特集/タネの未来と日本の農業を考える~種子に関する法制度と持続可能な種子の管理とは~それでも種子をまく~タネを守る女たち
2020年05月15日グローバルネット2020年5月号
秩父雑穀自由学校 世話人
西沢 江美子(にしざわ えみこ)
人類が経験したことのない感染症に恐われ、非常事態情況で、春の農作業はどうにもならなくなっている。「外出するな」「人と離れろ」「不要不急をやめ、家にいてください」――まったくその通り。人っ子一人いなくなった畑で80歳の私は種子をまく。
そんな時、9年前の「あの福島」が体を動かす。「外に出るな」「種子をまくな」。どこからともなく台風の風のように大きくなってくる声に、百姓たちは右往左往しながらも「それでも種子をまく」と遅れて春の畑に出た。その時、ともに農業女性たちと日常的に農業ができるまで、種子をまき続けようと誓ってやってきた。
いま、しみじみと私は思う。雨が降ろうとやりが降ろうと、放射能や新型コロナウイルスという見えない敵がやって来ようと、多分百姓たちは、種子をまき続けてきた。それを「非科学的」「だから農民はバカだ」「何もわかっていない」と後ろ指をさされても種子をまいてきた。それが百姓の歴史かもしれない。そんな中から抜け出せないで、いつもその流れの中にいる女たちに寄りそってきた者として、頂いたテーマ「タネを守る女たち~農村女性とタネと食」を紹介しよう。
「百姓はタネと塩とかまどの灰があれば生きていける」
タネや苗といったら一番に思い出すのは、十年ほど前に60代で亡くなってしまった中山尚江さんのこと。専門研究家が頼りにするほどの稲の育種研究家でもあった。埼玉で現在ブランド品になっているおいしい米の「ミルキークイーン」の開発に関わったり、「香り米」という食味の悪い米にブレンドするとその米がおいしく食べられるなど、いろいろなことを自分の田んぼで研究し、現場からの成果を試験場や大学などの研究者に提案してきた農業女性である。
「尚江米って登録したら?」と何度も勧める私に彼女は「種子も苗も、その技術もみんなのものよ。だから専門にその仕事を任されている県や国が守ればいい」と言い続けた。こうも言った。「百姓はタネと塩とかまどの灰に少しばかりの地べたがあればいい」と。
いま、彼女が生きていたら、種子法廃止や種苗法改正についてどう言うだろうか。「やれるものならやってみな。百姓はタネと塩とかまどの灰があれば生きていけるもの」と日焼けした顔で笑うだろう。
種子をまく/イモをさす/苗をうえる/草(雑草)をとる/雑草を刈る/土を寄せる/土をかける
みんなそれは生きるため/みんなそれは次代に継ぐため、伝えるため
ヒトも生きる/種をまく
これは詩人でもあった尚江さんの詩「種をまく」の一節だ。
「秩父雑穀自由学校」で学ぶ
種子法廃止や種苗法改正については誌面の都合で他の方に任せることにしよう。
私は「秩父雑穀自由学校」の名前で都市の仲間に呼び掛けて、米以前の雑穀を作って、タネや農業の在り方、食べることを学ぼうと始めた。
今年で通算12年。アワ、ヒエ、キビ、高キビ、大豆、小麦を作っている(連作を避けてイモや野菜も作る)。できるだけ地種、中でも大豆「借金なし」(写真1)、小麦「鴻巣25号」(写真2)の二つは、ほぼこの関係者しか種子を持っていない。大豆「借金なし」は、ここ埼玉県秩父の山谷に昔からあったもの。小麦「鴻巣25号」は、国策で世界戦争を前にパンが入らなくなると、研究し開発されたパン用小麦だ。しかし、いつの間にか消えてきていた。それを作ることにして7年になる。それもこれも、秩父の谷間で作り続けてきた人がいたからだ。
かつては、どこにでもその土地の農作物があり、それを使った日常食や伝統食があった。山を越え谷を渡れば、まったく違った土地の食べ物があった。その食材は、自然の長い時間によってできた「地形」が育んだタネ(地種)である。
しかしこの50年、次々と消えていった。世の中が便利になり、すべてお金が尺度になって、人もモノもカネも地球を舞台に流されていく中で消されていった。
それでも地面にへばりついて谷間の食を守る人があちこちに灯をともしている。
たとえば「かわさき鶴の芋研究会」(岩手県一関市)。一般のサトイモと違い、細長く鶴の首のような形で食感よし。はっきりしないが大正時代から作っているといわれる。いま女性グループで生産、ブランド化し始めている。
地種は自家採種で守り続けている。「こんな細かい仕事は、年寄りか女子(おんなこ)でなかったらできない。若くてたくさん作っている人はみんな種子屋で買っているから。種子代出したら、百姓の楽しみも続ける金もなくなってしまう」。
また、秋田県成瀬地方で「平良カブ」を高橋洋子さん(80)は、50年も作り続けている。明治時代に突然変異でできたカブといわれている。今、村では「加工研究会」を作り、漬物などを販売している。
島根県の野々村花子さんは「飯島カブ」を栽培。赤い丸カブで、いつの時代から栽培されていたかわからない。百年は作っているという。自家採取してきたから、この地に根付いているようだ。野々村さんは「伝統のカブを守り次代に渡すのが誇りだ」と言い切る。
ある女性から同じようなことを、秩父の山の中で聞いた。その女性は90歳で亡くなった。「戦争中、小豆や大豆を供出しなければならなかった時。種子を余分に(万一不足しないよう)隠しておいた。お年玉に入れて逃れた。その種子が今の三峰インゲンだ」。
国民総動員の時代、何もかもが戦争のため。その時代をお年玉に入れて守ったインゲンの種子。老婆の誇りは、今も「三峰インゲン」と、その誇りの中に生きている。このインゲンは、サヤが黄色に実って、サヤごと煮ても軟らかくおいしい。
新しい時代の地種ブーム~女が中心の地種の世界
こうした例は挙げればきりがない。共通していることは、畑で見えるのは男たちの姿だが、地種の世界では、ともすれば女が中心であったということだ。女たちは種子をまき、育て、収穫して最後に口に入るまでを、一貫して管理してきたからだ。また、ある面では地種も女たちによって選別された。生き残った地種は、作りやすく、料理しやすく、おいしいものだ。
そんな女たちによってまた、農家加工や直売場が生まれた。そうした新しい時代の中で、地種ブームが起きている。種子や苗に関係する法律の問題が叫ばれる中で……。