Hot Report雪の作家と風土
~真夏に高田宏さんを偲ぶ~

2016年07月15日グローバルネット2016年7月号

エッセイスト 乳井 昌史(にゅうい まさし)

ずいぶん前のことになるが、『雪恋い』という言葉を高田宏さんの本のタイトルで知った。

「雪国人」を誇らかに自称した著者が、古今東西の雪にまつわる詩歌や散文を取り上げて自らの雪への思いを存分に語っている。大伴家持、鈴木牧之、室生犀星、中野重治、ハーン、ジッド、ヘッセ、斎藤茂吉、金子みすゞ、石田波郷……。おや、太宰治もある。自伝的な書きぶりに妙がある紀行文『津軽』を読み解きながら、太宰はこの中で「自分が雪国の人間であることを宣言したのだ」と言う。荒ぶる魂とでも言うべきか、あの破滅型と言われて軟弱そうに見えた小説家のうちにある飼いならされない自然――雪の風土に共振する野生の魂を認めている。誰も指摘しなかった卓見ではないか。うなずきつつ一冊を読み通して『雪恋い』という言葉は、俳句の季語にでもあるのかな、と思って歳時記を開いたが、載っていない。

それから少し経って高田さんと知り合い、お互いの好きなビールを飲んで談論風発するようになり、ある時、ふと思いついて「『雪恋い』を季語に入れるとしたら季節はいつでしょうね」と聞くと、「まあ、全季でもいい気がするけど、やっぱり夏の季語かなあ」と言って笑った。「夏は雪をおもう季節」(『雪国考』)と述べた人らしい。その伝でいくと、夏の盛りに雪の作家を偲ぶのは、ごく自然なことに思える。八月の生まれでもあった。高田さんの作品などについてはよそも含めて何度か書いてきたが、重複をおそれずに感じているところをもう一度記しておきたい。

僕より一回り上の申年で、ことしは共に年男を迎えるはずだったのに叶わず、昨年十一月に逝った。享年八十三。一九三二年、京都市に生れて石川県大聖寺町(現加賀市)に育つ。大学卒業後、よい仕事を残した編集者生活を経て作家活動に入る。雪国に培われた自然観、生命観を、平明な文章で評伝や小説、エッセイや紀行文などに表した。著作は約百冊を数え、『言葉の海へ』で大佛次郎賞と亀井勝一郎賞、『木に会う』で読売文学賞を受賞。郷里の「深田久弥山の文学館」館長、日本ペンクラブ理事などの公的な役割も果たし、幾つもの文学賞の選考にも当ったが、青森の「ゆきのまち幻想文学賞」の審査員は、初回から亡くなられる年の第二十五回まで務めた。

こういう作家が、幻想的な作風でファンの多い漫画家の萩尾望都さんと一緒に「ゆきのまち幻想文学賞」の審査員を続けてくれたのは幸いであった。第十四回から加わった僕は、わが郷土から発信する文学賞に全国から、いつも一千点前後の応募作品があることに驚いたが、選考に当る高田さんの厳しくも温かく、かつ公平な眼力にはしばしば感じ入った。

例年、四月の第二土曜日に八甲田の山懐に抱かれたホテルで行われる授賞式。もう七、八年前になるだろうか、会場へ向かう車の中から、高田さんが残雪の景色に目を凝らしている。「少ないねぇ」。十和田湖の方へ通じる雪の回廊の積雪量がいつになく少なく、表層が汚れて見えるのが残念そうだった。

式を終えて受賞作の朗読会に移り、ふと窓の外へ目を向けると、闇の中に白いものが舞っている。隣に座っている高田さんにそれとなく知らせたら、嬉しそうに顔をほころばせた。ピアノやヴィオリン、三味線や尺八、歌や踊りも加わる“雪の中のねぶた祭り”みたいな文学賞の祭典で何度か目にしたこんな現象を、僕らは雪の作家の念力と呼んでいた。翌朝、外に出た高田さんは、春の降雪に装いを一新した光景をまばゆそうに眺めていた。雪が好きでたまらないのだ。

