ホットレポートオランダ最高裁判決 パリ協定に整合した削減は義務
2020年05月15日グローバルネット2020年5月号
弁護士、気候ネットワーク代表
浅岡 美恵(あさおか みえ)
オランダ最高裁が気候変動の歴史に残る判決
2019年12月20日にオランダ最高裁判所はオランダ政府に対し、2020年の温室効果ガス(GHG)を1990年比25%削減するよう命じた。グローバル時代における気候変動対策の今後を画する歴史的な判決である。裁判所は判決当日、英語でも判決要旨を公表し、今年1月に判決全文の英訳をホームページに掲載した(仮和訳は気候ネットワークホームページに掲載)。オランダ最高裁の本件判決の国際的役割についての認識のほどがうかがわれる。
アージェンダ訴訟の経緯
2003?04年に欧州全域が異常な熱波や大洪水に見舞われ、気候の危機への懸念が高まった。アージェンダ(Urgenda)は2008年に、気候変動問題を喫緊の課題として設立されたNGOである。
2009年のコペンハーゲン合意で地球の平均気温の上昇を産業革命前から2℃未満に止めることが盛り込まれ、翌2010年のカンクン合意では大気中のGHG(CO2換算)濃度を450ppmにとどめ、そのために先進国は2020年までに90年比25~40%の削減が必要であることが盛り込まれた。
ところが、オランダ政府は2011年に、90年比30%削減であった2020年目標を20%削減に引き下げてしまった。そこでアージェンダが2013年に、886人の市民とともに、気候変動による被害は欧州人権条約で国の適切な対策が求められる人権侵害であり、政府の対応は不法としてハーグ地裁に民事訴訟を提起したのが始まりである。日本でも似た経緯があったが、日本ではNGOが原告となることはできない。
今回の最高裁判決は、2015年6月のハーグ地裁判決および2018年11月のハーグ高裁判決と同旨であるが、より論旨を整理し、近年の1.5℃目標にも言及したものである。
危険な気候変動は現実で切迫した人権侵害
アージェンダ訴訟の判決で最も重要な点は、気候が危機にあるとの指摘である。危険な気候変動の影響を「risk」ではなく「danger」や「hazard」と表現し、地球の気温が2℃を超え、極端な暑さや極端な干ばつ、極端な降水、生態系の破壊、食糧供給の危機や氷河や極地の氷冠の融解による海面水位の上昇が起こり、地球上の多くの人びとの生命、幸福や生活環境を脅威にさらすと指摘し、「このことは、すでに今日、起こっている」と述べている。
その上で、現実かつ急迫した危険が存在し、国がその危険に気付いている場合には、国は適切な措置を講じる義務を負うとする欧州人権条約2条、8条および13条を主な根拠として、2℃未満に止めるために必要な実効性のある適切な措置を講じることは国の法的義務とした。この法理は日本では「人格権侵害」として捉えられており、世界の多くの国で一般的普遍的なものである。原子力発電所再稼働や石炭火力発電所新設にかかる差し止めの請求もこの考え方による。
そこでしばしば論点となるのが、被害の「現実性、急迫性」である。欧州人権条約の判例でも、「現実(real)で切迫した(immediate)危険が存在し、当該国がこれを認識している時に、適切な措置を講じる義務が生じる」とされている。アージェンダ判決は、「現実で切迫した危険」とは「危険が生じるまでの時間の長短をいうのではなく、問題の危険がそれに巻き込まれる人びとを直接脅かすという意味であり、長い時間をかけて現実化する危険も射程に含む」と摘示し、危険な気候変動の影響がまさにそれに当たるとするものである。これらの点は、今後の世界の気候変動訴訟に極めて重要な意義を持つ。
2020年25%削減は先進国の最小限の義務
