21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第47回 市場主義から資本基盤主義へ
2021年05月17日グローバルネット2021年5月号
千葉大学教授
倉阪 秀史(くらさか ひでふみ)
「市場主義」の亡霊
市場の価格調整メカニズムを機能させることによって、さまざまな社会的な課題を解決しようという考え方があります。これは「市場主義」と呼ばれます。この言葉を世間にはやらせた本が、1996年に出版された伊藤元重『市場主義』です。この本では、「市場の活力を利用しながらいろいろな問題を解決していく姿勢」が「市場主義」の立場であると説明しています。
市場主義は、主流派経済学とされている新古典派経済学の考え方が背景にあります。この経済学は、市場に参加する主体がそれぞれの利潤や効用を最大化する形で行動しても、市場での価格調整を通じて、社会的に最もよい資源配分が実現するという考え方を根幹に持っています。
市場主義者は、政府が市場に介入することを好みません。財産権を確立し、独占・寡占を防止し、不当な広告表示などを規制することによって、市場の機能が発揮できるように政策を行うことは必要であるが、それ以上の市場介入はすべきではないという考え方です。市場主義者は、可能な限り規制を緩和し、企業の自由な経済活動を促進しようとします。
このような市場主義の考え方は、しばしば排出権取引や環境税といった環境面から市場に介入する制度の導入に反対する論拠となってきました。2000年の佐和隆光『市場主義の終焉』(岩波新書)、2014年の根井雅弘『市場主義のたそがれ』(中公新書)など、市場主義に疑問を呈する論調もみられるようになりましたが、依然として、市場主義は根強く残っています。
市場主義が根強く支持されている一因に、計画経済は失敗するから市場に任せるべきであるという理屈が共感を得られていることが挙げられます。政府が需給調整を計画的に行うことは成功しないから、市場主義が正しいという思考回路です。
「資本基盤主義」という考え方
しかし、市場主義に対抗する考え方は計画経済ではありません。わたしは、人間の経済の持続可能性を確保するために、「資本基盤主義」という考え方を市場主義に対抗させるべきと考えています。
資本基盤とは、人間に有用性を与えるメカニズムを備えた物理的な存在です。人的資本基盤(人そのもの)、人工資本基盤(さまざまな人工物)、自然資本基盤(有用な生態系のメカニズム)といったものがあります。これらはひとたび有用性を提供してもそのメカニズムは持続します。持続する資本基盤が人間の経済社会の持続可能性そのものともいえます。
資本基盤のメカニズムが持続しなくなる場合があります。人は働き過ぎると過労死します。人工物も劣化し壊れていきます。生態系も環境負荷が閾値を超えて加われば元に戻らなくなります。
どこまでの負荷ならば各種資本基盤が持続するのかについては、医学、工学、生態学など、それぞれの専門分野において科学的な知見が積み重ねられています。しかし、その科学的な知見が市場への参加者に共有されているとは限りません。
市場に参加する事業者や消費者が十分な専門的な知見を共有していないとするならば、それを市場に反映させるための社会的な仕組みが必要となります。つまり、資本基盤の持続可能性に関する判断は、市場の機能が発揮される前の段階で、市場外的に行われる必要があります。そして、その判断の結果に基づき、政府が市場に適切に働き掛けを行わなければなりません。
このように、資本基盤の持続可能性を確保するために市場外的判断を行い、市場に介入していくべきとする立場を「資本基盤主義」と呼びます。
「資本基盤主義」と市場メカニズム
「資本基盤主義」は市場のメカニズムを否定するものではありません。市場のメカニズムを機能させる前提条件として、市場のメカニズムに対して市場外から一定の枠をはめるべきという考え方です。「資本基盤主義」においては、市場メカニズムが万能であるかのように考える「市場主義」は排されますが、資本基盤の持続可能性が確保される範囲内であれば、なお、市場メカニズムは有用であると考えます。
資本基盤の持続可能性を確保するために市場に枠をはめる仕組みは、すでにさまざまな分野で導入されています。たとえば、過労死を防止するために超過労働時間の上限を定めています。また、公害被害を防止するために、さまざまな環境基準が定められ、その達成のための公害規制が導入されています。
政府が持続可能性を確保するための政策を行わない場合、仮に問題が発生したときに、個別の経済主体にかかる影響が大きくなります。一般的に、持続可能性に関する課題は、不可逆性を伴います。たとえば、人的資本基盤や自然資本基盤のメカニズムが失われてしまった場合、つまり、人が亡くなったり、自然が壊されてしまったりした場合、元に戻すことはできません。また、未然に問題を回避する方が、事後的に対処した場合よりも、一般的に対策コストが小さくて済みます。環境問題に関して未然防止が原則となるのはこのような理由です。
このような議論を行うと、コストを度外視しても、すべての資本基盤を持続させなければならないのか、資本基盤の有用性について市場による評価が必要ではないかという反論がなされるでしょう。しかし、そもそも資本基盤は、市場での交換価値によって評価されるべきではありません。人間が健康で文化的な生活を営むために、どのような資本基盤が備えられるべきかという観点から、評価されるべきです。つまり、どのような資本基盤をどの程度維持すべきかという判断は、健康で文化的な人間の生活を支える上での各資本基盤の使用価値に照らして行われるべきです。
資本基盤主義における成長しない経済
資本基盤主義は、人間の生活を支えるために必要となる資本基盤を健全に保つという観点から、市場メカニズムが機能する範囲に枠をはめようとするものです。この考え方に従えば、人口が減少する社会においては、おのずから経済全体の量的な成長は止まることとなります。人口の規模に応じて、経済の規模は規定されます。
では、人口が減少する社会は、衰退する貧しい社会なのでしょうか。対前年度のフローの成長は見込めなくなりますから、GDPはマイナス成長になる可能性があります。しかしながら、資本基盤を適切に手入れし、更新すれば、一人当たりの資本基盤ストックを豊かにしていくことは可能です。人口減少社会では、経済運営の指標が、フローの豊かさからストックの豊かさに徐々に置き換わっていくことになるでしょう。
このような社会では、企業間の競争が失われていくことになるのでしょうか。人口規模に応じて、必要となる資本基盤量が減っていけば、経済全体として必要な企業数は徐々に減少していくことになります。すでに、製鉄業界、製紙業界、石油業界などの素材産業では、企業合併が起こっていますが、そのような動きがさまざまな産業分野で広がっていくでしょう。このように、企業間では、成長拡大のための競争ではなく、生き延びていくための競争が起こることになるでしょう。これも一種のダイナミズムであり、活力といえるかもしれません。