特集/今、求められる流域治水とは①~温暖化時代の河川管理と災害対策を考える~球磨川の豪雨災害現場から「流域治水」を考える
2020年11月16日グローバルネット2020年11月号
ジャーナリスト
まさの あつこ
地球温暖化によって、今後豪雨がさらに強大化し頻繁に襲ってくることを考えると、それによる被害を食い止めるための減災に努めなければなりません。そのためには、治水に関する従来の施策を抜本的に改め、「水害はダムで防ぐ」という試みと、今、求められる流域治水について考え直す必要があるのではないでしょうか。
本特集では、温暖化時代の河川管理と災害対策について考えます。
「令和2年7月豪雨」から約4ヵ月が経つ。熊本県南部を流れる球磨川上流の各観測所では、7月3日から4日10時までに1日雨量史上初の400~500mmの雨を観測した。筆者が流域を訪れたのは、被害から20日目。時折、「川沿いにいてはまずい」と思うほどの激しい雨に降られた。しかし、地元住民の「あの日の雨はこんなものではなかった」との反応に、そのすさまじさを想像した。
JR九州の肥薩線の線路も橋も川に消えていた。本流に流れ込む小さな沢は、原形がわからないほどに、土石流で削られていた。道路も寸断。健全に残った道路の上にも、山から落ちてきた巨石や砕かれた岩や土砂が散乱。一方、集落に足を踏み入れると、川が運んだ泥がねっとり積もっており、足を取られた。つまり、取材に入れたところは、新型コロナ禍で、地元行政や住民が、県外ボランティアを受け入れることもできない中、助け合いながら泥や土砂を取り除いた範囲の一部であった。
浸水の特徴1 谷合の集落
球磨川の浸水被害には特徴があった。
一つは、長く続く谷合の集落の浸水だ。写真は、球磨川の右岸と左岸をつなぐ鎌瀬橋(国道219号)があった場所だ。右岸(対岸)の集落は浸水。橋の残骸の一部は川に落ち、残りは流出、影も形も見えなくなっていた。上流に向かう左岸の道路も橋の付け根でもろとも崩落、通行止めとなっていた。
こうした川沿いの集落はことごとく浸水を免れられなかったようだ。鎌瀬から約6km下流の荒瀬(八代市坂本町)もその一つだ。
ラフティングガイドの溝口隼平さんは、熊本県営「荒瀬ダム」の撤去が決まり、球磨川が再生していく姿を見たいと2010年に妻とともに移住。2018年のダム撤去完了を見届けた。ラフティングの上陸ベース兼自宅である鉄筋コンクリート3階建ての借家は、2階天井まで水没。7月4日朝、溝口さんは出先で仕事、自宅にいた妻子は逃げ遅れて3階に避難。3階床まで階段あと4、5段と水が迫った時、上流の市房ダムの緊急放流のニュースが流れた。その瞬間「ダム放流で流される。妻子を失った」と思ったという。しかし、緊急放流が取りやめとなり、家族は全員助かった。
周囲は20軒ほどの集落だが、何度かの浸水を経験して引っ越した高台の世帯も浸水した。住民らにとっては「まさかここまでとは!」と驚く想定外の水位上昇だったという。生活再建優先で、川底に流れ込んだ異物を取り除くことにどれだけの時間がかかるのかわからない。ラフティング再開のめどは立たないことを認識しながらも、溝口さんは「大家さんの許可が出れば、ラフティングベースをここで再建したい」と気持ちを未来に向けていた。
今回の水害を踏まえて、もう一つのダム撤去運動を求める声が強まっている。荒瀬ダム跡地からほぼ10km上流の電源開発(株)の瀬戸石ダムだ。水門とその門柱、管理用道路が、河道を横切る形で谷合に設置され水をためる発電ダムだ。今回は、4日午前7時ごろまでに水門が全開されたが、川は水門の上に位置する管理用道路を越えて流れ、その水圧でコンクリート壁がガタガタにずれた。瀬戸石ダムが洪水時には流れを阻害する遮蔽物であることが誰からもわかるように見える化された形だ。洪水時の瀬戸石ダム上流側の水位上昇や、水門開放による下流側の水位上昇について検証すべきだとの声や撤去を求める声も上がっている。
