日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第67回 「さかなの町」は震災復興へ取り組み着ー岩手県・釜石
2022年10月17日グローバルネット2022年10月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
東日本大震災で被災した三陸海岸を初めて訪れた。以前から計画していた下北半島へも取材の足を伸ばした(連載6回)。リアス式海岸の太平洋と津軽海峡がつながる北の海は日本を代表する漁業拠点だ。だが、震災の傷跡は大きく、定置網による秋サケの漁獲減少などの環境変化なども重なる。それでもインフラ整備、人びとの不屈の思いが復興への希望を持たせてくれる。梅雨入り前の6月上旬、取材旅は時折雨やヤマセと呼ばれる冷たい霧に出くわした。
●最新鋭の魚市場が完成
盛岡から東北本線、釜石線を走るJR快速「はまゆり」で向かったのは釜石。明治期に初の官営製鉄所が設置された日本の近代製鉄発祥の地だ。だが、震災前の新日本製鐵(現日本製鉄)の高炉休止(1989年)もあり、釜石市の人口は最盛期の3分の1、3万人まで減少している。
駅に到着すると釜石市役所を訪ね、水産農林課主幹兼水産振興係長の立石孝さんに面会し、復興の経緯や現状について聞いた。
震災では、巨大津波に耐えるはずだった「釜石港湾口防波堤」が決壊するなど沿岸部は壊滅的な状況になり、釜石市は基幹産業の水産業復興へ総力を注いだ。
釜石市魚市場の新築復旧を急ぎ、2013年にサンマ船など大型船の水揚げに対応する「新浜町魚市場」が完成、2017年には地元定置網などを対象とする「魚河岸魚市場」(鉄骨造り2階建て、延べ床面積6,500m2)が完成した。施設は鳥獣の侵入を防いだり、殺菌冷海水を使ったりする最新の衛生管理型だ。
釜石市魚市場の二つの核となる施設がそろったことで作業効率化や魚介類の鮮度保持能力が向上。産地魚市場としての機能が強化され、市場周辺へ水産加工業者が集まった。加工業者は他地区から4社が加わり8社に、工場は17ヵ所と震災前以上となっている。
震災に追い打ちをかけたのは、定置網の主役である秋サケの大不漁だ。立石さんは「かつて4億円あったが昨年は1,000万円程度。市の水産業全体も28億円から11億円に減りました」と話す。
岩手県全体でも2008~2010年は平均2万7,000tだったが2020年は1,700t、さらに翌年はわずか400tまでに減った。
市場も漁協も秋サケに頼っていたので打撃は大きい。さらにその先の加工業者も影響を受けている。
「かつて秋サケは大漁で、魚を積んで沈みそうな船が入港していました」と立石さんは回想する。
不漁の原因は、地球温暖化による海洋環境の変化などによるとの見方があるが、明確な原因は特定されていない。ミズダコの漁獲が減り、マダコが増えるなどの変化もある。
●サクラマス養殖に挑む
秋サケの不漁を補い、「魚のまち釜石」復活への取り組みとして、市も参画して2年前からサクラマスの海面養殖試験が始まった。釜石に三陸水産研究センターを設置した岩手大学、釜石湾漁業協同組合、㈲泉澤水産、日東製網㈱でコンソーシアムを組み、産学官連携で挑む。
釜石湾内に直径20mのいけす1基を設置。昨年稚魚1万匹を投入し、成魚約8,000尾(12.8トン)を水揚げした。
サクラマス(河川に残留するのはヤマメ)は日本在来のサケ目サケ科の高級魚。取材後の報道によると、今年は昨年の2倍の稚魚2万1,000匹を入れ、7月に約1万6,000尾(約30t)を水揚げするなど順調に推移している。また、名称を「釜石はまゆりサクラマス」としてブランド化を目指すことになった。
さらに魚市場は、収益を増やすためにサンマ漁の外来船誘致に力を入れている。市も誘致活動に協力するとともに、外来船が港で購入する氷代を補助している。昨年はサンマの水揚げが少なく、サバやイワシを捕る巻き網漁船の誘致に力を入れている。誘致戦略に着手するのが早かったのが奏功し、ライバルの他港を抑えて2016年には1隻だったものを2020年度は延べ51隻、昨年度同17隻に増やした。
「魚のまち釡石」のにぎわいを生み出すために、魚市場のすぐそばにできたのが魚河岸テラスだ。1階のキッチンスタジオや展示・物販スペース、野外はイベント広場にもなる駐車場がある。2階には釡石湾の景色を一望しながら地元の食材を使った料理を楽しめる3店がある。立石さんは「ドンコ(エゾアイナメ)などが三陸の魚が味わえますよ」と教えてくれた。
実際に釜石市魚市場に行ってみると、工場のような魚河岸魚市場は営業時間外で周辺は閑散、魚河岸テラスも定休日(月曜日)だった。にぎわいを実感するためには出直して来るべき場所だと思った。
●震災の記憶後世に残す
限られた取材の時間で三陸地方のできるだけ多くを見ようと思ったので、釜石駅から北へ5㎞ほどの三陸鉄道鵜住居駅前エリアにある「うのすまいトモス」へ。震災伝承と防災学習のための「いのちをつなぐ未来館」、震災犠牲者を慰霊、追悼する「祈りのパーク」などが集まっている。
近くには2019年のラグビーワールドカップの会場となった復興スタジアムがある。1979年から日本選手権V7を達成した新日鐵釜石ラグビー部の伝統は釜石シ-ウェイブスRFCに引き継がれている。
さらにそこから復興道路の三陸沿岸道路(2021年12月に全線開通)を南へ走った。この道は全長359km(仙台市~青森県八戸市)のうち333kmが無料区間で、漁港・水産加工業者の輸送、観光客の呼び込みに多大な寄与をしている。
高田松原津波復興祈念公園に着くと駐車場で一夜を過ごし、朝になって「奇跡の一本松」や周辺に残る被災建物を見た。実際に目の前にすると犠牲者への追悼の気持ちや大自然への畏怖で胸がいっぱいになった。
釜石に戻ることにし、途中の大船渡市で三陸鉄道などの始点がある盛駅にも寄った。この町出身の歌手、新沼謙治が震災復興を祈って作詞作曲、歌った『ふるさとは今もかわらず』を思い出しながら、三陸沿岸道路と並走する国道45号線を走った。
釜石に入ると、鉄の歴史館と釜石大観音のそばを走り、「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」に入った。営業は朝7時から。1階に魚介類、肉野菜、食堂、2階に飲食店、スナックなど合わせて20店ほどが入っている。1階には誰でも使える調理スペース「みんなのキッチン」、店で買った魚や食材を海鮮焼で味わうスペースがある。地魚を楽しむための「魚のさばき方教室」も開催している。
店は昔からの対面販売で、鮮魚店に並ぶ大きな4,000円のサクラマスに感心しながら、アカモクとイカの加工品、カツオのたたきを買った。「駅前橋上市場」とあるのは、かつて橋の上で営業していた名残だという。復興で町は新しくなっても「魚のまち釜石」の懐かしい顔を知ることのできる場所だと思った。