日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第86回 資源管理を貫く日本一のホッキガイ-北海道・苫小牧
2024年05月16日グローバルネット2024年5月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
北日本最大の国際貿易港である苫小牧港。この港の漁港区にいつも行列ができるマルトマ食堂がある。これまで何度か行列に並んでは諦めたが、今回の取材で初めて苫小牧のソウルフード、ホッキカレーを食べることができた。マルトマ食堂と同じビルにある苫小牧漁業協同組合は、具であるホッキガイの水揚げ日本一を誇る。苫小牧名物のホッキガイは、漁業者と漁協自らが汗を流した資源管理のたまものなのである。
西日本でも認知度上昇
午前6時、漁港区に着くと、ホッキガイの水揚げの様子を見せてもらった。この日は2~3人乗りの漁船12隻が漁に出た。漁船から荷揚げし、市場に15㎏入りケースに入ったホッキガイが次々に運び込まれた。
「苫小牧産ほっき貝」(地域商標団体登録)は身が厚く、甘みが強いと好評だ。苫小牧の沖はカレイ類の産卵場所でもある豊かな海で、ホッキガイと並んでスケソウダラ、秋サケの水揚げ金額が多い。漁協は幻の魚「松川カレイ」(ブランド名王鰈)の資源増殖にも力を入れている。
ホッキガイは正式名ウバガイ。日本海北部と太平洋の茨城県以北からシベリア沿岸まで浅い海の砂底に生息している。北の海を連想させる「北寄貝」の表記もある。成貝は殻長10cm以上で、殻は厚い。加熱すると薄紫色の足の部分がピンク色に変わり、烏帽子のように見えるのが特徴。近年は回転ずしのねたなどとして北海道や東北以外でも認知度が高まっている。刺し身や寿司、煮付け、つくだ煮、バター焼きなど料理のバリエーションは広い。ただ、国内の資源としては減少しており、消費される大半はよく似た輸入品のアメリカナガウバガイが占めている。
冒頭のマルトマ食堂のホッキカレーは、魚市場で入札が始まる前に味わった。ホッキガイの歯応えとカレーの味が絶妙の組み合わせ。ホッキカレーと海鮮丼が食堂の人気トップを競っているという。地元では肉の代わりにホッキガイを使ったホッキカレーは昔から家庭で親しまれ、市内飲食店では定番メニューである。
食堂の入るビルを所有するのはマルトマ苫小牧卸売㈱。公設卸売市場の魚市場を運営するのは同社で苫小牧漁協ではない。ビルに入居している苫小牧漁協は仲買人として競りに参加し、地元の水産物を買い付け、北海道内外へ販売している。一般の仲買人に買い負けしないことで価格を維持する役割がある。
戦後に乱獲などで激減
市場の作業が一段落ついたところで、漁協の総務部長、赤澤一貴さんに話を聞いた。
苫小牧でホッキガイ漁が始まったのは明治初期。資源が豊富で昭和初期まで年間漁獲が安定していた。
ところが、太平洋戦争後、食糧難やイワシ漁衰退でホッキガイの乱獲が続いた。それに加えて1951(昭和26)年から始まった苫小牧港西港区の工事の影響などのため53年の漁獲はわずか67tだった。
危機感を募らせた漁業者たちは、抜本的な問題解決に立ち上がった。禁漁の期間や区域を設定したほか、殻長9cm以下(北海道の規則は7.5㎝以下)の貝は漁獲しないように自主規制し、若齢貝の保護、稚貝の移植などに力を入れてきた。80年には東港区開港に伴って漁場が西部の半分になったが、稚貝を放流するなどして漁場の拡大に努めた。貝の成長を促すため、生息密度が高い場所から稚貝を間引いて他の場所へ移すなど、地道な努力が今も続いている。
85年からは、鉄製の爪で貝を掘り出す方法を噴流水式に切り替えた。噴流水で貝を掘り起こし網の中に送り込む。水深のある漁場での漁が可能になっただけでなく、畑と同じように底質を耕して柔らかくするので、稚貝が定着しやすくなった。まさに一石二鳥だ。
こうした取り組みが奏功して89年、657tで水揚げ日本一になった。4年後には1,000tを達成し、以後900t前後の生産量を確保し、「ホッキガイ日本一」の座をキープしている。資源量調査をし、漁獲量を決めるほか、研究機関と連携して産卵状況なども調べている。
漁協の資源管理型漁業は実績を認められ、90年には農林水産大臣賞を受賞した。さらにホッキガイは「苫小牧の貝」認定(2002年)、プライドフィッシュ認定(16年)と続いた。ブランド化によって資源量や価格が安定すると、資源管理の成功例として行政や漁業関係者などの視察が増えた。
2018年、日本版MSC(海のエコラベル)と呼ばれるマリン・エコラベル・ジャパン(MEL)の認証(生産段階)を、その後、流通加工段階の認証も取得した。単一の漁協で生産と流通でエコラベルを取得したのは苫小牧が初めてだという。
「捕れるだけ捕る」から「守りながら捕る」へ漁業の大きな転換を図った苫小牧漁協。「資源管理が始まって既に数十年。SDGsが現在進行形で続いているのです」と話す赤澤さんの言葉は力強い。
苫小牧漁協は販売事業も重視してきた。苫小牧港や新千歳空港を利用した道外向け出荷に力を入れ関東、関西の回転ずしなどで消費が広がっている。同時に地元での加工を促す製品開発事業を進めている。漁協が22年に加工業者に委託して発売したのが「湯呑みのほっき貝」。湯引き(ボイル)したホッキガイは殻むき不要で手間いらず。柔らかさはそのままで甘み、うま味はアップし、さまざまなレシピで楽しめる。
ホッキガイの市場価格を下支えするため、漁協は価格が下落したときには水揚げ量を減らし、市場で買い取って加工品に回している。赤澤さんは「漁協が懸け橋となって漁業者の収入を増やすように頑張りたい」と語る。漁業者の理解と協力を得ながら、戦略的な経営哲学を実践しているようだ。
地元愛が人気を支える
漁協のそばにある海の駅「ぷらっとみなと市場」は「苫小牧グルメの殿堂」として、鮮魚や水産加工品、土産品、飲食店が集まる観光スポット。ここでは活貝を買ったり、ホッキガイのメニューを楽しんだりできる。敷地内に貝殻などで飾った「ほっき貝資料館」がある。中に入ると、館長の高野幸康さんと会うことができた。高野さんは自費で資料館を整備し、作詞した『苫小牧ホッキ音頭』は地元イベントで親しまれている。高野さんは「ホッキガイは苫小牧の誇り。地域おこしに役立てれば」と、苫小牧の応援団に徹している。
秋の恒例行事「苫小牧漁港ホッキまつり」はコロナ禍で3年中止となったが、例年3万人以上が訪れ、即売会では6tの貝が午前中に完売するという。コロナ禍最中には価格が暴落したホッキガイをドライブスルー形式で地元住民らに買ってもらった。「予想以上の来場があってとてもうれしかったです」と赤澤さん。ホッキガイへの地域愛の存在を感じさせる話題が多いことに気付かされる。
苫小牧で思い浮かぶのは吉田拓郎『落陽』の歌詞にある苫小牧発のフェリー。仙台、名古屋へ向かうこの太平洋フェリーに、筆者は何度か乗ったことがある。太平洋の夕日を眺めながら、苫小牧の人々の思いが詰まったホッキガイを味わうのも一興だと思った。