浸水の特徴2 合流地点
浸水被害の特徴のもう一つは、本流と支流の合流地点で起きる浸水だ。
14人が犠牲になった特別養護老人ホーム「千寿園」(球磨村)での被害がそれだ。千寿園は山裾、かつ支流・小川の辺りにある。球磨川との合流地点からは数百m奥まっているが、土砂災害警戒区域と浸水想定区域に指定されていた。
そこは人吉盆地の最下流であり、本流の川幅が狭まる谷間への入口付近でもあった。本流が壁となり、支流をダムのようにせき止め、逆流。背後の山で流れは逃げ場を失い、急激に水位が上がる要因が重なり、人びとの逃げるいとまを失わせた。
人吉市街地では本流沿いと支流の山田川沿いの両方で、パラペット(コンクリート壁)を乗り越え、一帯の家屋や商店を浸水させた。
人吉市の上流、川辺川支流と球磨川の合流地点に近い権現橋(相良村)でも合流地点が草地や田畑を含む広範囲にわたって浸水した。
流域治水をどう実現するのか
その上流に計画されていた川辺川ダム計画(五木村)が今再び注目を集めている。
2001年から2003年に潮谷義子・前知事県政下で開かれた「川辺川ダムを考える住民討論集会」を経て、2008年に蒲島郁夫現知事が建設反対を表明、2009年に前原誠司国土交通大臣(当時)が中止を表明した。
しかし、河川法に基づいて定める必要がある河川整備計画でそれが確定したわけではない。2009年から2015年まで国土交通省九州地方整備局が「ダムによらない治水を検討する場」を開催したが、川辺川ダム以外の案ではまとまらず「球磨川治水対策協議会」と名前を変えてさらに検討が行われた。2019年11月、国土交通省九州地方整備局の局長はこう語った。
「『ダムによらない治水を検討する場』で積み上げた対策について着実に実施をしていくということは当然でございますけれども、関係機関の連携によりましてソフト対策を引き続き進めていくということで、防災・減災に努めてまいりたい」
それを最後に、7月豪雨を迎えてしまった。この間、2015年には茨城県、2016年には岩手県と北海道、2017年には福岡県と大分県、2018年には岡山県と愛媛県、2019年には長野県と、各地で堤防決壊やダムの緊急放流などにより人命が奪われた。
堤防やダムに頼っていただけでは命は守りきれないことを国は認めざるを得なくなったのはまさに去年から今年にかけてのことだ。
6月には都市計画法の改正により、都市における自治体が指定する災害危険区域、土砂災害特別警戒区域、地すべり防止区域、急傾斜地崩壊危険区域などいわゆる「災害レッドゾーン」では開発を原則禁止されることとなった。また7月には、国土交通省が「流域治水」への転換をうたった「気候変動を踏まえた水災害対策のあり方」を公表した。河川の中だけで、解決しようとしていた治水の在り方を変える姿勢を見せている。ただし、この公表は、奇しくも球磨川の水害の後となってしまった。
浸水被害による死者の9割近くが65歳以上を占めていた球磨川での水害を振り返る。また、盆地と谷という地形、合流地点で被害が起きた現実を考えてみよう。
球磨川流域の被災地域の復興と治水を目指すには、今まで以上に複雑で丁寧な議論が必要であることは間違いない。特定の集水域に想定内の雨が降った時にだけ機能するダムによる治水から脱し、今後も進む人口減少、高齢化、災害の激甚化を前提とした、まちづくりや住まい方や家の建て方の変容も含めた治水の在り方が必要だ。
そして、これは球磨川流域に限った話ではないはずだ。