フォーラム随想満足する趣味の世界

2023年07月14日グローバルネット2023年7月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 昭和世代のおじさんの代表例のように、これという特別の趣味を持たないままに今日まで来てしまった。
 運動神経は鈍く、音楽の才能はからきしない。若いころは、「努力をすれば、何事も達成できる」といくつかのスポーツや音楽の分野で指導者について挑戦したけれど、やはり無理だった。指導者の方は、報酬をもらっての仕事だから、親切に教えてくれるが、上達しない弟子にいつもうんざりした表情を浮かべていた。意気込んで始めたときの気持ちは、段々と薄れ、脱落するのが予定されたパターンだった。
 明治生まれの父も、不器用な方だったので、素質がないのだと諦めの境地に達したのは、30代半ばだろうか。
 高齢になると、趣味を持たないと、生活のハリがなくなると強迫的に言われるが、そのとおりだろう。平日に近所の図書館に行くと、ソファーに座って雑誌を読んでいる、私と同じような年齢の男性が、数人はいる。やるべきことがなく、妻から追い出されるように図書館で時間を過ごす。女性が少ないのは、やるべき仕事があったり、話し相手の友だちを持っていたりするからだろう。

 本来、趣味は、主観的なものである。自分が楽しめるもの、熱中できるものであればなんでもよいはずである。ピアノ演奏やクルーズ船の旅のように高尚なものやお金のかかるものである必要はない。やり方によって自分なりに楽しめる。
 利用者の少ない平日、図書館でのんびりと本を読むのは楽しく、悪いことではない。こんな時間を若いころは渇望していた。
 学生時代に勉強で読んだ雑誌『法学セミナー』を棚から取って読むと、学説、判例の発展に驚く。学生時代と違って日ごろの仕事や生活の出来事に適用しながら読むので、理解がしやすい。「これは役に立つ」と思わず膝を打つ。
 また、一流の学者が執筆した論文は、整然とした隙のない論理構成になっているので、頭がすっきりするのも、学生時代に経験しなかったことだ。政治やビジネスの世界は、論理で割り切れないことばかりで、摩訶不思議なことがまかり通る。これに対して学者の法律論文は、純粋ですっきりする。私にとっての緑風のような清涼剤になる。
 書架に並べられた本は、私にとって宝の山である。以前は高くて購入できなかった本が自由に読めるのは、幸せそのものである。人生に必要なことはすべて本で得ることができる。
 今はネット社会になったが、信頼性に欠陥がある。それにあの小さな液晶画面は、紙文化で育った私には読むのに苦労し、記憶に残らない。また、長い時間見ていると、目が疲れ、障害が生じる恐れがある。

 アナログ時代の高齢者の娯楽の中心にテレビがある。私は、報道番組の他は視聴するのはプロ野球中継とEテレの将棋番組である。
 人生経験を積み重ねると、これらの番組から社会の縮図をつかむようになる。ヤクルトファンの私は、今シリーズの出だしが不調であるのが面白くないが、これは予想されたことである。昨年の優勝による選手の慢心があると思ったからだ。
 これはどの社会でも起きる。自分の職業人生でも度々そのような人を見てきた。出世街道をまっしぐらに走る人には、人がたくさん寄ってくる。「自分は実力があるのだ」と過信する。それが落とし穴である。
 同じプロ選手でもイチローや大谷翔平を見ているとやはり違う。慢心せずに常に向上するために努力を重ねていた。
 プロ棋士の対局を見ていると、一手で形勢が逆転する。思考の一瞬の隙があったからである。また、棋士は最後まで諦めないのもさすがプロだと思う。
 平凡な趣味の世界も視点を変えれば深みがあるものだ。

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