フォーラム随想肉体の疲労、脳の疲労

2024年07月16日グローバルネット2024年7月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 50歳を過ぎた頃から休日は、東京都と神奈川県の県境を流れる多摩川の堤防沿いに整備されたウォーキングコースを歩くことが楽しみだった。
 今は休日のほとんどは、仕事で埋まってしまうが、公務員だった当時は、休日は暦通り休むことができた。ゴルフは下手だったので、45歳ごろにやめてしまったので、休日はもっぱら一人でこのウォーキングコースを歩くことが習慣になっていた。
 悠然と流れる多摩川の流れを見ながら、20キロ程度を半日かけてゆっくりと歩く。川面をなでて来る風は快適である。遠くに富士山がくっきりと見えることもある。春夏秋冬それぞれ変化があって興味が尽きなかった。健康にも良さそうだった。
 いつも4時間程度のウォーキングになる。自宅に帰り、風呂に入り、ビールをぐっと飲む。心地よい疲労感を感じ、ぐっすりと眠ることができた。身体が感じる疲労感とはこんなものだといつも実感した。
 プロのサッカーの試合を見ていると、選手は、立ち止まっている時間は少なく、常に全力でハーフの45分間走り続ける。方向転換も目まぐるしい。脚や頭でボールを扱う。試合が終了した後の肉体の疲労感は、相当なものだろう。
 これに比べて野球の方の疲労は、サッカーほどではないだろう。プロ野球は連日試合が行われるが、プロのサッカーは数日の間隔を置くのも十分に理解できる。イギリスではプロのサッカー選手でたばこを吸う人がいないので、青少年の喫煙禁止の広報に登場していたが、喫煙していては激しい運動はできないのだろう。

 

 肉体の疲労は理解しやすいが、これに対して脳の疲労は、よくわからない。読書でも娯楽小説だと終わりまで一気に読んでも疲れない。むしろ読了後の快適な達成感が残る。しかし、難解な法律の論文を読んでいると、「頭が疲れたなあ」と思う。脳もやはり疲れるのだ。
 講演の依頼を受けることが多い。どんなテーマであっても日程が重複しない限り引き受けることにしている。自分にとって難しいテーマであればあるほど新たな勉強になるので、チャレンジする価値があると思っている。
 一度話したことがあるテーマであっても十分に準備を重ね、新たな材料を入れて臨むことにしている。聞いてくれる人は、私のために貴重な時間を割いてくれるからである。
 講演時間は、60分から90分であるが、情熱を込めて真剣に話す。いつも終わると頭の中が空白になったような疲労感を感じる。しばらくは何も考えたくないという感じである。
 講演後に司会者は、聴衆に向けて質問者がいるか問いかけることがある。こちらは疲労困憊であるので、本当は避けたい時間帯である。司会者が促してもたいがい質問をする人がいない。微妙な嫌な時間が流れる。
 質問をしないのは講演者に失礼だと配慮して、あらかじめサクラの質問者を用意している場合もあるが、講演者にとっては余計なお世話に感じる。
 全精力を費やして話し切ったのだから、さっと降壇して椅子にドカンと座りたい心境である。頭が疲れ切ってしまったのだ。

 

 肉体の疲労回復は、ストレッチングをする、風呂に入る、おいしい食事をする、ぐっすりと眠るなどをすれば、回復していく。
 これに対して脳の疲労回復は、特効薬がない。私の場合は、不二家のペコちゃんの飴が即効性がある。子どものようだと笑われるが、小さい頃を思い出しながらなめると、幸せな気分になる。
 これだけでは脳の疲労が回復しないことも多い。肉体の疲労と同じようなことが回復手段になる。昔は、アルコールが効果的だったが、65歳の誕生日を期して断酒をした今、これは使えない。

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