フロント/話題と人武藤 類子さん(福島原発告訴団団長)

2025年04月17日グローバルネット2025年4月号

「核の恐怖のない安全で豊かな地球環境を」~脱原発への長年の貢献に対し「バイエルン環境賞」を受賞~

武藤 類子(むとう るいこ)さん
福島原発告訴団団長

30年以上福島の脱原発運動の先頭に立ち、福島第一原発事故後は東京電力旧経営陣の刑事責任を問う「福島原発告訴団」を率いてきた武藤さん。今年2月、ドイツの環境保護団体主催の「バイエルン環境賞」を受賞した。同賞は自然や環境保全に功績のある内外の人に毎年贈られてきたもので、日本人の受賞は初となる。

地元・福島県で養護学校の教員をしていた武藤さんが原発の危険性に関心を持ったのは、1986年のチェルノブイリ原発事故のとき。同年すぐに「原発いらない郡山風の会」を、1988年には県内各地の団体をつなぐ「脱原発福島ネットワーク」も立ち上げ、新聞の発行、写真展や講演会の開催など、精力的に活動してきた。

活動の原点には「原発から遠い暮らしとは何か」という問いがある。日本で1990年代も原発の建設・運転開始が進む中、「なぜ止まらないのだろう」と自問し、「一人一人が自分の暮らしを見直さなければ」と思い至った。教員を退職し、2003年に同県三春町で里山喫茶「きらら」を開店。育てた野菜や山から採ってきた山菜を使った料理を提供し、太陽光で電気を自給したり、原発について勉強会を開くなど、余計な電気を使わず原発に頼らない生活の仕方を提案してきた。

そんな中、2011年の事故が起きる。「これだけの災害が起きた今、日本も原発を止めるだろう」という当初の期待は、国や事業者による被害矮小わいしょう化の動きを前にすぐに打ち砕かれた。事故から半年後の秋、「脱原発福島ネットワーク」の仲間で集まり、今後の活動を語り合った。東電旧経営陣の事故の責任を追及すべく、翌年3月に「福島原発告訴団」を結成。全国各地で説明会を開き、告訴人は1万4,000人にまで成長した。

2016年に強制起訴された裁判は今年3月6日、最高裁の上告棄却で旧経営陣の無罪が確定。事故の甚大な被害を省みない判断に言いようのない落胆と悔しさを覚えた武藤さんにとって、今回の環境賞は「正直にうれしく、励みになった」という。仲間も集った受賞記念イベントでは互いに感謝の言葉を交わした。「これはみんなで頂いた賞。核の恐怖のない安全で豊かな地球環境を少しでも取り戻すことを目指し、できることを一つずつ続けて行きたい」と、逆境に屈しない決意を誓った。 (克)

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