拡大鏡~「持続可能」を求めて第12回 SDGs目標10が実現する日~コロナ禍続く世界から考える~
2020年08月18日グローバルネット2020年8月号
ジャーナリスト
河野 博子(こうの ひろこ)
新型コロナウイルスの蔓延が続いている。日本では緊急事態宣言が解除された5月下旬には収束の兆しが見えたが、7月に再び感染が拡大。がっかりである。そして、パンデミックの中で明らかになった世界の現実にたじろぐばかりだ。持続可能な開発目標(SDGs)の目標10「各国内および各国間の格差を減らす」に照らせば、私たちはまさに真逆の方向に突き進んでいる。
Black Lives Matter
アメリカでは5月末以降、「黒人の命は大切だ(Black Lives Matter)」というプラカードを掲げたデモが各地に広がった。5月25日、ミネアポリス州ミネアポリスで黒人男性が白人警官に膝で首を押さえつけられて死亡した。警察の暴力への抗議行動が始まり、構造的な人種差別全般への異議申し立てという性格を帯びながら世界の都市へと飛び火した。
アメリカの黒人差別は根深く、残酷だ。1996年から3年間ロサンゼルスをベースに、また2000年12月から4年間はニューヨークを拠点に、私は新聞社の特派員として人種問題を取材した。史上最悪の人種暴動、1992年のロサンゼルス暴動は、黒人青年に暴行した警官への無罪評決が発端だった。その後も人種的少数派への警察暴力は何度も繰り返された。奴隷制度が廃止された後に南部を中心に続いたリンチ殺人もなくならなかった。最近はあからさまなリンチ殺人や暴力は少なくなったものの、現実はあまり変わらないようだ。
「Union of Concerned Scientists」という団体がある。日本語にすると「憂慮する科学者同盟」だろうか。マサチューセッツ州ボストンに本部を置く50年以上の歴史を持つ全国組織だ。国連の気候変動枠組み条約の締約国会議の場で記者会見を開き、国際的な取り組みのあるべき姿を科学に基づいて発信していた。
最近、そこの職員だった黒人女性、ルース・タイソンさんが3年勤務した末、退職。その際に同僚200人に宛てた電子メールの手紙が話題になった。米紙ワシントン・ポストが7月22日付で報じた。
「素晴らしい人々と出会い、多くを学べた一方で、本当にストレスの多い、精神的に傷ついた日々でした。ほかの黒人がこの痛みを味わうことがなければ、と願います」として、手紙はつづられている。職員のほとんどは白人で、全部で4人いた黒人女性のうちルースさんを除く3人は、次々に職場を去った。白人男性の部課長らは近寄り難く、タイソンさんが話をしに行ってもパソコンの画面をスクロールする手を止めず、途中で会話を打ち切った。団体が主催する地域住民の参加を促すための会合は白人だらけで、黒人の参加はタイソンさんの存在で代用された。
ワシントン・ポストの取材に、団体幹部は「胸が痛む。組織や仕事の在り方を見直したい」と述べた。声を上げ、差別・抑圧した側に働き掛けたタイソンさんは、勇気がある。私は2004年2月にニューヨークで会った、アマドゥ・ディアロさんの母、カディアトウさん(当時44歳)を思い出した。
ディアロさんはアフリカ・ギニアからの移民。1999年2月、ニューヨーク・ブロンクス区の自宅アパート前で、白人警官4人から銃弾41発を受けて殺された。身分証明書を見せるためにディアロさんが取り出した財布を銃と勘違いしたとされ、「英語ができないアフリカ移民が警察官の指示を理解できなかった」とも報道された。
カディアトウさんは、それはまったく違う、と話した。ディアロさんは貿易の仕事をしていた父親の関係でシンガポール、タイで育ち、英語、仏語が堪能だった。家族で訪日し、富士山にも登ったことがある。ニューヨークで家電会社の在庫管理の仕事をした後、行商で金をため、コンピューター・サイエンスを学ぼうと大学に入学願書を出したところだった。
「黒人男性への偏見が警官の恐怖心を生み、無用な過剰反応を引き起こした」。カディアトウさんは、息子の命を絶った事件の背景について、こう語った。ニューヨークに非営利団体を創設し、警察官の教育や訓練を行う活動を始めた。
カディアトウさん、そしてタイソンさんの諦めないパワーには、胸を突かれる思いがする。
拡大する格差
人種差別への抗議行動が米国の小さな町にまで広がった要因の一つは、コロナ禍での黒人の苦境だろう。まとまったデータを基にした感染者、死者数と人種についてのかっちりした分析はまだないが、新型コロナによる死者数に占める黒人の割合は、人口に占める黒人の割合を大きく上回っている。理由は明白で、黒人は、テレワーク(在宅勤務)ができない仕事についていることが多いからだ。ニューヨークの街でも、地下鉄やバスの運転手、ごみ収集員、ビルの警備員、スーパーの従業員には、黒人が多かった。また貧困や油・糖分の多い食事から、肥満や高血圧、糖尿病の人も多く、感染すれば重症化する可能性が高い。
近年、米国、欧州、あるいは世界での格差の拡大傾向が指摘されてきた。国際NGOのオックスファムによる「報告2016」によると、世界人口の1%に当たる最も裕福な人たちが、残り99%より多くの富を所有している。一方で、所得の低いワーキング・クラスを所得や学歴が高い人たちが馬鹿にする、という傾向も明らかになった。
『エスタブリッシュメント―彼らはこうして富と権力を独占する』という本を著したイギリスの若手ジャーナリスト、オーウェン・ジョーンズさんは、処女作『チャヴ』で、友人の家での夕食会で感じた「違和感」について書いている。集まったのは、人種も性別も多様な、進歩的な都市プロフェッショナルたちだったが、「チャヴ」という蔑称で呼ばれる労働者たちを笑い飛ばす姿にショックを受けたという。
ごく少数の人たちへの富の過度な集中が進む構造を、出生、学歴、人種による分断が進む社会が支えているのだろうか。
ブラジル・アマゾンの先住民
米国に次ぎ、感染者数、死者数とも世界で二番目に多いのが、ブラジルだ。米紙ニューヨーク・タイムスの4月19日付の記事によると、2019年1月に始動したボルソナロ政権下で、アマゾン地域の先住民は極めて困難な状況にある。ブラジルでは、軍政が終わった後の1988年に憲法が制定され、500以上の先住民保護区が設けられた。ボルソナロ政権は、政府機関「FUNAI(国立インディアン基金)」を保護区設定・管理の担当から外し、権限を農業省に移した。保護区内の教育や医療も事実上ストップしている。こうした政府の方針変換を背景に、伐採業者や金鉱採掘業者、畜産業者が押し寄せ、先住民の領域を侵し始めた。新型コロナによる感染も先住民の間で広がっている。
SDGsの目標10「各国内および各国間の格差」は、経済格差だけについて述べているわけではない。経済格差が拡大すれば、経済そのものが回らなくなり、世界は不安定化するため、経済格差の縮小は最重要課題だ。だが目標10の小目標には、「年齢、性別、障害の有無、人種、民族、生まれ、宗教、経済的またはそのほかの地位に関わらず、すべての人が力を得て、社会経済政治的に包含されることを目指す」と記されている。
SDGsの肝ともいえるこの目標に照らして、現状を反転させなくてはいけない。パンデミックは、差別や偏見の問題をくっきりと明るみに出した。今後、私たちは変革への流れを作っていくことができるのか。それが問われている。