フォーラム随想経験こそわが師

2022年07月15日グローバルネット2022年7月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 表題は、朝日新聞出身の評論家である扇谷正造が、日本能率短期大学出版部から出版した本のタイトルである。20代の若い頃読んだが、扇谷は名文家で、わかりやすい文章を書いた。自分が実際に経験したことを題材にしているだけに説得力があった。私の文章のお手本にする一人である。
 本書は、タイトルどおり経験が人生で役立つことを述べているが、自分の人生を振り返って、そのとおりだと合点がいく。
 馬齢を重ねるにつれ、経験だけは積まれてきた。そこで過去の経験を最大限活用しない手はない。最近は物事を考え、行動する場合は、まず自分の経験を振り返ることにしている。必ず有効なヒントが得られる。
 若い頃には時代は常に変化するので、昔の経験なんか役に立たない。むしろ、有害なことがあると生意気なことを豪語していた。しかし、真実は全く逆だと最近しみじみと感じるようになった。
 現在は歴史の転換期だと認識している。コロナ感染のまん延、ウクライナ侵攻、民主主義の危機、情報化社会の展開、地球温暖化の進行などたくさんあるが、これらの変化は、私にとって既視感があり、これまでの経験を有効に使えることが多い。
 コロナが席巻している現在は、私には60年ほど前、結核が身の回りに存在した時代と酷似している。だからウィズコロナへの対処方法は、当時の経験が役立つ。

 

 経験が役に立つ身近な事例を挙げると、振り込み詐欺への対処がある。
 最近も振り込み詐欺と思われる電話を受けた。家に高齢者が住んでいると知られているらしい。すでに5回程度かかっているので、この種の電話への応答には慣れてきた。
 6月初旬にかかってきたのは、土曜日の午前11時過ぎだった。
 「A区役所の年金保険課ですが、5月20日締め切りの医療費1万2541円の還付金の請求の締め切りを過ぎましたので、区役所からは払えませんが、銀行からなら払える方法があります」という旨の電話が20代と思える男からあった。
 還付金の額が一桁までと芸が細かいが、このような平常業務を区役所が土曜日にやるわけがない。医療保険の仕事をしていたが、こんなことは考えられない。荒唐無稽な話である。公務員生活37年の経験では公務員には独自の話し方があるが、この男はそこまで上達していない。居酒屋のアルバイトと同じ話し方である。
 「また詐欺の電話か」と憂鬱な気持ちになるとともに、電話番号が知られていると不気味さを感じた。ガチャンと切りたくもなったが、少し付き合うことにした。
 「携帯の電話番号を教えていただければ、銀行の方から連絡させます」と言う。
 「この電話にかけていただければ結構ですが……」
 「携帯電話でないと、本人と確認できませんので」と理屈に合わないことを言う。
 「それでは銀行から職場にかけていただければ、私の確認ができますから」と言うと、突然ガチャンと切られてしまった。
 詐欺者のシナリオは、見当がつく。携帯を持たせてATMに誘導したかったのだろう。
 しかし、最初の頃はドギマギした。詐欺だと思いつつも本当だったらという気持ちがよぎったが、怖い気持ちが勝って、途中で一方的に切った。切った後も何か悪いことが起こるのではと心配だった。
 その2時間後に地元の警察から「お宅の近辺で詐欺の電話がかかっていますので、注意してください」と女性の声で電話があった。その時はそれも詐欺ではないかと疑ったものだ。

 

 経験の大切さは、いろいろな局面で経験する。事故や災害に遭遇した時や家族が病気になった時など深刻な事態では特に痛感する。
 するとどんな苦しいことや嫌なことがあっても「将来のために良い経験になる」と前向きになれる。

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