持続可能な社会づくりの模索 ~スウェーデンで考えること第5回 いつ医者に診てもらえれば大丈夫なのか~スウェーデンの医療事情に思うこと
2022年03月15日グローバルネット2022年3月号
ルンド大学 国際環境産業経済研究所 准教授
東條 なお子(とうじょう なおこ)
スウェーデンでは、病気になってもちょっとやそっとでは医者に診てもらえない――「福祉国家」として知られるこの国だが実際生活すると直面する現実である。本稿では、この逆説的な状況に寄与していると思われる医療制度や社会全体の仕組みを、筆者が一住民として見聞きし、感じることを基に検討し、全体として適度に充足した医療制度といえるのか考えてみたい。
急患でも追い返され、慢性便秘も学校の紹介で診察に
スウェーデンに住み始めて数年後、這わなければ進めないほどの腹痛に見舞われたことがあった。痛み止めでなんとか一晩しのいだものの、翌日痛みが戻り、急患で診てもらおうと病院に行った。だが、2時間近く待たされた揚げ句、話も聞いてもらえないまま、今日は医者が足りないから明日来るようにと言われた。翌日状況がまた悪化し病院に電話をすると、本当に悪いのか、明日まで待てないか、と聞かれた。あまりに頭にきて、「用もないのに電話するほど暇ではない」と状況を話すと、やっと受診できることになった。
このような話はスウェーデンに住む外国人の間では枚挙にいとまがなく、医者にかかりたかったら七転八倒の演技をするしかない、という知人もいるくらいである。診察は基本的に電話での予約制で、対応する看護師の判断で診断の優先順位が決まるため、言語の問題もあるかと思っていたが、スウェーデン人でも、例えば筆者の夫が、眠れないほどの背中の痛みに苦しんだ時も、専門医に診てもらえたのは数年後だった。乳幼児の場合は比較的すぐに診てもらえるが、小学生くらいになるとそうでもない。例えば、慢性便秘に悩む息子は自治体の一般医療センターですら診てもらえず、学校からの小児科専門医への紹介によりようやく診察に至った。皮膚科、内科等の受診予約が1日後に取れたら、本当にラッキーという感じなのである。
いったんシステムに入ると妥当な対応
だが、いったん診てもらうことができると事態は好転する。上述の筆者の腹痛の場合、病院に着いて再度2時間ほど待たされたが、医者の診察後の検査で体のどこかに炎症が起こっていることがわかり、入院することになった。炎症は2日ほどで収まり、何が悪かったのかは結局わからなかったが、入院中のケアは良かった。夫の背中の痛みは、痛み対応専門医が数人で診てくれた後、背中の筋肉専門の物理療法医が何回も診て諸々のトレーニングを処方してくれ、症状が収まったし、息子の便秘も、食物等のアドバイスの他、適度な薬を処方してもらい、快方に向かっている。多少の当たり外れはあるが、医療の質は概して高いと思う。
上限のある医療費負担、「平等」と煩雑な医者の仕事
診てもらいにくい理由の一つとして、国民が直接支払う診療費の上限があり、それが比較的低いことが考えられる。診察料(2022年2月現在)は、例えば筆者の住むスコーネ地方では自治体の一般医療センターでも一回当たり200クローナ(約2,500円)と高めだが、診察費の合計が1年以内に1,200クローナ(約15,000円)を超えると、その後の診療は無料になる。処方薬についても同様の上限額が設けられている。貧富にかかわらず誰でも長期的な治療が受けられるという大きな利点がある反面、超過分は税金で補填されるので、診療を控える傾向になるように思う。
もう一点考えられるのは、長年進められてきた諸方面での平等の一環で、秘書といった職種が卑下されていると捉えられて廃止され、例えば医者や管理職等にある人も事務仕事を自分でやらなければならなくなったことである。それぞれの職種に就く性別の偏りもあり、その意味では、「下」と見られていた職種の撤廃は意味のあるものであったが、医者が医療行為以外のことに業務時間を費やすようになった分、医療行為に当てられる時間が減ってしまった。
スウェーデン人の「期待値」、自立重視の国民性
筆者の周りにいるスウェーデン在住の外国人の間では悪評の高い医療サービスだが、病院の予約が取れたら他のことはさておき受診を優先することはあるものの、スウェーデン人からは愚痴や憤りをあまり聞かない。これは、本誌372号の利便性に関する拙稿でも述べた、社会全体の期待値によるように思う。大方のスウェーデン人には普通の風邪で医者にかかろう、という発想はなく、多少のことであれば我慢し、病院に行くのは本当に大変な時、という感覚を持っているように思う。このことは、自分でできることは自分でやることを好む国民性の現れかもしれない。障害者や高齢者といった身体的弱者の支援でも、電動車椅子や歩行器(写真)等、自立を重んじ他人の助けなしに一人で生活できるような機器の開発が進められてきたことにもつながるようにも思う。予約なしで受診可能な時間帯を設けるといった変化が多少はあるが、診察へのアクセスを大きく問題視している様子は感じられない。コロナ禍においても、感染が疑われる場合の陽性・陰性テストは、スウェーデンでは当初から基本的に家で自分で行い(検査は公的機関が行うのが主)、重症でない限り医者には診てもらえない。
数年前に筆者が親子3人で4ヵ月間日本に住んだ時、この、「いつ診てもらうべきか」の感覚の違いを痛感した。住み始めて一月ほど経った頃、当時4歳だった息子が咳をするようになった。今考えるとかなりひどかったのだが、筆者夫婦の間では、心配はしても病院に連れて行くという発想はなかった。ところが、様子を見た筆者の家族には皆、病院に行っているのか聞かれ、救急病院の電話番号を調べてくれる人までいた。そこで、そんなものかな、と思い、近くの小児科を訪ね、以来、スウェーデンにいたら多分受診を考えなかったであろう咳、熱等でもお世話になるようになった。
充実した電話アドバイスやウェブサイト情報
医療機関へのアクセスがしにくくても、病気にかかること自体が相対的に少ないわけではない。それではスウェーデンでは病気になった時どうするのか。充実しているのが、看護師、時には医者による電話でのアドバイス提供、また公的医療機関のウェブサイト上の情報提供である。電話アドバイスの場合、かなり待つこともあるが、当面行うべきこと、その後の展開に応じて行うべきことを、症状に応じてかなり細かく教えてくれる。ウェブ上の情報も、症状による病気の見分け方や対処方法など、かなり詳しく載っている。
初期対応にはやはり早い診察の方が?
このように、スウェーデン人にとっては合理的で違和感もない制度なのだと思う。ただ、医学的専門知識のない一般市民が、病気にかかった初期段階で病院に気軽に行って診てもらえず、症状が重くなるまで待たなければならないのは、やはり社会全体のロスだと思う。夫のように長期間症状が良くならない場合、待たずに診てもらえれば、本人にとっての益はもちろん、職場での仕事の効率も上がるだろうし、周りの家族の心配も減る。筆者家族の日本滞在中、小児科で、「連れて来てくれて本当によかった、この症状は危ないんですよ」と言われたこともあり、スウェーデンにいたら今頃どうなっていただろう、とぞっとした。
スウェーデンは(日本もそうだが)各国の健康管理システムのランキングでも上位国であり、健康管理に関する外国への技術や資金援助も活発に行っている。ただ、医学的専門知識のない一外国人生活者としては、敷居の高さに不安を感じてしまうのである。