日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第42回 干拓後に生き残ったカブトガニと漁業の今ー岡山・笠岡
2020年09月15日グローバルネット2020年9月号
ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)
「日本最古の海水浴場」かつ「日本の渚百選」である沙美海水浴場(倉敷市)を過ぎて笠岡市に入る。沿岸から近い場所につぼ網(小型定置網)がいくつかあった。笠岡といえば絶滅危惧種で生息地が天然記念物であるカブトガニが有名だ。この「生きている化石」がたくさんいた干潟は国営干拓事業で埋め立てられ、昔日の面影はない。だが、周辺の海は元々豊かな魚介類に恵まれた場所である。カブトガニも生息し続け、漁業は高齢化や後継者不足に直面しながらも生き残りを模索している。
●2億年前から姿変えず
カブトガニの代表的な生息・繁殖地であった笠岡湾の生江浜海岸が「天然記念物カブトガニ繁殖地」として国の指定を受けたのは1928(昭和3)年。だが1966年から始まった日本四大干拓の一つといわれる国営笠岡湾干拓によって生江浜海岸一帯から神島までの海域1,811 haが干陸地に変貌した。1990年に完工し、湾は南北に長細い水路のようになり、神島水道のエリアが天然記念物に追加指定され、その後この地域だけが指定地に残った。
湾をまたぐ神島大橋から南の瀬戸内海(水島灘)につながるエリアが神島水道で、南の笠岡諸島と結ぶフェリーや旅客船が行き交い、カブトガニ博物館が東岸に接して建っている。
カブトガニはヘルメットのような頭部や長い尾剣があるユニークな生き物で体長は50~80㎝ほど。2億年前から姿を変えていない剣尾類で、カニではなく、クモやサソリに近い。
天然記念物といってもトキのような美しさもなく、愛嬌があるでもない奇妙な生き物に筆者が興味を持つのは、産卵場所の砂場、幼生が育つ藻場、さらに成体が生息する沖の海底がそろった理想的な自然環境に生きているから。「生態系指標種」なのだ。筆者は1990年代末から10年間、カブトガニの取材で中四国の瀬戸内海沿岸、九州北部などを取材した。干潟の埋め立てや海水汚濁などによって生息数が減り、一部の限られた地域でしか見ることができない。2015年には佐賀県伊万里市伊万里湾がカブトガニ繁殖地として天然記念物に加わったが、これも希少種たる証といえる。
笠岡市は2003年7月に「カブトガニ保護条例」を制定。カブトガニ繁殖地内でのアナジャコ掘りや潮干狩りなどを禁じ、カブトガニの生息環境を守っている。1990年設立の市立カブトガニ博物館は、山口県など他の場所の成体を移入して産卵させ、幼生の放流事業などを続けた(97年以降は移入していない)。水質改善などの環境対策も奏功したことから成体捕獲数は増え昨年は26匹。といっても2015年から5年間の成体捕獲数は57~25匹にとどまっている。
一方、新たな湾から生まれ変わった干拓地では、花や野菜の栽培、乳牛や肉牛の酪農・畜産業などが営まれ、最近は大規模な飼料用作物や野菜などの生産、ロボットやICT(情報通信技術)などを活用したスマート農業も始まった。干拓地の中にある道の駅「笠岡ベイファーム」(2011年オープン)には干拓の歴史を伝えるパネルやカブトガニの模型が展示してある。菜の花やヒマワリが咲く広大な畑が観光客の人気を呼んでいる。干拓地の変貌はまだ続きそうだ。
●地魚を売る場所がない
笠岡市には二つの漁協があり、笠岡諸島周辺を含む地先を漁場としている。かつては網を破る厄介者だったが、現在では貴重な生き物であることは広く浸透しており、漁業者もカブトガニ保護に協力してきた。カブトガニが網にかかると、カブトガニ博物館に連絡する。博物館の職員が計測などした後に再び放流している。以前に捕獲されたカブトガニの甲羅には標識があり、標識がないカブトガニには標識を付ける。
18年前の取材で訪れた笠岡市大島漁協は、11年前に笠岡湾漁協と合併し大島美の浜漁業協同組合となっていた。面会した代表理事組合長の淺野正人さん(7月16日から理事)は「網にかかるカブトガニは標識のあるものとないものが半々くらい」と教えてくれた。
道路拡張のために新しくなった市場では現在も水曜日と日曜日を除いて朝市を開いている。主な漁法は定置網、底引き網、建て網(刺し網)。普通に捕れていたボラやクロダイ(チヌ)が今は安くなり、高級魚だったマダイやスズキも値段が安くなって収益が落ちている。ノリ養殖やサルボウガイ(地元名:モガイ)養殖もやめた。
アサリの潮干狩り場はアサリが減ったため、稚貝をまいたり、県水産試験場が調査したりした。だが、回復は難しく、減少の原因はよくわからないという。
かつてあった婦人部のような活発な活動もなくなり、高齢化が進むばかり。若い後継者もほとんどおらず、合併時に60人ほどだった組合員は半数に減った。「組合の運営は厳しくなっており、体力のあるうちに再合併ができれば」と淺野さんは望む。
もう一つの漁協で西側の神島にある笠岡市漁業協同組合も訪ねた。4年前まで市の農政水産課にいたという城戸良夫さんから話を聞いた。
生産額で一番大きいのはノリ養殖で、ノリ養殖業者(組合員2人)が漁協全体の売上高の3割に当たる1億6,000万円を生産している。「有明など全国の他の生産地が不振であることもあって、販売収益は好調です」と城戸さんは話す。
漁獲量が多いのはタイ類(マダイ、コブダイ)、タコ、エビなどで、金額が大きいのはタコだという。マダイ,ヒラメ,スズキはブランド化を目指し、魚を脳死状態にして鮮度保持をする「神経締め」を取り入れている。この処理方法を証明するタグを付けて出荷し、魚市場、鮮魚店などから高い評価を得ている。
漁協にある荷さばき場を見学させてもらうと、カワハギ、タコ、カキが出荷を待っていた。漁業者が漁獲した魚介類が集められ、市場やスーパーなどに出荷している。笠岡市漁協には関西の有名スーパーが直接買い付けに来るというほど、魚介類の評判は良い。
それでも、少し前まで開設していた朝市は人件費が賄えずに休業に。城戸さんは「地魚を食べる機会が少なく、捕っても売る場所がない」と嘆く。豊かな海の幸がありながら、地域の魚食文化が廃れようとしている。
●「生き物ブランド」提言
カブトガニは笠岡市の観光や地域おこしのシンボルとして定着している。JR笠岡駅の接近メロディーは軽快な『がんばれカブトガニ』。元歌(作詞・作曲:上田康弘)の歌詞は「人間もマンモスもいなかった 2億年前のおおむかし 地球に住んでいたカブトガニ…」。マンホールのデザインに、また菓子にもなっている。
衰退している漁業を元気にするためにカブトガニ人気を生かせないものか。筆者はカブトガニが生息する海の魚介類に「カブトガニブランド」導入を提言している。カブトガニも、漁業も、運命共同体。生き残りのためのもっと強力な連帯があってもいいと思う。