日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第61回 宮島の恵まれた海で育つ「地御前かき」-広島県・廿日市

2022年04月15日グローバルネット2022年4月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

 

広島市中心部から20kmほど瀬戸内海沿いを西に進み、廿日市市の地御前じごぜんに到着したのは昨年12月初旬の未明。世界遺産の厳島神社を擁する宮島の対岸にあるマルキヨ水産(たお清隆社長)のカキ作業場で、カキいかだのカキを収穫して戻る船を待った。広島県の取材は生産量日本一のカキ養殖から始めることにした(3回)。筆者が暮らす広島県は多島美の瀬戸内海の豊かな恵み、多彩な歴史文化が自慢である。多少の地元びいきが紛れ込むのだが……。

●知名度抜群のブランド

広島県のカキ(マガキ)生産量は2020年度は1万7,200t(むき身)で、全国の約6割、また県内漁業の生産額の約6割を占める重要な存在である。

広島湾周辺は河川から栄養塩が供給され、程よい塩分濃度と豊富なプランクトンに恵まれてカキ養殖に適した海域となっている。島や岬に囲まれて波が静かなので、いかだ養殖も拡大した。さらに養殖技術開発や生産者の熱意など人的な要因も忘れてはならない。

数ある産地の中でも「地御前かき」は伝統的な高級ブランドとして定評がある。マルキヨ水産の峠さんは地御前漁業協同組合の組合長を務めている。

収穫したカキを満載した漁船が着岸すると、峠さんも含めて7、8人が、クレーンを使ってかごに入ったカキの陸揚げを始めた。カキの塊をほぐして、海につるすために使ったワイヤやプラスチックパイプを取り除いていた。カキは洗浄され海水プール(蓄養プール)で1日浄化した後、カキ打ち場へ送られる。

早朝のカキの水揚げ

作業が一段落ついた峠さんにまず「地御前のカキは他とどこが違うのか」と質問した。

答えは明快だった。「地御前のカキは身の色が少し濃いクリーム色をしています。養殖している地先の干潟があり、そこで栄養分の豊富な太田川や八幡川などからの水と潮の流れが混ざり合うのです。これほど好条件の自然の場所はなかなかありません」

近くの堤防では釣り人がブリ釣りの餌にするコノシロを釣っていた。小魚もたくさんいる海域のようで、峠さんの説明を証明していた。

●垂下式で生産量増える

広島湾のカキ養殖の歴史は古い。『広島県大百科事典』(1982年)などによると、貝塚から大量の天然カキの殻が出土しており、養殖が始まったのは室町時代といわれる。石に付着させたり、干潟の砂の上に置いたりして育てる方法だった。江戸時代には干潟に差した竹や雑木の枝にカキの幼生を付着させて育てる「ひび建て養殖」が普及。

昭和期になるとカキの幼生が付いた貝殻と竹の管を交互に通した「連」をぶら下げる方法が登場、その後、広島県水産試験場が、いかだ垂下式を考案し、現在の発展となった。

流通では江戸期の1660年代には広島のカキ船が大阪へ出掛けてカキ料理の提供とカキの販売を始めた。

地御前の漁協はイカナゴなどの漁を主に、ひび建てでカキ養殖を小規模に行っていだが、いかだ式の養殖が始まるとカキ専業となった。

生産量は飛躍的に伸びたが1972(昭和47)年、外来種でゴカイなど環形動物の仲間であるカサネカンザシの大量発生でカキが大量死した。このため、漁協は大学の協力を得て水質や底質、潮流などを調べ、養殖環境の改善に取り組んだ。いかだといかだの間隔を広げて過密を防いだり、垂下連を短くしてカキの下を潮が流れやすいようにしたりした。対策が奏功し、品質が向上すると東京へ出荷して高い評価を得た。77(同52)年度農業祭での天皇杯受賞をはじめ、二度の水産庁長官賞を受けている。現在、組合のカキ養殖業者は19業者で、海底の耕うんや底質改善などを続けている。

昨年11月には地御前漁協が水産エコラベル「マリン・エコラベル・ジャパン(MEL)」の認証を受けた。カキ養殖では初めて。この認証は水産資源や生態系などの環境にやさしい漁業や養殖業を認証する仕組みで、日本水産資源保護協会が国連食糧農業機関(FAO)のガイドラインに基づいて運営している。認証は地御前かきの価値をさらにアップさせるだろう。

カキが育つ海は絶妙な生態系のショーケースでもある。「台風が来ると干潟がきれいになり、底質もよくなる」という峠さん。だが、海がきれいになりすぎて海の生産力が低下していることが気掛かりだという。赤潮発生の原因になっていた富栄養化を防ぐため、瀬戸内海では排水規制が行われ、1970年代後半から窒素、リンの濃度が減少している。漁業者は下水処理場の排水の窒素濃度を上げるよう行政へ要望している。

●姿を消した広大な干潟

マルキヨ水産での取材を済ませるとフェリーで宮島へ渡った。日本三景の一つで有名な観光地である。焼きガキや名物「あなご飯」が味わえる商店街を抜け、ロープ―ウエーに乗って『安芸の宮島』(歌:水森かおり)にも出てくる弥山みせん(標高535m)の頂上へ。展望休憩所からの360°のパノラマは圧巻で、絶景の瀬戸内海にカキいかだがあちこちに浮かんでいる。小さく見える地御前には、厳島神社の摂社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社)である地御前神社があり、日本三大船神事の管絃祭かんげんさい(旧暦6月17日に開催)でにぎわう。西を眺めるとアサリも有名な大野瀬戸が見える。

宮島の弥山から 地御前方面を望む

原生林の山頂付近と対照的に、対岸は広島市のデルタ地帯から廿日市木材港まで埋め立て地となっている。広島市西方の庚午こうご、草津、井口地区の地先水面を埋め立て、1982年に竣工した西部開発事業で造成地328haが出現した。平地の少ない広島県の生産・物流の拠点となり地元経済を支えている。中央卸売市場、草津港なども新たに整備された。

かつて干潟が広がる豊かな漁場があった場所はカキ養殖の発祥地でもある。草津には江戸時代の延宝元(1673)年にひび建てのカキ養殖を始めた小林五郎左衛門の偉業を伝える「安芸国養蠣ようれい之碑」がある。

経済発展の一方で自然が失われてきたことも忘れたくない。八幡川河口には人工干潟(24ha)が造成されているが、後日その海岸を歩いてみると、捨て石が敷き詰められていて干潟とは思われない。人間が自然を造ろうとすることは「バベルの塔」でないかと思う。自然再生の名のもとに広島湾だけでなく日本各地で汚泥や建設残土、しゅんせつ土などを投入した埋め立てが続いている。峠さんが貴重な「地御前の海」の先行きを危惧する気持ちに現実味がある。

取材した「地御前かき」だけでなく、「かき小町」(産卵せずに大粒になる三倍体で年中味わえる)など県内各地の生産者がブランドを競っている。カキ小屋やカキ祭りは広島の風景だし、飲食店のカキメニューも豊富。生産量全体の6割ほどはカキフライや薫製など多彩な加工品になる。カキは広島県民の誇りなのだ。取材後にマルキヨ水産で買ったむき身はガーリックソテーと土手鍋で堪能した。ぷりぷりとした食感と磯の香りは自然の贈り物。「最高で~す!」と、カープなどプロ野球の選手が発するのと同じ言葉が出た。

安芸国養蠣之碑

タグ:,