次に、地球規模の問題である気候変動に対し、各国が負う責任について、判決は、広く支持されている科学的知見および国際的に受容されている基準としてIPCCによる科学的報告書を挙げている。少なくとも第4次評価報告書などで許容限度とされている2℃目標を達成するために、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)決定で、先進国は2020年までに25~40%削減が必要であることが何度も確認されてきており、これが国際社会のコンセンサスであったと認めた。さらに、危険な気候変動を防止するために気温上昇を1.5℃以下に抑え、大気中の温室効果ガスの濃度を430ppm以下にとどめるべきとする第5次評価報告書が出され、2015年に採択されたパリ協定の目的に1.5℃にも努力することが盛り込まれた。こうしたパリ協定の下で、国の目標は、速やかにパリ協定と整合するものに強化されるべきと判示したものである。このことも、日本や世界のどの国にも当てはまる。
オランダ政府は控訴審判決後、2030年に90年比49%削減、2050年に同95%削減との目標を決め、2020年以降に加速的に排出削減を行うと主張したが、カーボンバジェットの考え方によれば、排出削減を先送りすることは、その時間と量だけ後で削減量を多くして埋め合わせなければならず、削減が遅れるほど目標達成がより困難になり、コストもかかるにもかかわらず、政府は20%削減でもパリ協定と整合的とする理由を十分に説明していないなどと指摘して、2020年末までに1990年比で少なくとも25%削減すべきと結論付けたものである。
オランダ国内の気候変動対策への影響
政府は、オランダの排出量は世界の0.5%にすぎないとか、行政の裁量権や政治領域論を展開したが、危険な気候変動に対応するためにすべての国に応分の削減義務があること、オランダの一人当たり排出量は欧州内でも高いこと(日本とほぼ同じ)、気候変動は政治の課題であるとともに、人権侵害からの救済は裁判所の役割であるとして、これを退けた。
他方で訴訟はオランダ国内の対策に前進をもたらした。政権交代もあって、高裁判決後に前述の2030年と2050年の目標が決定され、2019年には気候変動法にこれらの目標が盛り込まれ、一部の石炭火力発電所の閉鎖時期を前倒しし、炭素税を強化するなど対策も強化された。それでも最高裁が、2020年を目前にして政府に25%削減を命じたのは、カーボンバジェット論を踏まえ、早期の削減の実行が不可欠であり、そこに2020年目標の意義があるためである。実際、オランダはGHGでは一定の減少が見られるが、CO2は90年レベルで推移してきた。今般のコロナ問題でどの国も2020年にはCO2排出量も相当に減少するであろう。問題はコロナ後である。すでに法定化されている削減目標と強化された政策が、オランダの持続可能な経済への移行に役割を発揮するに違いない。
判決の世界・日本への影響
オランダ最高裁判決は、科学と国際交渉の経過を丹念に追い、科学が求める最低限、すなわち90年比25%削減は先進国の法的義務と結論付けたものである。長い年月をかけて粘り強く重ねられてきた科学と国際政治交渉の成果がアージェンダ判決をもたらしたといえる。2020年はパリ協定で温室効果ガス削減・抑制目標(NDC)を引き上げて提出するよう要請されている年であり、この判決が今後の国際交渉や各国のNDCの引き上げに活用されていく必要がある。
欧州連合(EU)は90年比40%削減を50~55%に引き上げる調整中であり、主要国は少なくとも2030年代には脱石炭を実現することを決定している。
日本のNDCは実質的にはパリ協定採択前の2015年6月に策定されたもので、2030年目標は2013年比26%削減と、先進国の中でとりわけ低く、2020年以降も石炭火力発電所の新設を推進しているなど世界から批判を受けている。そんな中、世界がコロナ対応の禍中にあった2020年3月31日に、2015年のまま、かつ次の削減目標の改定はエネルギー基本計画やその基となったエネルギーミックスに沿って行うとの鏡文付きで提出してしまった。アージェンダ訴訟で被告のオランダ政府は、判決で摘示された危険な気候変動の影響や国の危険回避の義務自体は認めていた。日本政府にその認識と危機感が欠けていないだろうか。