フォーラム随想身近な犯罪
2022年10月17日グローバルネット2022年10月号
(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂
小学1年生のころ隣家の商店に深夜、泥棒が入った。泥棒は事前に十分下調べをして、金がありそうで侵入しやすい家を狙う。子だくさんで貧乏な私の家は、歯牙にもかけなかった。 その日の早朝母が起きると、玄関の戸が開かない。「変だなあ」と思ったら、表側から長い棒で戸に筋交いがしてあった。泥棒が見つけられたとき、隣家から人がすぐに飛び出せないように侵入前に細工をしたのだ。隣家は、寝込んでいる間に店舗のレジから金銭を盗まれたが、全く気が付かなかったらしい。隣家で起こっただけに幼い私は、怖く感じた。
当時地方都市にはこの種の犯罪が多かった。昭和20年代の日本は、まだまだ貧しい時期だった。侵入盗は頻繁にあって、その情報は、「あの家に泥棒が入った」というように人を介してたちまち広がった。 小さい頃、犯罪に関連する事件で記憶に残るものは、他にもいくつかある。 子どもの遊び場だったお寺の境内にある日、手提げ金庫が開錠されたまま放置されていたことがあった。誰かが警察に連絡したのだろう、程なく近所の交番のお巡りさんが、自転車で駆けつけた。 「最初に見つけたのは誰?」と言う。子どもたちに指さされたAにお巡りさんが厳しく問いただした。ふたを開けて中を見たことがまずかったのか、まるで犯人扱いだ。その子の家は私の家以上に貧しかったので、先入観があったのかも知れない。しかし、周囲の状況から深夜に誰かが置き去ったことは、小さな子どもでもわかった。 急を聞いたAの母親が、髪を振り乱しながらびっくりしてやって来た。母親は、血相を変え、激しく抗議をした。明らかに母親に分がある。するとお巡りさんは、金庫を自転車に載せて去って行った。その後の結末は、知らないが、Aの心に深い傷が残っただろう。
5歳ごろの夏、家族で富山県高岡市内の雨晴海岸へ海水浴に行った。義経と弁慶が奥羽へ逃げる際に雨宿りをしたという伝説が残る美しい海岸で、今でも市民の海水浴場として賑わう。両親は、子どもたちに海で遊ばせたいと市内から汽車で出掛けた。乗車時間30分程度のところである。 浜茶屋で着替えをして子どもたちは、記憶は残っていないが、海でたっぷりと遊んだのだと思う。夕方近くになり、帰り支度を始めた。すると、父親の様子がおかしい。目を離していた隙に財布を盗まれてしまったらしい。その時母は、幸か不幸かお金を持って来なかった。 帰路は、とぼとぼと歩かざるを得なかった。10キロ以上もある道は、海で遊び疲れた子どもには大変厳しかった。父親は、子どもたちに申し訳なそうな表情をしていた。母は、「あなたがしっかり見てないからよ」となじったが、5歳の私は、「悪いのはお父さんじゃないよ。泥棒だよ」と父をかばった。その時の和らいだ父の顔が忘れられない。 その経験は、私にとって良い教訓、というよりもトラウマといえるかも知れない。盗難には過剰なほど気を付けるようになった。おかげで今日までその種の犯罪にはあったことはない。 10年ほど前に当時と同じ道を歩いてみた。2時間程度のウォーキングコースといえるが、自動車が頻繁に通り過ぎるのが難点だった。歩きながら60年前の泥棒事件が自然に浮かんできた。
最近は、本欄で度々紹介したように振り込み詐欺の電話を頻繁に受ける。ひと月に1回はある。もう慣れてしまった。「区役所の国民年金保険課ですが」と電話がかかる。反射的に「はい、そうですか」と言ってガチャンと電話を切る。 最近の犯罪は、このように無機質的で、誰もが常に被害者になり得る。特に、デジタルリテラシーに欠けた高齢者がターゲットになる。犯罪予防も新しい工夫が必要な時代になった。