求しました。このように毒性の強い農薬は使用を禁止し、損害は賠償してもらうのが当然です。ところが、そうはなりませんでした。少なく見積もっても3,000万円を超える被害が出ているのにもかかわらず、「見舞金」と称してわずか500万円が「確かな証拠はないが、同じ農業に従事する者に対する災害見舞い」という位置付けで支払われ、新農薬の使用差し止めの依頼には、まったく耳を傾けるつもりはない様子でした。しかも、内々では、使用差し止めの意見を引っ込めることが「見舞金を渡す」条件で、「もっと厳しく、農家に指導するし、養蜂家と県や農協などとの意見交換を毎年行うことで十分防げる被害」とマスコミに発表し、沈静化を急いだのです。

そして、翌年2006年夏も同時期に同じ農薬が水田で使われ、またミツバチが大量死したのです。今度は岩手県だけでなく、近隣の県でも同様の被害が広がりを見せ始めたのです。関係者に善処してもらうべく前年のように再びお願いしてみたのですが、今回はまったく取り合ってもらえず、まるで申し合わせているかのように、見舞金すら出さない態度を貫いたのです。そこで、われわれ組合員も今度は、盛岡地方裁判所に調停を申し立てました。しかし、県も全農も農薬販売会社も、無視を決め込むことに終始し、裁定の場にも出て来ず「農薬は最終的に誰がまいたか特定できない上、国が安全と認め使用許可したもので、注意を払って指導している。そもそも国民の主食であるコメを害虫に食われる被害が出たら、誰が保障するのか」という本音も聞こえてきました。

農薬の影響は広範に

しかし、ミツバチは訴えのシンボルに過ぎません。2005年の大量死以後、他の多くの生き物にも影響が起こり始めたのです。作物の成りが悪くなってきたとの声が各地の知り合いの農業関係者から聞こえてくるようになりました。また、ミツバチの授粉が欠かせない「ハウス物」がミツバチの供給が減少して、十分に結実しなくなったという報告も増えてきました。国は慌てて緊急措置としてポリネーション(※注 ミツバチを利用して果樹や野菜の花粉交配(受粉)を行うこと)農家と関わる養蜂家に対してのみ補助金を拠出すると提案しました。しかし「露地」のミツバチ飼育の養蜂家の方が圧倒的に生態系への貢献度が大きいのです。ましてや、ほかの生物の死滅も相次ぐ中で、そのことへの配慮には考えも及んでいないという施策でした。

藤原養蜂場は、それらの補助金は一切利用しませんでした。補助金に頼りたい気持ちもありましたが、しっかりとした意見を表明しにくくなると直感したからです。

この頃には、世界各国、とくに欧州や米国のいくつもの地域でネオニコチノイド排斥運動が巻き起こり、一定の研究成果も出て、裁判でも次々と使用禁止や使用条件の見直しが言い渡され、暫定的ではあっても養蜂家や生物、環境学者の意見が通り始めていました。

しかし、日本はまるで「ガラパゴス化」している状況でした。ネオニコチノイド系農薬(浸透性農薬の一種)の特異的危険性は無視されて、毎年さまざまな種類のネオニコチノイド系農薬が商品化され、県が推奨する農家への1年の病害虫対策防除歴には、いくつも記述されていました。県の関係者は、「指導しているだけで、何の強制力もない」とうそぶくことがありましたが、実際には私の友人の養蜂家は自分の住む村でのカメムシの一斉防除に反対したところ、村八分にされそうになり、泣く泣く認め、ほとんどのミツバチが即死したが、どこにも訴えられなかったと私にこっそり話してくれたのです。こんな形の黙殺が至る所で起きていることは、誰の目にも明らかでした。

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女王バチを囲む働きバチ(セイヨウミツバチ)

自然システムの崩壊も間近

ようやくこれらの事態に変化の兆しが見えたのは、10年以上も経った去年7月に、農林水産省が「ミツバチの大量死の発生は、ネオニコチノイドなどの殺虫剤の影響の可能性が高い」という調査結果を発表してからです。うれしい反面、私たち養蜂仲間に言わせれば、10年以上にわたる弱者に対する無策・無救済により、普通だったら起きることがないと思われるほどの病気の多発や害虫の耐性化、そしてミツバチ(野生の花蜂も含む)や、スズメバチすら激減するということが起きてしまいました(スズメバチは1日に一つの巣で何百、何千と田畑や森にいる害虫を捕食している)。

自然との結び付きが欠くことのできない養蜂家の一人として、この生態系の明らかな異常事態により、温暖化と相まって今後の自然システムの循環崩壊の危険性が現実味を増していることを強く感じるのです。誰かから聞いたのですが、アインシュタインが語ったとされる「ミツバチが地上から死滅したら、その後4年で人類は滅ぶ」という言葉があります。私は、当たらずとも遠からじと信じています。

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