特集/国境を越えた自然保護~世界の平和構築を目指して~地球を丸ごと世界遺産にするような発想の転換を

2022年12月15日グローバルネット2022年12月号

九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授
田中 俊徳(たなか としのり)

 世界各地で今、領土や希少な自然資源を巡って紛争が続いています。自然災害と異なり、戦争は人類が引き起こす悲劇であり、平和の鍵を握るのもまた人類です。例えば、南米のエクアドルとペルーは、長年にわたり「コンドル山脈」の領有を巡って領土紛争を繰り返しましたが、1998年に紛争地域を両国の自然保護区に指定することで合意しました。自然保護をてことして領土問題を解決した人類史上、初めての事例です。
 紛争とは無縁と思われがちな日本も、隣国との領土問題を抱えています。一朝一夕の解決が難しい問題ですが、自然保護を巡るさまざまな国際協調が「予防的平和」に貢献している事例は多数存在します。今回の特集では「国境を越えた自然保護」をテーマに、環境の視点から、平和を実現するためのアイデアや事例を共有します。

 

戦争は環境にとって最大の敵である

国際的な自然保護NGOであるコンサベーション・インターナショナルによれば、1950年から2000年に起こった紛争の約80%は、生物多様性の豊かな「ホットスポット」で生じており、紛争そのものが、自然環境に対する最大規模の脅威であることが理解できる。今般のロシアによるウクライナ侵攻においても、「ポリーシャ」と呼ばれるベラルーシ・ウクライナ国境に広がる低湿地帯が甚大な被害を受けている。この地域には、数多くのラムサール条約湿地が広がっている。ベトナム戦争における枯葉剤の使用が、インドシナ半島の自然環境を壊滅させたように、戦争は、自然保護の立場からすれば、最大の敵である。紛争を減らすこと、つまり平和の構築が自然保護に貢献し、また、自然保護の理念が平和の構築に貢献し得る。

生態系に国境はない

元来、国境線は人間が勝手に設定したものであり、生態系に国境は存在しない。よって、真に効果的な自然保護を行うには、生態系を基礎として、関係する国家や地域が共同で保全管理を行うことが望まれる。例えば、ケニアで厳格なゾウの保護を行っても、隣接するタンザニアで保護が徹底されなければ、意味がない。ゾウは、自由に国境を行き来するためである。同じように、渡り鳥や回遊性生物(クジラやウナギ、マグロ等)のように、国境をまたいだ移動を行う野生生物を効果的に保全するには、国際協力が不可欠となる。とりわけ、国境線の多くが山頂や山稜、河川、湖沼といった自然環境を基準に設定されている現実を踏まえると、山岳生態系や湖沼・海域の生態系は多国間における共同管理が適切である。こうした事実を踏まえ、「国境を越えた自然保護区」(Transboundary Protected Areas、以下、越境保護区)の設置が急速に増加している。

Renner(2010)によると、2009年時点で、世界には188ヵ所の越境保護区が存在するとされる。その99%以上は、紛争国ではなく、友好国の間で設置されたものである。例えば、世界で最初に設置された越境保護区は、アメリカとカナダ国境にまたがる2つの国立公園を1932年に「ウォータートン-グレイシャー国際平和公園」(Waterton-Glacier International Peace Park)に指定したものである。慈善団体である地元のロータリークラブが働き掛けて誕生したこの平和公園は、両国の友好平和を祈念するものとして誕生し、1995年には両国にまたがる一つの世界自然遺産に登録された。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)では、こうした二国間・多国間による世界遺産の登録が国際平和に貢献するとして歓迎しており、2022年4月現在、世界に43ヵ所の「国境を越えた世界遺産」(Transboundary World Heritage Sites)がある。有名なものとして、ジンバブエとザンビアにまたがるヴィクトリアの滝(Mosi-oa-Tunya/Victoria Falls)、フランスとスペインにまたがるピレネー山脈-ペルデュ山(Pyrenees-Mont Perdu)等がある。世界自然遺産である「カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林」に至っては、ヨーロッパ18ヵ国にまたがる「国境を越えた世界遺産」として登録されている。同様に、湿地の保全を推進する「ラムサール条約」や、人間と自然の共生を推進する「ユネスコ人間と生物圏(Man and the Biosphere)計画」(日本では「ユネスコエコパーク」の通称で知られる)においても、保全の効果を高め、国際平和を促進する観点から、多国間による共同の申請を歓迎している。

自然保護が領土問題を解決する!?