 白山を吊り上ぐるかや寒の月

なんと、大きな構えの句だろう。高田さんから、この句に白山と月を組み合わせた絵葉書を頂いた時、わずか十七音に宇宙空間を収めた描写の手腕にうなる思いをした。いつも心にふるさとの名山を抱いた雪国人ならではの秀句。それよりもっと前、初めて大聖寺を訪ね、自然と人間の営みのかかわりを中心とした創作活動の根は、子どもの頃を過ごした雪国に養われたことを実感した覚えがある。『日本百名山』の著者の故郷でもあることは知っていたが、高田さんと深田久弥の縁の深さを改めて思い知らされた。

もちろん、白山は『日本百名山』に収められている。「一点の雲もなく晴れた夜(略)、青い月光を受けて、白銀の白山がまるで水晶細工のように浮き上がっているさまは、何か非現実的な無限の國の景色であった」。名著の中の『白山』の一節と、絵葉書の一句が響き合う。雪の作家自身、「私の白山と同じ白山だ。平地の町から遠く見る白山」(『白山のブナの森』)と記したように同じ山を仰ぐ同郷人なのだ。

戦後の一時期、郷里に戻っていた深田の講演を、高田少年は公民館のゴザを敷いた板の間で大人に混じって聞いている。同じように編集者として出発し、作家の道を歩み、やがて深田を顕彰する山の文学館の館長も務めた。二人が学んだ地元の錦城小学校の先輩には中谷宇吉郎がいる。雪の結晶の研究で知られ、雪を題材にした随筆集も著した物理学者。「雪は天から送られた手紙である」の名言を残した。

単なる偶然で北陸地方の一つの小学校から、中谷宇吉郎――深田久弥――高田宏と連なる系譜が生まれたとは思えない。政財界や官界の人脈でないところに白山の雪に象徴される自然、大聖寺藩十万石の城下町に培われた文化のゆたかさを感じる。この風土から『雪恋い』や『雪日本 心日本』『雪 古九谷』など一連の作品が生じたが、高田さんは雪の持つ優しさと厳しさに惹かれる一方、雪に生きる人間の持つ野性、あるいは野生に着目している。

『津軽』の太宰に焦点を当てた文章もそうだが、百冊の著作の中から、そういう魅力を描いた作品を一つ選ぶとすれば、僕は『猪谷六合雄――人間の原型・合理主義自然人』を迷わずに挙げる。自分で改造したワゴン車を住まいにして妻と共に雪を求めて放浪し、九十五歳で大往生した破天荒の生涯に雪国人の遊び心が朗らかに共振している。“人間の原型”とまで呼ぶ人物について話した折、高田さんは「自分の中にある自然人を(雪で)磨き上げたんだね」と評したが、それはご本人についても言えることだろう。

そんな審査員の不在を意識しながら迎えた「第26回ゆきのまち幻想文学賞」の審査自体は、いつも通り淡々と進め、萩尾さんと僕は大賞に『冬の虫』という佳品を選んだ。雪の朝も家を抜け出し、記憶の中に残る出征列車を小駅で待つ祖父と、連れ戻しに行く孫の物語。審査後、大賞の伊藤万記さんという若い女性の書き手が、高田さんと同じ石川県出身と知り、雪でつながる人の縁を感じさせられたのだった。

それからまもなく、伊藤さんが『夜釣十六』のペンネームで書いた小説『楽園』が、今度の『太宰治賞』に選ばれたという朗報がもたらされてまた驚き、いっそう嬉しくもあった。なんだか、ホントに不思議だなあ。『津軽』の中の太宰もそうだが、中谷宇吉郎も深田久弥も高田宏も、そして新しく現れた夜釣十六も、雪の風土を介して連綿とつながっているのだ。雪の作家も、さぞ喜んでいることだろう。

*本誌の161 号(2004 年4 月)~ 163 号(2004 年6 月)にかけて高田宏さんのインタビュー記事を掲載しました。

タグ: