日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第66回 日本一のアサリ産地と変わる海の環境ー愛知県・渥美半島
2022年09月15日グローバルネット2022年9月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
知多半島から北上し、三河湾沿いをぐるりと右回りに渥美半島を目指す。日本一のアサリ産地として知られる愛知県でアサリ漁を取材するためだ。取材前の2月、熊本県でアサリの偽装問題が発覚し、新聞記事に愛知県のアサリ漁師が風評被害を心配していることが報じられたので、一層関心が高まっていた。
途中で前泊した蒲郡の話題にも触れておく。一つは蒲郡が「深海魚のまち」であること。県内に4隻しかない沖合底引き網漁船があり、形原漁港では「順風丸」と手入れ中の網を見ることができた。太平洋の水深100~500mの海域でメヒカリ(アオメエソ)、ニギス、アカザエビなどの深海魚を捕っている。深海の水圧に耐えるため、脂が乗っておいしい魚は地元の料理店でも食べられる。
●プランクトン豊かな海
もう一つは翌朝訪れた竹島。周囲約680mの小島で、名前は同じでもこちらは領土問題はない…。387mの橋を渡ると島全体が八百富神社の境内。国の天然記念物の植生と地元の人びとのあいさつがすがすがしかった。取材成功を祈願し、さあ出発だ。
車で50㎞ほど走ると田原市古田町にある渥美漁業協同組合に到着、副組合長(6月から代表監事)の中川信久さんから説明を聞いた。漁協は2009年に田原、宇津江、泉、伊川津、清田、福江、伊良湖岬の7組合が合併して設立、18年に中山漁協を吸収合併した。主にアサリ、大アサリ(ウチムラサキ)、タイラガイ(タイラギ)などの採貝とノリ養殖を営んでいる。
三河湾はプランクトンが豊富でアサリがよく育つ。中でも渥美漁協のアサリは身入りがよく、やわらかく甘味があるため評価が高い。アサリの稚貝は三河湾東端の豊川河口に広がる六条潟で大量に発生しており、それを県内各所に移植している。
アサリは移植したものや天然ものを一年中採貝している。「昔は天然ものが1人で1日170~200㎏採れました」と中川さん。だが、全国の他の場所と同じように愛知県も近年アサリが急減している。気掛かりなのは、三河湾でウミグモの被害が出ていることだ。
本誌2021年5月号で報告した千葉県・盤州干潟と同じことが起きているようだ。ウミグモは人には寄生せず毒性もないが、アサリが大量死することがある。漁協は被害拡大を防ぐため、六条潟以外からの稚貝は移植をせず、地元の稚貝で賄っている。アサリにはウミグモだけでなく、ツメタガイ、アカエイ、クロダイなどによる食害が付きまとう。
組合はアサリを増やすための取り組みを続けてきた。中でも期待が大きいのはブランドアサリ「渥美垂下あさり」だ。選別した殻長16㎜以上のアサリをかごに入れ、12月下旬に海の中につるす。2月中旬~4月下旬ごろ、基準の肥満度に達したものを出荷する。3年目の今年は合計659㎏を出荷した。砂出しが不要で、天然ものよりうまみがあるという。経費はかかるが、現在2ヵ所で行っている取り組みを普及させたいという。
また、今春から袋網の中に砂利とアサリを入れて育てる「敷設式」の取り組みを始めた。
従来の「敷き網」も続けている。貝を育てている場所に網をかぶせる方法。成果は出るのだが、網に付着したアオサや汚れを取り除き、下にいるアサリが酸欠状態にならないようにする手間がかかる。
アサリ漁では、爪の付いた格子かご状のマンガ(万牙)という漁具で海底の砂泥を掘り起こしながらアサリを採る。目合いは13㎜でこれ以下のアサリは採らない。深い場所で使う長い柄のマンガによる採貝は少なくなった。西三河地区では小型機船底引き網による漁もあるという。
中川さんに案内してもらい、車で5分ほどの福江漁港に着くと、中川さんはウエットスーツ姿になってマンガ漁のやり方を見せてくれた。慣れた手つきと無駄のない動きはさすがだった。中川さんと別れると、近くの海岸から実際の採貝の様子を見た。10人ほどが小型ボートから海に入り、腰から胸の辺りまで海に漬かりながら、マンガの柄を前後に動かしている。中川さんが語っていた「値段も気にはなりますが、手応えのある量が採れると気分がいいですね」という採貝の楽しみを思い出した。
堤防横の畑ではキャベツの収穫作業が続いていた(取材は4月)。渥美半島は日本一のキャベツ産地。中川さんによると、キャベツ栽培などの農業とアサリ漁を兼業する人も多いそうだ。
●干潟保全を計画に明記
改めて三河湾を確認しておこう。面積604㎞2、平均深度9.2mの閉鎖性水域。1970年代から港湾施設建設のための埋め立てや浚渫などが続き、汚濁や赤潮発生などに悩まされた。近年は冬場に稚貝が死んでしまうことがあり、原因はこれまで本連載で何度も出てきたように海水中の栄養不足だとみられている。
加えて北西の風が強い三河湾では、海底の砂泥が動いてアサリの定着を妨げる。漁業者が減り、海水の動きを弱めるノリ養殖や角立と呼ばれる定置網も少なくなった。人工干潟を造成しても風波で海底の砂泥が動くという。中川さんは「昔は海に手を入れると痛くなるほどの冷たさ。海水温も上昇しているように感じます」。漁業の内容が変化するのに伴って、アサリが育つ海も複雑で多様な変化を続けている。
取材の最後に立ち寄った六条潟では、広大な海原の潮が引きつつあった。数人が浅瀬に入りアサリを採っていた。そばにいた地元の人によると、無料で潮干狩りができるので人気の場所だという。国や愛知県は、三河港港湾計画(2011年策定)で六条潟を保全する区域と明記している。開発と自然保護はいつも対峙するのだが、藤前干潟(名古屋市)のように、いつまでも残されることを願うばかりだ。
●昼間の市場に新鮮魚介
採貝の様子を見た後は、渥美半島先端の伊良湖岬に向かった。唱歌『椰子の実』で知られる海がある。明治期の夏、ここに民俗学者柳田國男が滞在した。恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を島崎藤村に語り、島崎がその話を基に作詞したという。砂浜と大海原を想像しながら無心に歌った子どもの頃が懐かしい。
灯台へ続く小道には百人一首が刻まれた石碑が並び、沖に三島由紀夫『潮騒』の舞台になった神島が見えた。来てみてわかる旅の妙味なのだ。
次に足を延ばしたのは近くの渥美魚市場。伊良湖近海の太平洋、三河湾、伊勢湾で捕れる豊富な魚介類が集まる。競りが昼の12時半から始まり、すぐそばで観光客が見守る中、威勢のいい声が飛び交った。市場が経営する「いちば食堂」に飛び込むと10食限定の魚フライ定食を注文。ノリの佃煮、シラス、アサリごはんなど、皆おいしい。キャベツがシャキシャキとして異常にうまかったので、帰りに道の駅あかばねロコステーションで「寒玉キャベツ」1個を100円で買った。荷にならぬよう小玉を選んだのだが、2倍以上のサイズで150円の大玉を買うべきだった、と悔やんだ。