Ali(2007)は、『Peace Parks』という本の中で、越境保護区が果たし得る可能性として、友好平和から一歩進んで、「紛争解決」を掲げている。中でも、記念碑的な事例が、先に挙げたエクアドルとペルーの事例である。両国では、19世紀からコンドル山脈(Cordillera del Condor)を巡る領土問題を抱えていた。1995年には、国境近くのセネパ川流域でセネパ紛争(Cenepa War)と呼ばれる大規模な軍事衝突が生じた(両軍合わせて数百名が死亡)。衝突の3週間後、アルゼンチン、ブラジル、チリ、アメリカ合衆国の4ヵ国を保証国として、双方の軍隊を紛争地であるセネパ川流域から引き上げることに両国が合意する。1997年には、当該地域の商業や航行に関する協定を含む「ブラジリア宣言」に両国が合意したが、宣言に含まれている「境界画定の完了」を巡って、エクアドルとペルーの合意が得られず、再び緊張が高まった。1998年8月には、エクアドル軍300名が、非武装地帯から20㎞離れたペルー領内に侵入し、再び緊張が高まる。この間、1993年からコンドル山脈の生物多様性調査を行っていたコンサベーション・インターナショナル(CI)をはじめとする国際NGOが積極的にロビー活動を行った結果、エクアドルとペルー両国の大統領は、アメリカのクリントン大統領(当時)と面会し、紛争地域を自然保護区に指定することに同意する署名を行い、危機は回避された。当初は、両国が当該地域をそれぞれの国立公園に指定していたが、CIと国際熱帯木材機関(ITTO)が地域の自然保護団体や先住民であるChimu族と連携して、地域の生態系管理構想を策定したことを契機として、2004年、両国が共同で「コンドル-クツク保全回廊平和公園(Condor-Kutuku Conservation Corridor Peace Park)」を設置するに至った(Ali 2007)。この自然保護を懸け橋とした革新的な領土問題の解決は、研究者や活動家を中心に注目され、さまざまな地域で、その可能性が検討されることとなった。

例えば、インドとパキスタン両国の間で領土紛争の生じているシアチェン氷河(Siachen Glacier)でも、共同の自然保護区を設置する案が検討されており、韓国も北朝鮮との国境線地帯に広がる非武装地帯(DMZ/Demilitarized Zone)を両国共同の自然保護区にするための活動を行っている(関心のある方は、拙著『自然保護と平和構築』をご参照)。国境線の確定は、高度に政治的であり、長期にわたって決着がつかないことが多いが、越境保護区の設置と共同管理は「効果的な生態系管理」という科学的な正当性のみならず、国家間の友好平和、領土問題の段階的解決といった安全保障上の発展可能性も秘めている。敵対に要する直接的な費用、敵対によって失われる機会費用を考慮すれば、共同の自然保護区にするという未来志向の選択肢があることは広く知られるべきである。

地球を丸ごと世界遺産に?

「国境を越えた保護区」の究極のカタチ、それは、地球を世界遺産にするような発想の転換である。世界遺産は条約に基づき、締約国からの推薦によって登録されるため、主権の及ばない地域や条約を締結していない国の領土をどうするか等、「地球を世界遺産にする」ことには、法的な障壁が多く存在する。しかし、南極大陸の平和的利用や領有権の凍結、環境保全等について定めた南極条約のように、地球の平和と環境保全等について定めた「地球条約」をつくり、世界遺産の理念同様、この地球を美しい姿のまま子孫に引き継ぐことを意志ある国や有志で約束することは可能である。その場合、地球上で生じている貧困や飢餓、紛争、環境破壊、資源収奪型の持続不可能な経済等は、地球の普遍的価値を損なうものとして、緊急的な対策が求められるだろう。他国に侵攻すること等言語道断である。世界遺産条約の観点からすれば、地球はすでに「危機遺産」だといえる。

宇宙から見た地球に国境線は存在しない。人びとが憎しみ合い、資源や領土を奪い合い、格差を生み出し、争うことをやめないようでは、この美しい地球を後世の人びとに引き継ぐことは困難である。今、私たちに求められるのは、「地球を世界遺産にする」ような発想の転換と実践だといえる。

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